地下研究室 ‐2


 その後、ルドセイの誘導に従い更に下の地下二階に足を運んだ。

 地下二階の状況を言えば、それは頑丈なコンクリートで囲ったホールが圧倒的規模の空間容積を占めていた。その天井は通常の三階建て家屋が優に収まるほど高く、向こう側の壁は遠く暗闇に遮られて見ることが出来ない。

「ここは?」

 ――照明をつけるのである。すぐ横にレバーがあろう。

 指示通り、手で握るほど大きい照明スイッチを降ろすと、たちまち巨大ホールは光に包まれた。 そして、そこで目にした光景と言えば。

「な、なんだこれ」

 凄惨な殺戮を物語る無数の白骨遺体が、隅の方に寄せてかためられ、人骨があちらこちらに小山を成していた。この死体の数は、もはや上の屋敷に転がっている量とは比べものにならない。何百、いや何千はあるだろう。

 ――これは、神としての素質をその身に宿す超常の存在による仕業である。

「どういうことだよ」

 ――汝が守ろうとしている者の正体である。汝等デリーターはアプリによって幾らかの異能を使えるようになるが、あの少女は生まれながらに異能の根源を細胞に宿し、あらゆる可能性を解放したまさに神とも呼べる存在、いや化け物か。いずれにせよ人の生み出した罪そのものである。あれは殺戮が人の皮を被って歩いているようなものだ。一度血が昂ぶれば汝など容易く捻り潰されよう。

「ば、馬鹿な……」

 突然そのようなことを告げられて、一体どうリアクションをとったものかもわからない。だいたい今の説明にはわからないことが多すぎる。異能? 神? 人の罪? もうわからないことだらけだ。

 だがそれでも、ルドセイの伝えたい事は、結論たったひとつだと、それはわかる。

 目の前の光景を造り出したのは紛れもなく右那で、そして途方もなく危険な存在であるようだ。もちろん信じられるはずもない。どうやれば人をこんなに沢山殺せるのか想像もつかない。そしてなにより、あの無邪気な少女が一体どんな表情で虐殺を行うのかわからない。

 ――そういうことである。汝が健やかな暮らしを望むのであれば、あの者との接触は控えるべきであると吾輩は提言しよう。

「……、そうですか」

 ――うむ。

「で、そんな下らないことを言うために、貴重な俺の数分を奪ったわけですね」

 ――?

「はっきり言いますけど、今の話全く意味不明でした。ですけど、仮にもし右那がこの大量虐殺をしたとして、それが何ですか? 俺があの子を助けるのを辞めるかって? ありえない。右那の正体が何ですとか、本当にどうでもいい」

 顔の中には与破音の顔がよぎる。彼のような犠牲は二度と御免なのだ。その者が何であろうか、など端から関係がない。

 ――……。

「もういいですかね、俺は時間を無駄にしましたよ。お陰で左腕の痛みを思い出しそうだ。ああ、そっちからはわからないですかね、俺の状態は」

 そう言って千切れた左腕を思い出したようにおさえた。気を抜けば意識はすぐに飛ぶだろう。すでに失血は相当だ。右那の方に時間的余裕が見込めたとして、こちらが動けなくなるのは一分一秒を争う問題になりつつある。

 そうして、電話を切ろうとした。

 だがその時だ。今度はうって変わって珍妙な高笑いがスピーカーを不快に割る。


 ――バッハッハッハ。よろしい! よい答えなのである! これより汝は吾輩のよき隣人となろう。力をくれてやるとは言わんが、その領域へ導くのは容易い!

