フリーアサシン ‐1
朝のニュースを確認する。という日課があるわけでは無いが、取りあえず目を覚ましたら一通りの記事に目を通す習慣があった。新しいゲームや小説、漫画、アニメの情報、そのおまけ程度に世間の出来事についても多少は眼中に入れていた。
そして今、丁度気になる記事が目に止まり、スマホのスクロールをピタリと止めた。
『フリーアサシン ~殺人代行マッチングアプリ~』
なんだこれ。
しかし、ついタップしてしまった後に気付く。これはニュースの記事ではなく、記事に似せた広告だった。画面はすぐにアプリのダウンロードサイトに飛び、勝手にインストールを始めていた。
「あぁ、ちょっと待て待て、ああ、まいっか」
すぐにアンインストールすれば済む話だ。こういう類いの怪しいアプリでは、会員登録やら何やらで架空請求があったとしても、結局は個人情報さえ与えなければ何も起きない。
「くっだらね。あぁ~あ、苛つく」
それだけの事。よくあるつまらない話だった。
起きた時刻は午前の十時だった。カーテンから薄ら漏れる光が教えてくれる。それで、そんな柔らかな朝日に起こされたのならば、さぞ素敵な朝だった事だろう。実際に、よくも叩き起こしてくれた正体は、今まさに頭の中にギスギス響く不快な音波に違いない。
近所の小学校からだ。今日は運動会。自宅の前を通る人の声が、音響から響く人間の声が、そして子供のはしゃぐ喚き声が、頭の中をガンガン、ギスギス、ぐっちゃぐちゃに黒く濁した。
「シネ、シネ、シネ、シネ……」
そっとカーテンの隙間から外を覗き、駆け回る子供を遠くから睨み付けた。こういう活きの良いガキが、成長した将来あのコンビニの合コン連中みたいになるんだ。早々に息の根を止めたい。
煩いのでヘッドホンをして布団を被った。ニュース記事漁りを再開。
『環太平洋共栄機構、ウェリントンで第4回首脳会議開催……』
『公安省‐特別高等作戦群は全国十二ヶ所に拠点配備を完了』
『野党新勢力〈科学経典社〉が現政権を痛烈に批判』
特に興味も無い政治・国際系ニュースは速やかに飛ばした。次へ。
『〈ヒトと地球の未来を考える会〉が新国会議事堂前で抗議集会』
気になる単語が出た。ここでスクロールを止める。
極めて不愉快な文字列であった。記事の詳細を開けば苛立ちは増すとわかりつつも、それでも親指が止まることはない。
何年前だったかの学生時代、就職対策の一環としてこれに参加した経緯があるが……。思い出すだけでも胸がむかむかしてくる。今にも吐きそうだ。気持ち悪い。
だが、それでも指は止まらなかった。
『一日、〈ヒトと地球の未来を考える会〉は全人類の平和と平等を訴え、国会前で千人規模の抗議活動を展開した。登壇にてメガホンを握るのは、昨年ノーベル平和賞受賞の人権活動家である僧侶、是雲氏。集会では警戒治安法の可決に対する抗議を行った。来月三日に審議される太平洋軍への自衛隊参加が可決されれば〈ヒトと地球の未来を考える会〉は更なる規模で抗議デモを行うと声明を出している。代表の是雲氏は「すべての人類の人権を守るためならばどんな行動も辞さない」とコメント』
つい、声を出して笑ってしまった。外の小学校まで届きそうな奇声で転げ回った。同時にまた嘔気を催してクズカゴの前に伏して嗚咽した。
「ぅぎゃぁあははっははっはっは、おぉおおぇえええ、あひひひ、おえっぁあああ」
人権、平等、平和、愉快な単語ばかりが飛び出してくる。愉快だ。本当に不愉快だ。
「っざけんなこらぁあ!」
ひとり絶叫し、壁にクズカゴを投げつけた。
「何が平等だ! いい加減にしろってんだクソ! 人権人権人権人権ってなぁ、じゃニート救ってみろってんだ! バカヤロォ!」
到底聞き取れない言葉で喚き、ひとりで疲れ、全身で息を切らした。しかしそれでも止まらない興奮がドクドクと体中を駆け巡り、天井を仰いで目玉をぎょろつかせた。
「ざけんな、ざけんな、はぁ、はぁ……」
丁度、そうしているタイミングだった。
静かに階段を上る体重の音がした。小さな足が着いては離れ、そして扉の前で停止する。軽いノックに扉が鳴った。
――大丈夫なの? なにかあった?
嗄れた女の声。
酷く耳障り。さてはヒトの頭の血管をぶっちぎる企みなのか。
「うっせえええなババァアアアアアア! 用がねえなら喋り掛けんな!」
――そう、いきなり大きな声がしたから。ごめんなさいね。
「小遣いねえならさっさと帰れ! クソババア!」
――…………。
そうしてそれは黙って立ち去った。
なぜこうも人の静寂を邪魔する奴らばかりなのだろう、最近こういうのがやたら多い。こっちは人の邪魔をしないよう気を遣ってばかりいるというのに。なのにどうして。そりゃたまには叫びたくもなるだろう。それで叫べば叫んだで怒る行為さえも阻まれる。やってられない。こんな生活、こんな人生。
さて、既に詰んでいる人生などに囚われず、今日もネットゲームをと、パソコンの電源に手を伸ばした。
けれど、その手前でふと指が止まり、そのまま固まる。ライトホープの顔が頭によぎった。
あの人に一体どんな顔を合わせればいいんだと考えた瞬間、パソコンを起動する体がフリーズしてしまう。
そう、唯一の居場所を自分の手で壊してしまったのだ。単純にあの人に会いたくないならば無視すればいいだけの話だが。だがしかし……。
結局パソコンはつけず、デスクに肘をついてスマホ弄りに時間を浪費した。〈ビオトピア・エーデ・オンライン〉に降りることなく。ライトホープとのことはきっと時間が解決するだろうと、安易な思惑に面倒を委ねた。煩わしい小学校の音を聞き流しながら、ため息。そしてまたスマホの画面に視線を戻す。
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