ビオトピア・エーデ ‐3
ライトホープというのは、このオンラインゲーム〈ビオトピア・エーデ・オンライン〉における、とあるプレーヤーのアバター名。射撃で有名な凄腕ハンターだ。チャットの内容からして、中身がおっさんであることは間違いない。大体が男受けのいい装備をしてる女性アバターほど中身が男であることが多いものだ。この人も例に漏れず、男。いわゆるネカマの一種である。
『おーい、どうした? ノロ氏。クエの報酬貰いに行くぞ~』
煌々と光る液晶パネルにチャットの文字が連なっている。
『ノロ氏?』
『すみません、ちょっと感傷にふけってました』
『どういうことだ?』
『いや、世界は残酷だなって。思って。なんか悲しいんです』
『なんだなんだ? それは、この僕に癒しを求めていると言うことかい?』
『ライトホープさん、今日もあなたは綺麗だ』
『へ? な、ななな、なにを突然、どどどうしたんだ? 褒めても何もでんぞ、こ、ここ、この小童めが! うへ、うへへへ、うぇへへへへへ』
そう。ただの文章に頬を赤らめて見せる機能はないし、有名声優が声を当ててるわけでもない。むしろ、と言うべきか、この文面を冷静な頭で考えて打ってる男が画面の向こう側にいると思うと。ぞっとする。
『あなたが綺麗で、綺麗すぎて。だから鳥肌がやばいんです…………』
本日限定の高難度クエストを全国最速タイムで達成した。到底一人では成し遂げられなかっただろう。このオンラインゲームを始めてから、はや一年以上が経つが、上位に行けば行くほど近接タイプハンターの単独狩猟は厳しいものだ。
今日も本当に疲れた。今日? ゲーム内では昼間だが……。
痙攣する目蓋を画面からピクピク離して時計に目をやった。4時。これはどっちのだろうか。まぁ、どちらでも関係ない。朝だろうと夕方だろうと今日限りの特別クエストはクリアしたのだ。
本当は永遠にソロプレーヤーを貫くつもりだった。人と関わるのは心底煩わしく、それはゲーム内でも同じだと思う。しかし、ライトホープに出会えたのは結果的に良かった。出会ったきっかけは偶然にすぎないが、あの人との会話は不思議と居心地がいい。狩猟タイプの相性もよく実力も近かったため、以来パーティを組んでよくクエストに行く仲になっていた。
もはや男でも女でも関係ない。けれど一体、この人は自分にとって何だろうと、ふと思う。友達? いいや違う。友達という言葉は大嫌いだ。この人は、まぁゲーム内で言っていた相棒という関係が良くも悪くもちょうど良い。
もう『友達』なんてのは、どこにもいない。
暗い部屋に液晶の光が真っ青な顔をぼんやりと照らしていた。生気の抜けたような瞳は、既に外界との同期を断って久しい。覚醒の限界が来れば目蓋を下ろして横になり、飢えに衝動を駆り立てられれば、適当に菓子を空けて炭酸飲料を喉に流した。最後の友達との別れを経てから、もうずっとこんな生活だ。
これは、死んだ方が社会にとって有益とされる、ゴミ人間なのである。
二十三歳男、無職。一度社会のレールから外れて以後、この一室で腐敗の一途を辿った。こういう人間を俗になんと呼ぶか知っているだろうか。そう、ニートだ。
一人前の大人にも関わらず、就労せずに親の収益に依存している人のことだ。中でも深刻なニートはネットやゲームなどにどっぷり浸かって、精神的かつ物理的に社会から分離している。それでもし親が働けなくなった時、彼らは共に滅びるつもりなのだろうか。
「あぁあ、なーんで生きてんだろ。ほんっと」
床に仰向けに転がり、疲弊した両目は視線を宙に泳がせる。
ふと横に顔をやると、写真立ての友達が不思議そうにこちらを覗いていた。真っ黒い体はもふもふで、金色のくりっとした目がいつも何かを訴えている。その最後の友達は黒猫のくろすけだ。くろすけの死が引きこもりニートになった直接の原因ではないが、それでもくろすけが居なくなってから、精神的に致命傷を負ったのは違いない。
一体、どこで間違えた。
一体、何をさぼっていた。
大人になり損ねた原因は、一体どこにある。
「くろすけやぁ、あぁ、なんで俺は生きてんだよ、なぁくろすけぇ」
写真立てに手を伸ばすも到底届く距離ではなく、右腕は途中で力尽き床に落下。
