第8話 未来が近づく足音が聞こえる
「アンリお姉様、お預かりしていたローブの仕立てが終わりました!」
そう勢いよく走って来るのは、 この間助けた3人のうちの1人で、高そうなローブを身につけていた魔法使いである。
肩で切りそろえられた赤髪と赤い瞳が印象的な、可愛いというよりは綺麗といった印象の女だ。
あの後、命を救ってもらった例の3人はいたく感激した様子で僕らにお礼を言ってきた。
どうやらボス・ズンにとどめを刺した辺りで目を覚ましていたらしく、できる女戦士ムーブを楽しんでいたアンリの姿が強烈に焼き付いたようだ。
特にアンリの腕に絡みついている魔法使いの女は、お姉様お姉様と、やたらとアンリに対してベタベタと接してくるようになった。
アンリの方が年下なのだが、呼び方はお姉様で固定されたらしい。
「あの、キルトさん。腕を離してもらえません?」
「そんなキルトさんだなんてよそよそしい! キ・ル・トと呼んでください!」
きゃー、と両手で頬を抑えてかしましい。
彼女――キルトは昨年、火魔法を授かったと噂になっていた期待の新人であるらしく、王都の魔法兵団への入団依頼も来ているそうだ。
だが彼女は北区にある服屋の娘でもあり、特にお金には困っていない。
本人としてもマイラ島から外に出たい理由もないらしく、入団依頼には返事をしていないとか。
とはいえ折角授かったスキルを活かしてみようと、冒険者として依頼をこなしていたそうだ。
「キルト、アンリが困っているから冒険者ギルドでベタベタするのは控えてくれないか?」
「おや、貴方もいたんですね。そうやってお姉さまにおんぶに抱っこで恥ずかしくないんですか? あと私の方が年上なんで、さん付けて貰えませんか?」
お分かりだろうか。
この温度差である。
さすがは火魔法使いというべきか。温度管理は完璧というわけだ。
あの時、僕はアンリのサポートに廻ってはいたものの、そこまで冷遇される覚えはない。
彼女の態度が変わったのは、ダンジョンから脱出して冒険者ギルドで事の経緯の報告を行った後、換金の時だった。
僕らが倒したボス・ズンの魔石は、なんと金貨5枚と言う破格の価格がついた。
そして何の因果か、それは僕の残りの借金と同額だった。
ホロホロ君は言った。「全額を返済にあてて真人間になりますか?」と。
僕は剣が買いたかった 。
とにかく火力アップをしたかったからだ。
しかしちらりと隣を見たとき 、アンリの目からは光が失われていた。
そして僕は真人間になった。
真人間になった僕に、キルトは冷たかった。
どうやら彼女の目には、僕がアンリの稼ぎに寄生するヒモ野郎に映ったようだった。
借金を背負い、
ダンジョンでは魔物のとどめをアンリに任せ、
その稼ぎを借金にあてる。
なるほど。
彼女の目は節穴ではないらしい。
しかし僕は将来ビッグになる男である。
こんなお金は何倍にもして返してやるさ。
と言ったところ、キルトの僕を見る目が氷点下以下になった。
火魔法使いにあるまじき冷たさである。
なぜだ。
キルトは助けられたお礼にと、アンリにローブをプレゼントすると申し出た。
彼女の実家は北区に店を構えることができる、マイラ島の中では一級品を取り扱う店だ。
僕もほしいとボソリと呟いてみたものの、その声が拾われることはなかった。
「お姉様、ぜひ受け取りに来てください」
「そうね、今日は依頼もないし、行こうかしら」
「はい!」
北区に向かって歩き出した彼女らの後ろを着いていく。
そのゴミ虫を見るような目はやめてくれませんかね……。
---
北区は都市マイラの中で最も賑わう区画である。
港から貴族区までは1番通りと呼ばれる大通りが真っ直ぐ通っている。
元々が土砂崩れで作られた坂の為に勾配はきついが、石畳を敷き詰めており馬車での通行が可能だ。
両脇に店舗構える商店は、都市マイラで最も良い立地に出店できる一流の店ばかりが並んでいる。
また港の近くではバザールが開かれている。
世界中から様々な品物が持ち寄られ、王国や帝国で仕入れて品卸する前の、豊富な品揃えだ。
このバザール目当てにマイラ島にやってくる商人も少なくない。
そしてマイラ島北区のもう一つの目玉は、3年前から建設が開始された飛行船の発着場である。
飛行船は神の知識をもとに、近年王国で開発された空を飛ぶ船だ。
空を飛ぶには大量の魔石を消費するが、昼夜問わずに移動できること、何よりも魔物に襲われる危険性が低いことから、安全な移動手段として認知されつつある。
飛行船はかなりの大きさがあるため、街中での離発着には向かない。
その為、普通は都市外へ移動する必要があるのだが、都市マイラでは北区に隣接する崖の上に発着場を作り、昇降機で乗客を輸送する事で街中に直結する発着場を実現しようとしている。
飛行船は開発されて日が浅く、現在は軍用や一部観光用の飛行船しか運用されていない。
しかし今後商用に利用が拡大すれば、立地の優位性で仲介貿易を行うマイラ島にとっては致命的になる可能性がある。
過去の事情により帝国と王国はマイラ島以外での取引は行われないだろうが、他の国は別だからだ。
