第23話 ヒロインに優しい世界


男たちに拉致された私は、罪人のような酷い扱いは受けなかった。手は縛られているものの、私を欲しがっているという貴族の不興を買わないように、ケガをしないよう運ばれていく。


まるで商品のようだわ、心の中でそんなことを考える。まぁ、借金取りである彼らにとっては、私はお金と交換するための商品で間違いない。


どうやって逃げ出せばいい?

魔法は使えるけれど、それも手を縛られていてはうまくできるかどうか。ここはおとなしく、ヒーローであるシリル様が助けに来てくれるのを待った方がいい?


馬車が停まり、私はいよいよピンチに陥っているのだと自覚してきて、だんだんと胸がドキドキし始める。


「降りろ」


男の短い指示に従い、私は転ばないように馬車から降りた。

連れて来られたのは、とても大きなお邸。私は男二人に挟まれて歩き、裏手にある入り口から邸の中へ入ると、二階の客室らしきところへ押し込められた。


「しばらくここでおとなしくしているんだな。逃げられないから、じっとしてろ」


男たちは私を置いて、部屋を出て行った。扉の前で見張りはするんだろうけれど、現状この場から私一人で逃げられるとも思わない。


後ろで縛られた手を擦りあわせ、縄を抜けられないか試してみるがムダだった。こんなにしっかり結ばなくてもいいのに!つい口からため息が漏れる。


ふかふかの絨毯に座っている私は、部屋の中を見回してみた。金縁の調度品に高い天井で輝くシャンデリア、これは相当なお金持ちだわ。


ソフィーユの公爵家でないことは確かで、そのほかのことはまるでわからない。


とにかく私を欲しがったという貴族を待つしかない。諦めた私は、すでに闇色の染まった窓の外をぼんやりと眺める。


――キィ……。


部屋に閉じ込められて数分後、ゆっくりと扉が開いた。


「マデリーン!」


この部屋に入ってきたのは、なんとセラくんだった。彼はすぐに状況を理解して、私の背後に回って縄を切ってくれる。


「セラくん!?どうしてここに?もしかして私のことを助けに来てくれたの?」


どうやって私が攫われたことを知ったのだろう。家に借金取りが来ることは、私だって知らなかったのに。

縄の痕が残る手首を交互に撫でながら、私はすぐそばに片膝をついているセラくんを見つめる。


彼は私の問いには答えず、扉のところに立っていた男たちを睨んだ。


「無理やり拉致してくるなんて、話が違うぞ。縄で縛るなんてひどいじゃないか」

「いやぁ、暴れられるとめんどうなんでやむを得ず。これくらいは大目に見てくださいよ、坊っちゃん」


私は思わず逃げ腰になった。

どう見てもこの男たちはセラくんに従っている。私を連れてこいと彼らに命令したのは、セラくんだった。


警戒する私を見て、セラくんは安心させるように微笑んだ。それはいつも通りの笑顔で、恋情を露わにした瞳がまっすぐに向けられる。


「ごめんね、こんなことになって。マデリーンのお父さんが借金で大変だって知って、それで君がどこかへ売られる前に僕が買い取ったんだ」


「買い取ったって……」


それは借金から助けてくれたってこと?善意で?

セラくんの真意がわからず、私は眉根を寄せた。


「もう借金のことなら気にしなくていい。マデリーンがどこかへ売られることはないよ」

「そ、それは感謝するわ」


セラくんがここでもう一度男たちの方を見ると、彼らは会釈をして扉を閉めた。廊下から足音がしなくなり、私たちは二人きりになったのだと悟る。


「セラくん、あの」


事情を説明して欲しい。

そう言おうとした私の言葉は、彼に遮られた。


「好きだよ、マデリーン」

「え?」

「初めて会ったときから、この子にそばにいて欲しいって思ってた。友達だなんて嘘だよ、僕はマデリーンが好きなんだ。誰にも渡したくない。シリル様にも、誰にも」


目を瞠り、何も言えなくなってしまった私を見て、セラくんは笑みを深める。


「君を買ったのは、君が欲しかったから。友達だから助けたわけじゃない。どうしても君を僕のものにしたかったんだ。例えそれが、金で得たものだとしても」


彼の手がそっと私の頬に添えられた。反射的に逃げようと顔を逸らすと、今度は両手を取られて絨毯の上に押し倒される。


「いやっ……!誰か!」


華奢なのに、セラくんはびくともしない。私の上に覆いかぶさり、うれしそうに目を細めた。


「誰も来ないよ。シリル様も、今はお城で使節団を受け入れる打ち合わせ中だ。それも全部把握済み。マデリーンはここで僕のものになって、ずっと一緒に暮らすんだ」


「そんなこと」


「ねぇ、マデリーンはシリル様のこと好きじゃないでしょ?だったら、相手が僕に変わってもいいと思わない?借金や生活費のことなら心配しなくていい、僕は魔法の才があるエリートだから、一生苦労はさせないよ。王族より自由が利く身分だし、どう考えてもシリル様より僕の方が好条件だと思うんだ」


ごもっとも、と一瞬私は思ってしまったけれど、さすがにこの期に及んで王子様からセラくんに乗り換えたらそれはもうヒロインとしてダメすぎる。


「嫌、やめてお願い」


このままじゃ、いけない。必死でもがいて逃げようとする私に、セラくんはにっこり笑って忠告した。


「抵抗しないで。優しくしてあげられなくなる」

「優しくって……」


もうすでにこの状況が優しくないんですけれど!?この子は何を言っているのかしら。茫然としていると、彼は少しだけ淋しげに笑った。


「ごめんね」

「セラくん……?」


私のことを押し倒しているくせに、なんでセラくんが悲しそうな顔をするの?罪悪感?それとも一方通行の思いがつらいの?