「力を?」

 ――しかし、一応事前に言っておくが、それでも珀斗には決して勝てぬぞ。あの者はデリーターではない。あれこそ完全覚醒へと至った究極のデリーター、すなわち使徒である。

「なんですか。その拗らせたような名前は」

 ――汝等デリーターは業を積むことで、内なる神の断片を解き放ち、少しずつ〈神能〉を会得する。そしてその全てが揃ったとき、使徒という高位の存在へと変異するのだ。

「業?」

 ――業とは殺しのポイントのことだ。デリーターは殺人行為を重ね、それに応じた異能の力、すなわち〈神能〉をアプリを介して得ることができる。そしてそれが全て揃い、更に肉体にまで変異をきたした完全体を使徒と言うのだ。

「それじゃ俺は……、駄目じゃん」

 ――このままでは、汝は無駄死にであろうな。滑稽である。バハハハハッ。

「……いや、無駄死にじゃない。無駄生きをやめるんだ。いま生きてる理由ってんなら、あいつを助ける事の他に、なんもない」

 そしてこの間に一瞬の沈黙が流れた。

 こんな腐った人生などさっさと捨ててしまいたいといつも思ってきた。だが、こうして自身の生死と真剣に向かい合うのはこれが初めてだと、たった今自分に気付かされた。

 ――よかろう。

 ルドセイは静かに続けた。

 ――通話をスピーカーモードにし、黒スマホのメニュー画面を開くのだ。吾輩の言うとおりに操作せよ。

「は、それってどういう?」

 ――黙って手を動かすのだ。それではメニュー画面からステータスを開き、神能解放と書かれたアイコンをタップせよ、それで一覧が現れよう。

「……わかった。これだな」

 指示された手順で画面に表示されたのは〈神能一覧〉と題された能力名の羅列。軽くスクロールするとざっと五十以上はありそうだが、中には聞いたことのあるような名前も見かけた。〈彩色同化〉〈無音行動〉。しかしそれらの表記は暗く、タップする度に『業が足りません』というメッセージが現れた。

 ――しばし待て……、よし。どうであるか。こちらから操作した。

 ルドセイがそう言う途端、能力名の表記がパッと明るく変化し選択可能な状態になった。

 ――吾輩が言うものを選ぶのだ。今の汝には暗殺用の能力など無用、対戦士用の力を得れば、汝でも使徒に瞬殺される事は免れるはずである。

「ははは、やっぱ勝ち目ないわけ」

 瞬殺は免れると、何とも微妙なもの言いだが、確かに一瞬でも長くチャンスがあるのなら、それに越したことはないだろう。

「これだな。押した」

 ――よろしい。では黒スマホの指示に従い、スピーカーを耳にあてるのだ。吾輩との通話はもう必要なかろう。では、健闘を祈る。

「ちょっと待って、どういう風の吹き回しだ。俺に肩入れしようってんだろ、これ」

 ――そういう訳ではない。吾輩にも色々と複雑なあれこれがあるのだ。義理を感じるのであれば吾輩から助言があったことは黙っているように。よろしいかな。

「あ、ああ。わかった」

 ――それと、その神能に換わる業は不正操作によるイカサマではない。汝は既に大きな業を積んでいるのだ。吾輩は特別にデリーター登録以前に記録を遡りその業を適切に還元したにすぎないのである。

「え?」

 ――時間が惜しいのであろう。さぁ行くのだ、ノロクロ。さらば!

 最後に気になることを言い残し、一方的に通話を切断された。

 今まで、まさか人を殺したことがあるとでも? と、そう思った瞬間、あの夜に襲ってきたピエロの顔がふと思い浮かんだ。まさか、あれが自分が殺人に換算されようとは……。

 もしそうだとすれば、全てはくろすけの導きなのだろう。迷わず進めと言っている。


 威勢良く指示された能力名をタップした。再度確認のメッセージが現れ、躊躇いなく承諾を押した。すると黒スマホから自動音声が流れ始め、言われる通りスピーカーを耳に押し当てた。


『神能解放の作業を行います。半径三メートル以内に人がいないことを確認してください』


『十秒後にヴェンターパルスを発生します。ジュウ、キュウ、ハチ……』


 これでもう引き返すことはできない。これより、少しだけ人間を離れる。


『サン、ニイ、イチ、ゼロ……』

 その瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が頭に走り、目の前が真っ白に。思わず倒れてしまいそうな勢いだった。脳味噌が痺れている。頭蓋骨の内側が焼けている。自分の知らない感覚が頭の中を駆け巡り、首を降りて全身を伝った。人ならざる何者かの感覚だ。

 新しい力、新しい自分との出会いだった。


 

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