ビオトピア・エーデ ‐4


『ニート 死んだ方がいい』

 時々この検索ワードを打ち込んでネットを徘徊した。ちゃんとしたブログでこんなことに言及してる人はいないが、開かれた掲示板では好き放題に言われ放題。別に擁護されたくて誰かの意見を探してる訳では無い。逆に真っ当な人間の素晴らしい意見を探し出しては自ら怒りに浸る行為を繰り返していた。

『ちゃんと働け。日本社会の穀潰し』

『寄生虫。こういう連中は職業訓練所に強制収容すべき』

『徴兵制を復活させたら? ニートなくなるでしょ』


「うるせえ。シネ」

 わざわざ自分から不愉快なコメントを探して、ちょっと見たらもう撤退する。精神がもたない。これ以上は自分の正当性を保つ自信が無い。

 わかってる。そのとおり、死んだ方がいい。死にたいんだ。誰が勝手に生み落としやがった。一体誰が働きたいだって言った。こんな社会不適合者を生み出しやがって。働かなくて当然だろう。やる気がないんだ。人生のやる気がない。働けだなんて、勝手すぎる言い分だ。

 と、誰かに言って聞かせたいが。一度掲示板上でぼやいてボロクソに叩かれた。

『お前が勝手に生まれてきただけ。死にたいなら迷惑掛けないようにお願いします』

 以上。

 さてネットゲームでもしようか。いつもの場所へ〈ビオトピア・エーデ・オンライン〉の世界こそが現実だ。今日も入り浸りたいと思う。ライトホープもきっといるだろう。あのおっさんも恐らくは無職の引きこもりだ。

 

『やぁ少年、ごきげんよう』


 本当に期待を裏切らない人だ。東の街の酒場に来れば大抵端っこに座ってる。深夜でも早朝でも、もちろん平日の昼間でも見かけるのだ。わざわざ、働いてないんですか? なんて聞きこそしないが、どう見ても働いてない。社会のくずである。

『ども』

 取りあえず隣に掛け、ジョッキ一杯のハチミツビールを注文した。

『おやおや元気が無さそうだねぇ、ノロ氏。なにか嫌なことでもあったかい? いつもに増して荒んで見えるよ?』

 その言葉に無防備な心が意表を突かれた。素手で心臓に触られたような不意打ち。彼女の蒼い瞳は、胸中を見透かされそうなほど澄んでいた。

『いえ、別にいつも通りですけど』

 もちろん偶然だ。顔も声もわからない空間で、どうやって人の心を知れようか。

『なんだい、つれないねえ。君と僕の仲じゃないか。なんでも喋ってごらんよ』

 だが図星である。コンビニといい、ネットといい、厳しい世間の風に当てられ、今の気分はまさにどん底であった。

『……』

 それで、この美しい女神はどんな甘い言葉を耳元で囁いてくれるのだろう……。

 なんて、馬鹿馬鹿しい。こいつはおっさん。何を語り出そうが気持ちの悪い人形遊びだ。

 今日はライトホープを純真な気持ちで見れそうもない。やはり荒れているのだろう。この人がおっさんである事に無性に心が毛羽立って収まりがつかないのだ。

『あなたに現実のこと話して、建設的な意見が聞けるとはとても思いませんけどね』

『ふぅむ、今日のノロ氏は何だか穏やかでないね。ホントにどうしたよ』

『別に……』

『友達じゃないか、僕は君のこともっと知りたいなぁ』

「…………、は?」

 その刹那、その言葉、スイッチが入るよう大学時代の記憶が蘇る。連中はその言葉を好んで使い互いの絆を深めた。無償の厚意を強要し、何の責任も負わず、自身らの都合で簡単に切り捨て、そして集団で個人を貶める。それが彼らにとっての合言葉〈友達〉だった。

 込み上げる胸の熱量。それを抑える冷静さも効かず、そのまま喉から溢れ出た。


「あんたは友達なんかじゃない!」


 ゲーム中に怒鳴る機能などないが、そのチャットの一文にライトホープは沈黙した。

 衝動的だった。気安く友達なんて言葉を使われたことに我慢ならなかった。

『あ、……あぁ、そうか、悪かったね。訂正するよ、君は相棒だ』

『やめてくださいよ。現実に友達がいないからって、こんなとこで友達ごっこするのは』

『いや、そんなつもりは……』

『調子のいいことばかり言って、あんたも引きこもりニートなんだろ? 同族だと思ってベタベタすんなよ、俺の苦しみをわかったつもりでいんのか? あんたに俺の何がわかるよ。俺も別にあんたの素性なんて知らないけど、勝手に仲間って決めつけんな。俺は……』

 ライトホープは、何も言わなかった。

『…………』

 その様子を見てはっと我に返った。慌てて途中で文を切った。

 この人はネットの掲示板連中みたいに否定的な言葉で人をぶっ叩くことはしない。ただ黙って、静かにそこに座っていた。

 少し冷静になった途端、感情任せに悪態をついてしまったことを全速で悔いた。文面上だからといって言葉選びが軽率すぎた。

『あ、…………あの、すみません』

『いいさ。いや、今まですまなかったね』

『すみません、俺、そんなつもりじゃ……』

『いいって。ホントに良いんだ。君の言うことはもっともだと思うよ。それに今日は、君は酷く疲れてるように見える。そりゃ画面越しでもわかるとも。だから、今日はもうおやすみよ。僕も寝るとする。ああ、もう3時だね』

『…………、すみません』

『それじゃ』

『……』


 電源を切り、冷たい床に突っ伏した。

 ……なにやってんだ。

〈ビオトピア・エーデ・オンライン〉の世界が自分の生きる全てだと言うのに、よりにもよって自分の手で壊してしまった。いま唯一の人間関係と言えるものを破壊した。

「あぁ、死にてえ」

 本当に死んだ方が良い。全力で死ぬべきだ。

「ライトホープのおっさん、ごめんよ。まじで、ごめんよ」

 仰向けになって、両腕で目を覆った。暗い部屋の一室で、更に深い闇に沈んでいく。

「俺、どうすりゃいいんだ。マジでゴミだよ、ゴミ。なぁ、くろすけぇ」

 しかし、最後の友達は写真立ての中、もはや何も語ることはしないのだ。「うにゃあ」とも「ごろごろ」とも、二度とその声を聞くことはできない。





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