この暗黒に静かに消えてしまいたい。この先の人生に一体なにがあるというのだ。なにもない。ゲームを離れた瞬間から、黒く陰鬱な形の無い絶望感が体の隅の方から精神を蝕む。そして死にたいと思う。今日この頃。
最後の友達を失って。もうこの世界に用はない。
「死にてぇ」
* * *
あれから何日か経ったか、もしくは経ってないか。おそらく何時間か後の話。
深夜のコンビニへ兵糧の調達に出かけた。誰もが寝静まっているであろうこの時間、ようやく外出の禁が解かれる。
ボサボサに伸ばした長い髪を帽子で強引に押さえつけ、パーカーのフードを深く被った。どうみても不審者だが、この時間に不審者がいるのは不審じゃないからいいだろう。
けれど時に、陽の気を持つ者達が複数人で寄って集まり、この深夜の静けさに相応しくない空間を生み出すのだ。
早速彼らに阻まれた。コンビニの入り口付近にかたまり、わいわいと戯れる彼、彼女らは、察するに合コンか何かの後だろう。歳は同じくらい。はつらつとした若い衆だ。
下らないギャグで気を引こうとする男達。女はこぞって高い声ではしゃいだ。いかにもチャラけた格好の者もいるが、普段大人しそうな輩もここぞとばかりに調子づく。これがアルコールの魔法だ。そして、この上なく邪魔だ。
別に通行を妨げるほど場所を陣取ってる訳では無いが、彼らの作り出すその雰囲気をも占有容積に含めると、コンビニの入り口は完全に封鎖されているのだ。
殺虫灯の下で黙って足を止めた。足下には虫の死骸がヒクヒクと転がっていた。
「ははははははっ」
「マジで受けるんですけど~、きゃっはははははは」
「それなー」
「っていうかさぁ……。あ、見て見て、ほらこの変なアプリさぁ……」
「あ、それ知ってるぅ~」
「ねぇちょっと待って、あの人さぁ、ほらやばくない? きゃはははは」
――いや、構うもんか。別に近くを通った瞬間に絡まれるわけでもない。不良の集会じゃないんだ。ただ酔っただけの若者。同じ人間。
「ははははははは」
「あははははははははははっ」
――なに笑ってるんだ。そんなに面白いかよ。俺がそんなに面白いか。
「ははははははっ、あはははははは」
――そこどけよ、どけって。通行人の邪魔だろうが。
「あはははは、うけるぅ~」
――殺せ、誰かこいつら殺せよ。殺せって。
「あっはははっあははっははっはははは、あはははははっははははっっははははは……」
……。
「だからぁあああ! 邪魔だっつってんだろぉが! ぶっ殺すぞクソ野郎! くそくそクソ野郎! 殺してやらぁあああ!」
と、大声で叫ぶ。誰もいない田んぼ道の真ん中で。
小さな声は途端にカエルの合唱に掻き消された。戦利品はなし。結局コンビニは諦めた。
帽子をとって空を見上げると星が馬鹿みたいに光っている。あの連中みたいだ。
「うぜぇ」
帰宅後、冷蔵庫にストックした缶コーヒーで空腹を紛らわした。しかし、腹の中に溜まった鬱憤が誤魔化されるわけはない。むしろ、下らない缶コーヒーで凌ぐ結果となった事になお苛立ち、収まりが利かなくなった。
「ぁああああああああああああ、くっそうぜえ! シネ!」
空き缶を壁に投げた。
「俺のコンビニでわいわい騒ぎやがって! あいつら何時だと思ってんだ、通行の邪魔、酒飲んでりゃ何でもありかよ、あああああ、うぜえうぜえうぜえ、誰かああいうの警察呼べや、いや、殺せ、殺せ殺せ。人様に迷惑掛けるやつは社会のゴミなんだよ。シネ」
投げつけて返ってきた空き缶を更に振りかぶる。が、その時感じた誰かの視線にピタリと腕が途中で止まった。
横で、くろすけが静かに見つめている。
「…………」
黙って空き缶を床に転がした。
世の中が間違ってる。
「俺は悪くない。死んだ方がいいのはあいつらだ。俺はこんなにも人に迷惑かけまいと静かに暮らしてんのにさ。おかしいって」
加えて、死んで欲しくないものから死んでしまうのが世の常だ。くろすけを殺した奴がどこの誰だか知らないが、ある日のこと、道路で血を流している黒猫を見つけて駆け寄ったところ、まさかそれがくろすけで、もう腕の中でぴくりとも動かず冷たくなっていた。なにを憎んでいいかもわからず。ただ自身の無力に打ちひしがれた。
最後の友達との別れである。
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