恐怖で占められていた胸に、ふと切なさが生まれた。


「愛しているよ、マデリーン。幸せになろう」

セラくんの唇が私の首筋にそっと触れ、全身に寒気が走る。

もう頭が真っ白で、「ポイントが」とか「イベントが」とかはすっかり頭から消し飛んでいた。


「嫌!リオルド!助けて!!」


涙ながらに叫ぶ私。するとセラくんの動きがぴたりと止まった。


「…………やっぱり、シリル様じゃないんだ」

「?」


彼がぽつりと呟くように言った言葉に、私は目を瞬かせる。

そしてそのとき、部屋の奥にある窓ガラスが勢いよく割れて砕け散った。


――ガシャーンッ!!


驚いてそちらを見ると、そこにはダークブラウンの髪が少し乱れた長身の男がいた。


「リオルド……?」


窓を割って入ってきた彼は、押し倒されている私の状態を見て愕然としたように目を見開く。しかしすぐさまこちらに駆け寄り、セラくんの身体を蹴り飛ばそうとした。


「うわっと、危ない!!」


ひらりと飛び跳ねて躱したセラくんは、扉の前に着地する。


「マデリーン、ケガは!?」


リオルドは私のそばに跪き、安心させるように肩を抱いてくれた。


「もう大丈夫です、遅くなってすみません」

「あ……」


驚きすぎて声が出ない。助けてって叫んだら、本当に助けに来てくれた。ぎゅっと抱き寄せられて、怖くて強張っていた身体がだんだんとぬくもりを取り戻していくのがわかる。


「どういうつもりですか?マデリーンを攫うなど」


剣呑な雰囲気を放つリオルドは、セラくんを睨みつけた。ところがセラくんは飄々とした態度で、まるで遊びにきた友達を歓迎するかのように答えた。


「よく来たね!もう少し遅かったらどうしようかと思っちゃった」


「は?」


私はセラくんの笑顔に目が釘付けになる。リオルドは私をしっかりと抱き締めたまま、チッと軽く舌打ちをした。


「わざと私に連絡しましたね?マデリーンを攫ったから、帰して欲しければ迎えに来いと」

「はぃ?」


驚きのあまり、場違いな声を出してしまった。わざとってどういうこと?リオルドとセラくんを交互に見る。


「私のところに手紙が来たんです。マデリーンを攫ったと。差出人は不明でしたが、手紙に残る魔力の残滓ざんしを探れなかったのでおかしいと思ったのです。元宮廷魔導士である私が探れない相手となれば、その数は限られてきます」


「えー?そこでバレたんだ!?しまった、器用さが裏目に出たパターンか~。僕の予想では、先生が愛の力でマデリーンを探し当ててくると思ったんだけれど」


「あいにくですが、そんなものに頼るよりは普通に探した方が早く見つかります」


「ちょっと思っていたのと違う。正面から敵をなぎ倒して進んできて、ボロボロの状態でマデリーンと抱き合って愛を確かめ合うみたいな展開がよかったのに」


「戦うと時間がかかります。ちょうど登りやすい木がありましたので、適当なところから侵入しようと思ったら、偶然にも最初に覗いた部屋に二人がいてよかったです」


「うわ、何それ。もっと苦労してここまで来てよ!感動が薄れるじゃないか」



リオルドはじとっとした目でセラくんを見る。

私は混乱する頭を整理したくて、額に手を当てて悩みながら尋ねた。


「は?え、待ってセラくん。あなた一体何がしたかったの……?私のこと好きって、あれは嘘ってこと?え?でも、え???」


セラくんは扉にもたれながら、腕組みをして笑った。


「ごめんごめん、嘘だよ。好きなふりをしていただけ!マデリーンはどう見てもリオルド先生が好きなくせに、素直じゃないからちょっと演出してみただけだよ。やっぱり、友達には好きな人と幸せになって欲しいから」


「えーっと、私の借金は?」


厳密に言うと父親の借金だけれど。


「あぁ、それは本当!さすがに借金を背負わせるまで手の込んだことはしないよ。さっきの借金取りも本物で、借用書は本当に僕が買い取ったんだ。別に返さなくてもいいけれど、なんなら先生が払ってくれてもいいよ?」


