『音楽評論家は聞いた』


 入院中の宇渡雲氏は、動くこともままならず、誰が、空からまぐろを落としたのかも判らず、なんで、それが自分に当たったのかなどは、なおさら、さっぱり判らないので、鬱々とした日々を過ごしていたのです。


 名高い指揮者や作曲家の見舞いがあるかと思いきや、『先生の安静のお邪魔になるから』とかいう、見舞いのコメントが来るくらいで、極めて静かな病室でありました。


 雑誌の担当記者が、多少、来たくらいですが、それは、仕事の一環なのだろうと、思われました。


 『まあ、天が、宇渡雲よ、少し、休めと、言ったのだ。』


 奥さまには、そう言ったらしいですが、かなり、寂しそうだったようです。


 そこに、看護師長がやってきて、言ったのです。


『先生、面会のご希望の方がいらっしゃいますよ。指揮者さんとか。』


『ほう。だれ?』


『それが、名刺、読めなくて、しょ、てん、さんか。なんか、です。』


『しょてん? 本屋さんかいな。今、だれも、会いたくないよ。あ、あ、まて。しょてん? おわ、解った。いい。入れてください。』


『いいんですか?興奮しないでくださいね。』



  ・・・・・・・・・・・・・・・・


 指揮者、『どころ のり』は、しゃれたスーツに、赤いネクタイでやってきていました。


 また、丁度、よい、タイミングで、奥さまが買い物から戻ってきたのです。


 まだ、若そうな指揮者は、お見舞いとして、『不思議が池お気楽饅頭最高級バージョン』を持参していたのです。


 それは、奥さまから、先生の、ベッド脇に置かれました。


 幸子さんは、人助けの女神様であるとともに、本来は、地獄の使者として、祀られてきた女神様でした。


 だから、お気楽饅頭は、あまり、見舞いの品としては、好まれません。


 ところが、この、評論家さまは、これが、大好物だったのです。


『君は、なぜ、この、饅頭を持ってきたのですかな?』


 毒舌評論家先生は、尋ねました。


『先生が、お好きだと、聞きましたから。』


『ほう?』


『先日は、御来演いただきましたうえ、ご批評までいただき、ありがとうございました。おかげさまで、楽団の知名度が、いっぺんに上がりました。深く感謝申し上げます。』


 評論家さまは、目を、まるで、映画の中のサリエリ先生のように細めながら、言いました。


『そりゃ、どうも。しかし、こうなったのは、君の、呪いではないか、とかの、噂もあったんだがね。』


『ま、あなた。そんなこと、おっしゃいましては、失礼ですよ、まったく、もう、困った人で。』


 奥さまは、大変に、きさくで、威張るような雰囲気もまったくない、実に話しやすい人なのでした。


 この、奥さまがいて、この、評論家さまは、まだ、身が持っているのです。


 実は、非常に、優秀な文学者で、音楽評論家でもあり、音楽自体にも、深い造詣と、鋭い耳がありましたが、いかんせん、書きすぎるきらいはありました。


 まあ、それが、売り、だったのですが。


『いやいや、先生は、恩人です。そこで、ちょっと、お耳に入れたいことがありまして。』


 奥さまはは、気を利かせて、『あっ、お洗濯してましたのよ。』


 と、言いながら、出て行きました。


『素晴らしい奥さまですね。』


『ふん。うるさくてね。で?なにか?』


『先生が、覚えていらっしゃるかどうか、わかりませんが、あの、オーケストラにいた、ヴィオラの、眼鏡の女性ですが。』


『ああ、分かるよ。なかなか、腕は良さそうだ。回りが付いてこないので、多少、イラついていたな。』


『さすが、お見通しですな。実は、彼女は、地獄の鬼で、現世の調査に来ていたのですがね、腕はおっしゃるように、抜群によいが、いくらか、この世に、災いをもたらすので、地獄に、返しました。先生の頭に、まぐろを、落としたのは、彼女でしょう。あの、記事に、逆恨みしたらしい。申し訳ございませんでした。では。これで。』


『待て、待て、なんだって?それは、なに?

君は、何者?何をしたって?』


 先生は、首が回りません。


 指揮者は、もう、いませんでした。


 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


            つづく



 


 


 


 




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