高層スラム ‐4


 そうしてルドセイは語り始めた。

 この少女、右那は〈神〉の遺伝子を細胞に宿した奇跡の生命である。とのことだ。〈神〉とは大変いいかげんな概念だが、これはヒトゲノムの行き着く究極進化形態に〈神〉という表現を当てはめたに過ぎない、いわば記号である。

 そしてあの邸宅ことマクスウェル邸の地下は、ロイ・マクスウェル博士の秘密研究施設だということらしい。

 マクスウェルが行っていた研究とは、偏に神への挑戦である。元来ヒトがその身に宿す神の断片を覚醒し、ヒトそのものを生物として次のステージに導くことが彼の目的だった。

 人類は文明社会の発展と共に退化した器官が存在していた。この数世紀誰もが信じなかった事実。人が神や天使を虚構だと軽んじるのは、所詮それらを感じ取る器官を失ったからに過ぎない。その名も〈神納中枢〉。脳実質に接続する器官であり、人体で唯一の見えざる臓器なのだ。

 マクスウェルは何百回にも及ぶ人体実験の末、ついにこれの立証に至った。結果、生み出されたのは遺伝子操作によって神納中枢を確立した新しい人類、否、一度古代人類に立ち返り、そこから進化の分岐を正しく踏ませたヒトの亜種である。

 右那はその内の一体。古より秘めたる超常的な力を体に備える。その力とは果たしてどんなものか。実のところ、今日多くのデリーターが断片的にその力を持ち得ていた。

 マクスウェルの実験は続き、次なる段階は現代人の覚醒だった。右那の神納中枢から発する特殊脳波を解析し、外部からの刺激によって一般人においても神納中枢を引き出すことを試みたのである……。


 ……それがデリーターだって事?」

 ――そういう事であるな。しかし、こちらも簡単ではなかった。覚醒の為の外部刺激、すなわち、〈ヴェンターパルス〉は、多くの人間の脳をただ破壊するだけに終わった。だが、実験に動員された死刑囚らだけは違ったのだ。彼らの脳は一般人と明らかに差異がある。脳機能の性質が古代人類の其れに近似し、第六感を匂わせる神経が異様に発達していたのだ。そして予想は見事に的中し、彼らの大半が神納中枢開発に成功したのである。

「なるほど、それがこの能力ってわけ。まぁいいけど。どうしても納得できない事が一つ。いや、そもそも右那の出生がそれってのも、十分に気に入らないけど……」

 ――汝の言いたい事は分かる。

「それが肝心なことだろ。なんで右那が消される必要があるのかって」 

 問題はそこだ。今置かれている状況を改善しようにも、根本の原因が分からなければどうしようもない。

 ――うむ。


 ルドセイは話を続けた。

 右那の抹殺依頼は他でもないマクスウェル自身とその取り巻きが出しているものらしい。ある程度のデータが取れた今となっては、彼女はもはや人類の脅威となりかねない核兵器のような存在なのだ。右那が全細胞に秘めた力はデリーターや使徒の比ではなく、本質的に神となり得るオリジナルの力、彼女自体がまさに超常現象と言える。今は単純に覚醒前、しかし一旦それが目覚めた暁には何が起こるか予測不能、完全に未知なる領域であり人類社会にどんな災厄をもたらすのか想像もつかないのが現状だ。

 それに加えて、どういう訳か右那の存在を嗅ぎつけた公安省も同時に彼女を狙っているという構図だ。肝心の右那は自らの消滅を望んでいるが、そんな事も知らずに、どうしても武力、暴力で解決を図るあたり、彼らはよほど恐れているのだろう。彼女、右那という神なりうる存在の脅威に。

 

「で、ロリコンのルドセイは、そんな連中から美少女を守るため、俺に協力をあおってるてわけ」

 ――ば、馬鹿者! 誰がロリコンであるか!

「……」

 ――そ、そのような卑しい発想は早急に捨てるのだ。吾輩は冷厳なる存在であるぞ。

「知ってる知ってる」

 これ以上聞くのは野暮というものだろうか。無論、ルドセイがロリコンの変態かどうか、なんて話ではなく殺人アプリ〈フリーアサシン〉とロイ・マクスウェルの関係だ。

 彼の言う話が本当ならばマクスウェルの研究成果がアプリの機能の根幹を成しているわけだが、それはロイ・マクスウェルもアプリ運営関係者という認識で違いない。

 だとすれば、右那の抹殺は一個人の依頼というよりはフリーアサシンの総意ともとれるが、ではルドセイは一体何を企んでいるのだろう。彼もまた運営幹部の一人であるはず。まさかこの期に及んで中立的傍観者を自称するのは無理がある。傍から見て、ルドセイが右那が助かる方向に誘導しているのは火を見るよりも明らかだろう。

「やっぱロリコンじゃないですか」

 ――む? 汝、いま何を言ったのであるか?

「はっきり聞きますけど、あんたの立場ってどういうサイドなわけ、俺にとって」

 ――言ったであろう、よき隣人であると。

「つまり、ロイ・マクスウェルとやら含め右那抹殺を目的とするアプリ運営サイドでありながら、俺の行動を阻止するわけでも無い半端な位置だと?」

 ――汝、あまり末端のデリーターが深く首を突っ込むことではないのあるぞ。そういう輩は早死にするのである。

「は? なんだそれ、笑えるっての。右那の正体をべらべら喋る時点で……、いや、やっぱり野暮な質問はやめとくわ。つまるとこ、俺は右那が助かりゃなんでもいいんだ」

 ――うむ。

 このドローンを希望として捉えるのが今一番の最善だ。その理由を今更分析するまでもない。名探偵の出る間もなく、自分のような引きこもりニートが何故か神能を得ている時点で、この答えは出ているようなものだ。

「……なぁルドセイ、例えば俺が、ロイ・マクスウェルの殺害依頼を出しても構わないよな?」

 ――バッハッハッハ。面白い。しかし無駄であるよ。居場所のわからん者をどうやって依頼要項に書き込むのだ。バッハッハッハ。

「まぁそうなるよな」

 流石にそんなあからさまに支援するのは御法度のようだ。だが、ルドセイのさわやかな言葉に抵抗感は微塵もなく、まるで場所がわかれば試してみろとでも言いそうな勢いだ。

 希望は繋がっている。活路はある。

 当面の目標はロイ・マクスウェルの抹殺。それが叶えば右那を狙うデリーターは暫くの間は途絶えるはずだ。

 もはや依頼もクソも関係ない。自由にやらせてもらおう。これがデリーター、ノロクロの進む道なのだ。



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