この事実にいち早く気付いた都市マイラの領主エリストン公爵家は、将来、立地という理由以外で、世界中の飛行船がマイラ島に寄港するようになる為の施策を打ち出している。
街中に直結する発着場もその施策の内のひとつであった。
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「あの飛行船、まだ停まっているんだな」
僕は崖の上に停泊している巨大な飛行船を見て言った。
あの飛行船は3日前に、キルトのお店にローブの採寸に来た時も停泊していた。
飛行船の発着場は何年も前から建設が開始されていているが、まだ完成したという話は聞かない。
あの船はどこの船なんだろうな。
「前にも飛行船が停まっているのを見た事があるけど、あれは随分大きいわね」
なにせ領主の城よりも巨大なのだ。
「あれは王都の軍が所有する飛行船だそうですよ、お姉様!」
キルトはアンリと会話が出来る事が嬉しくて仕方がないといった様子だ。
ずーっと腕を組んで歩いているわけだが、僕の疎外感が凄い。
「軍船か。でもあんだけ的がでかいと直ぐに落とされそうなもんだがな」
「はぁーやれやれ。原始人には想像出来ないかもしれませんが、空を飛ぶ飛行船に魔法や矢は届かないんですよ?」
抜き身のナイフかこの娘は。
「ドラゴンは飛ぶし、火を吐くぞ」
「ドラゴンに襲われたら船でも沈みますね。バカなんですか?」
「ふん。つまりドラゴン並みに強くて飛べれば落とせるわけだ」
「なるほど。バカなんですねえ」
バカバカ言ってるがたぶんアンリも同じ事考えてるからな。
人混みをかき分けて、僕らが歩いているのは1番通りだ。
北区のメインストリートであるこの通りには、船でやってきた商人や冒険者で賑わっている。
大陸からマイラ島へ渡るにはそれなりに費用がかかる為、やって来る冒険者は高ランクの者も多い。
そして北区1番通りには、そんな冒険者たちのお眼鏡に叶う商品を取り扱う、一流店が軒を連ねている。
キルトの実家である服飾店は、この1番通りにある。こんな毒舌娘だが、良いとこのお嬢様なのだ。
「いらっしゃいませ、アンリ様」
店に入ると店主自ら迎えてくれた。
キルトの父親である。
孤児院出身の僕らを見ても、嫌な顔ひとつしないやり手の商人だ。
「お待たせして申し訳ございませんでした。しかしその分、自信を持ってお渡しできる品となっておりますよ」
「このように立派なお店の商品。私のような者には過ぎた物で恐縮です」
アンリは申し訳なさそうに頭を下げる。
清貧の聖女ムーブである。
実際には貰えるもんは何でも貰えが孤児院の流儀だ。
前回もこんな感じでいったのだが、孤児院の出身者が丁寧な言葉づかいをする事に驚かれた。
さすがシスター・ロッリの教育は行き届いていますね、などと言われたが、僕らは冒険譚を読みあさって勝手に覚えただけで、シスターの教育の賜というわけではない。
シスターは結構いい加減だからな。
「アンリお姉様の気高さの前では、どんな服も霞んでしまいます……」
「ははは。良い服はそれを纏う者の良さを引き立てるものです。きっとお気に召されますよ」
アンリに対する評価が天井知らずだ。
実に羨ましい。
キルトの父は奥から紙に包まれた商品を抱えてきた。
これがアンリのローブなんだろう。
個別で包装された洋服なんて初めて見た。
「こちらは帝国で取れる水晶蝶の絹糸を、ミスリルを溶かし込んだ水に漬け込んで作る、聖銀布で作られたシスターローブとなります」
おいおい、なんか凄そうな単語の羅列だな。
ミスリルなんて冒険者憧れの金属じゃないか!
相場は知らないが、スキルチェッカーなんかよりよっぽど高額なんじゃないのか?
広げられた服は、純白といえる白をベースに、各所に爽やかな青色で装飾されたローブだった。
恐ろしく高価であるはずのそれは、嫌味に感じるどころか、気品を感じさせる逸品だ。
全体的に輝くような艶があるのはミスリルに漬け込んでいるからだろうか?
聖女が着るならこれ。
これを着たらもう聖女、というくらいの出来である。
これは聖女ムーブが捗るな!
どうせニヤけてるんだろうと顔を覗き込むと、アンリは真っ青な顔をしていた。
「アンリ……?」
「お姉様?」
アンリは震える手でローブを受け取り、消え去るような声で呟いた。
「これは――神託でみた私が死ぬ時に着けていた服だわ」
アンリの震える声が真に迫っており、誰も言葉を発する事ができなかった。
アンリは青い顔したままローブを手にして動かない。
店内から音が消えると、先程まで気にもならなかった、外の雑踏の音がやけに大きく聞こえた。
店の前を誰かが歩く靴音が響く。
こつ、こつり。
誰もが言葉をなくし、沈黙が広がる店内に、靴音だけがやけに大きく聞こえる。
まるで避けられない未来がゆっくりと近づいて来ているかのようだ。
――アンリ、あの夢の話マジだったの?
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