第22話 放置したイベントは悪化するらしい



平和な日常。ヒロインとして転生した私は、すでにギルドの卒業試験をクリアできるだけのポイントを稼ぐことができた。


ソフィーユは退学、のち隣国の貴族へ嫁ぐことが決まったそうだ。事実上、これで悪役令嬢は仕事を終えて一足先に私たちにとっての現実へ還ることになる。


私ももうすぐ物語を終えて還れるだろうから、ギルドで会ったら反省会でも開いてあげようと思っている。


ところが、すっかり平和な日々を享受していたある日のこと。

学園から家に帰ると、何だかしんと静まり返っていて誰もいないかのような淋しさが漂っていた。


あ、これは何かあるな。

そう思った私は警戒しつつ、まずは母親を探す。


「お母様?」


貧乏貴族とはいえ、お母様は常に邸にいる。ばあやと呼ばれる老齢の使用人も、だ。

お父様は文官だからいないときもあるけれど、最近は賭博をやめたのか家を空ける日は少ない。


返事がないことを不思議に思い、私は母がいるかもしれないリビングへと向かった。


――ガチャ。


扉が開く音が妙に大きく鳴った気がした。それほど家の中は静寂に包まれていたのだ。


リビングには、テーブルを挟んで両親が向かい合って座っていた。父は目に見えて落ち込んでいて、がっくり項垂れているように見える。


嫌な予感がする。


「お母様?お父様?ただいま戻りました」


私の声でようやく娘の帰宅に気づいた二人は、揃ってこちらに目をやった。


「マデリーン、大変なことになったわ。あなたは今すぐ荷物をまとめて、家を出る準備をしなさい」


「お母様?一体どうなさったの?」


この雰囲気は、もう借金がバレたとしか思えない。

父が最近おとなしいと思っていたら、どうやら借金が膨らみすぎてとうとう焦げ付いたのだった。


返せない借金は、すべて父がギャンブルで作ったもの。人助けとか肩代わりとかではなく、すべて父の不徳の致すところというやつだから、母の怒りはごもっとも。


母は普段はおっとりとした優しい人だけれど、怒るとものすごく怖いのだ。お父様を睨みつけ、軽蔑を感じる声音でテキパキと指示を出す。


「もうすぐ借金取りが来てしまうわ。そうなるとあなたを連れて行かれるかもしれない。だからあなたはとりあえず私の実家へ。私たちが時間を稼ぐから、その後はなるべく遠くへ逃げなさい」


「逃げなさいって、お母様」

「ごめんなさいね、あなたにこんな思いをさせるなんて。私がこの人を自由にさせていたばかりに、娘を不幸にしてしまうなんて……!けれどわかって、今は逃げるしかないの。あなただけは、どうか」


お金もなく、あるのは衣服とこの身体だけ。お母様の口ぶりからすると、着の身着のままでも逃げ出せたら僥倖という感じだった。


あぁ、でも私はヒロイン。

こうなるとすべては伏線だとしか思えない。このまま無事に家を出られる、そんなことがあるわけがなかった。


「お母様、私は」


――バタンッ!!


すぐに扉がけ破られる大きな音がして、バタバタと数人の男たちがやってきた。

これはもう逃げられない。


母が私を庇うようにして前へ出て、父は真っ青な顔でその場に立ち尽くす。


「返済期日はすでに過ぎているんだが、娘を売る決心はついたか?」


すでに父には私を売れと言ってあったらしく、いかつい風貌の借金取りはニヤニヤと笑みを浮かべている。その視線は私の身体をなぞるようにして移動し、品定めされていた。


「噂通りの美人だな。体つきもまぁまぁだし、あんたの娘にしちゃ言い値で売れそうだ。借金は全額返済とまでは行かないだろうが、この邸と土地、娘を差し押さえることで許してやるよ」


「っ!待ってくれ!邸と土地は手放そう。残りの金は、今後きちんと返済すると誓う!だから娘だけは、娘だけは勘弁してくれ!」


お父様、もうその「娘だけは」っていうセリフはフラグにしかなっていません。絶対的に私が拉致される未来しか見えない。じとっとした目で父を睨む私。


母は私を抱き締めて守ろうとしてくれた。私も母に縋りつき、借金取りの男たちに怯えて茫然となる演技をした。


ここまでシナリオが進んでしまったら仕方がないわ。ソフィーユから借用書は奪ったはずだから、きっと彼らが持っている借用書は偽物。でもここでそれを証明することはできない。


あれ?もしかして、イベントを放置していたから、事態が悪化したのかしら?


これからの対処法を考えなくては……、と思ったけれど、男たちによってテーブルや椅子はなぎ倒され、私は母と引き離されて男の手に落ちる。


「嫌!放してっ!」

「マデリーン!マデリーンを返して!!」


まだ何も思いついていないんですけれど!?

手荒な真似はしないで欲しい!!


ヒロインは待っていれば助けがくるポジション、それはわかっているけれどそれでも怖い。掴まれた手首はギリギリ絞められて痛いし、身体に注がれる視線は気持ち悪いし、リオルド以外と接近するのはとてつもない嫌悪感がある。


「お母様!お父様!」

「「マデリーン!」」


両親の叫びも虚しく、私は男に無理やり連れられて邸を出る。後ろ手に縄で縛られ、荷物のように肩に担がれると一瞬の出来事だった。


彼らが乗ってきた馬車に放り込まれると、正面に座った男が笑いながら告げる。


「どうしてもお嬢さんのことが欲しいっていうお貴族様がいらっしゃってねぇ。あんたは今日からその方にたっぷりかわいがってもらうんだ。なに、おとなしくしていれば酷い扱いはされねぇ」


この人のいう酷い扱いとは、暴力のことだろう。ただし殴られないだけで、私の貞操が守られることはない。愛人ならまだいい方で、奴隷も同然の扱いになることが予想できる。


ソフィーユから借用書を奪ったことで、下着姿で晒されるのは回避できたはずなのに!

まったく危機は去っていなかったんだわ。


もうイベントのポイントなんて無視して、馬車から飛び降りてしまおうか。そんなことが頭をよぎる。しかし手を縛られたままの状態では、この男から逃げることはもちろん扉を開けることすらできない。


落ち着いて。

落ち着くのよ。きっと隙はできる。なるべくなら貴族の人に売り渡される前に逃げたいけれど、ほら、男の人って寝台では無防備になるっていうし、急所蹴りでもお見舞いして逃げればいいのよ。


私は震えて動けないふりをして、じっとチャンスを待った。

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