「わかりました。お支払いいたします」

「リオルド!?あなたまで何言ってるの!?」


思わず彼の顔を見る。すると、真剣なまなざしで彼は告げた。


「あなたが頼るのは私だけでいい。他の男が借金を肩代わりするなんて許せません」

「……本当に、何言ってるのよ」


かぁっと顔が赤くなるのがわかった。

至近距離で独占欲を口にされたら、恥ずかしくて全身がむずがゆい。胸が詰まって、今にも倒れそうになってしまう。


「マデリーンが攫われたと知ったとき、私は生きた心地がしませんでした。これ以上そばにいたら気持ちが抑えられなくなると思い、いっときは距離を置こうとも思いましたが、あなたを守れない恐怖を知ってしまったらもうシナリオなど気にしてはいられません」

「リオルド……」


「愛しています。ここが仮初めの世界だとわかっていても、あなたを愛しています」


強く抱き締められて、私は心の底から幸せだと思った。縋るようにして抱き返すと、もうこのままずっと一緒にいられるんじゃないかと思ってしまうほどで。


「私も愛しているわ。あなたなんて嫌いだけれど、でもそれ以上に好きになってしまったの」


ごめんなさい、もうヒロインは演じられない。

心の中でそっと懺悔する。


微笑み合っていると、甘い雰囲気を邪魔する声が割ってはいった。


「はい、ちょっとちょっと!ここは僕の家なんですけれど!ようやく素直になったのはよかったけれど、目の前でイチャつかれたらたまったもんじゃないよ。もう帰ってくれない?」


セラくんの存在を忘れていたわけではないけれど、二人で盛り上がってしまった。ものすごく気まずい。

真っ赤な顔で俯くと、リオルドが私を横抱きにして立ち上がる。


「きゃっ!」


思わずしがみつくと、彼は出会った頃のような意地の悪い顔で笑った。


「帰りますよ、愛しのマデリーン」

「いきなりそれはずるいわ……!」


セラくんは扉の脇に移動し、道を開けてくれた。


「幸せになってね、マデリーン」

「ありがとう。本当にありがとう、それに色々ごめんなさい」


リオルドに抱きかかえられた状態でお礼を言うのはちょっと、なんだけれど彼は私を降ろしてくれないので仕方ない。


セラくんは苦笑し、そして言った。


「いいよ。…………友達だから」

「っ!」


うわぁぁぁ、その溜めはずるいわ。

友だちなんて思っていないくせに。本心では、ヒロインのこと好きなくせに……!


優しい世界だわ、ここはヒロインに優しい世界……!!


じわりと涙が滲む。

リオルドは一言だけ「それでは」と告げて部屋を出た。





邸を出ると、外は真っ暗。人通りはなく、私はリオルドと共にうちへと向かう。

「ねぇ、降ろして」

「……」

「ねぇ、無視?あなたヒロインを無視するなんて、いい度胸ね」

「……もう少し、このままで」


切ない声で乞われたら、無理に降りるとは言えなくなってしまった。

お姫様抱っこなんて初めてだわ。悪役令嬢には誰もそんなことしてくれないもの。


しばらく無言が続くと、私は恋のせいでふわふわと浮かれた心地から少しずつ頭が現実に戻ってきた。


「これからどうしようかしら。こうなると、シリル様の求婚をお受けするわけにはいかないわ」


「そうですね」

「あ~あ、シリル様の求婚を断ったらポイント全額没収にならない?せっかくがんばってきたのに、台無しだわ」


もう笑うしかない。ここまでがんばってきて、結局最後の最後で自分の恋心を優先してしまった。これがイベントに換算されるのかはわからないけれど、もうシリル様との未来はない。


リオルドは何も言わなかった。

ただひたすら足を進め、夜道を歩いて行く。


まさか、これで私たちの関係はおしまいなんてことはないよね?

私はわざと明るい声で話し続ける。


「ヒロインが王子様ともセラくんとも結ばれないエンドなんて、続編があるみたいよね?もう金輪際、ヒロインなんてやりたくないけれど!あぁ、そういえばソフィーユはもうあっちに還ったのかしら?まだ還っていないなら、今からでも悪役令嬢にイジメてもらって失った分のポイントを取り戻したらどうかしら?」


「どうでしょうねぇ」


何その気の抜けた返事は。

私はため息をついて、彼の肩に頭を寄せた。


「マデリーン?」

「……どうして何も言ってくれないの?」

「ちょっと考え事をしていました。これからのことで」

「そう。で、何か浮かんだの?」

「ええ、まぁ」

「ふぅん。どうせ鬼畜な作戦を思いついたんでしょう?あなたのことだから」


投げやりにそう言えば、彼はクックッと笑った。


「心配しなくても、ポイントは稼がせると約束したでしょう?」


私が心配しているのは、もうポイントのことではない。あなたのことで頭がいっぱいなの、とはさすがに言えないけれど。


この日、リオルドが何を考えついたのかは教えてもらえなかった。

ただ、帰り際に交わしたキスがとてもとても幸せで。


幸せすぎて、この仮初めの世界の終わりが近いことを感じずにはいられなかった。


この転生が終わったら、私たちはどうなるのかしら。互いにそれは頭によぎっているのに、どちらも何も言わないでいる。


口にしたら、この幸せが終わってしまいそうだから。


「好きよ、リオルドが好き」

「私もです」


こうして私は、ヒロイン最後のイベント(?)を終えたのだった。

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