第19話 裏では何やってもいい
凶悪な魔物に襲われた研修から数日。
今度こそ悪事がバレたソフィーユは、退学を前提とした謹慎となった。
やり方が派手すぎたんだわ。
こういうのはもっと、物語の終盤でやらなきゃ……!
私はというと、もうソフィーユのことは仕方がないと諦めて、自分自身のこれからを思い悩んでいる。
「こんなことじゃいけないわ……!」
リオルドを好きだと自覚してから、気分の浮き沈みが激しい。
がんばろうって思った次の日にはまた落ち込んで、その繰り返しだ。
おかしい。
こんなのスマートでクールな悪役令嬢マデリーン様じゃない。
ヒロインとしてがんばろうと思ったそばから、ソフィーユに「代わって」と弱音を吐くなんてもってのほかよ!
けれど、恋心は募る一方。
シリル様の笑顔を真正面から受け止められず、曖昧に笑ってやり過ごしてばかりいる。
今日もまた、モヤモヤした気持ちのまま登校した。
早めに来てしまってどうしようか、と思った矢先に、見知った背中が目に入る。
「リオルド先生!おはようございます」
「先生!今日の魔法学の授業、楽しみにしておりますぅ」
きゃっきゃと色めき立つ女子生徒たち。リオルドは大人の色香漂う笑顔を彼女たちに向けていた。
「おはよう。楽しみにしてもらえて何よりです。では、また」
「「きゃぁぁぁ!」」
本編の裏側で、リオルドはモテていた。
もちろん彼が生徒に手を出すことはないだろう。
けれど私は、リオルドが笑みを向けているのが自分でないことがショックで堪らない。
私は声をかけるタイミングを失い、教室とは逆方向なのにリオルドの背中を見つめながら追っていった。
尾行、に入るのかしら?これは。
数メートル離れ、結局は誰もいない実験室の前までついてきてしまった。
ところがそのとき、彼は実験室の手前でピタリと立ち止まる。
ゆっくりと振り返ったその顔は、苦笑いというか気まずい顔というか、何とも言えない感じに見えた。
「えーっと、マデリーン?また何かあったのですか?」
私の尾行は、ばっちり気付かれていた!
足音を消していたはずなのに、ごまかせなかったみたい。
私はバッグを両手で抱きしめつつ、彼を見つめる。
「べ、別に何かあったわけじゃ……。あなたが淋しそうだから、声をかけてあげようと思っていただけよ」
我ながらひどい言い訳だわ。
リオルドはきょとと目を丸くして、しばらく何か思案した後、私の正面まで歩いてきた。
「これでも人気教師なので、淋しくはありませんよ?」
「ソウデスネ」
知ってるわ!さっき見ていたもの!女子生徒にチヤホヤされてた!!
でもそんなことを言ったら、私が嫉妬しているみたいじゃないの。絶対に言えない。
ぶすっとした顔で、目を伏せる私。
すると頭上からくすりと笑った声がして、ふいに左の頬にぷすっと人差し指がささる。
「え?」
なんかふにふにされているわ。
驚いて視線をあげると、そこにはうれしそうに目を細めるリオルドが見えた。
「何?」
「いえ、何も。つい指が動いて」
手を引っ込めた彼は、また笑みを深める。
「嘘ですよ」
「嘘?人気教師じゃないの?」
そんな謙遜を。
「いえ、そこじゃなくて。淋しくはないと言いましたが、それは嘘です。……あなたがいないと、私は淋しいです」
「っ!!」
胸がドキンと高く鳴り、見つめられるほどに息が詰まる。
何を言っていいかわからず、でも何か言いたくて。それでも言葉らしい言葉は出ず、唇がハクハクと小さく動くだけだった。
リオルドはそんな私を見て、悲しげに目を細める。
「困らせてしまいましたね」
「そんなことは、ない、と」
「ダメですね、私は意志が弱いもので。あなたが目の前にいたら触れずにはいられない。まだ始業時間には早いですが、ここから離れた方がいいですよ?」
彼はそう言うとくるりと背を向けて、実験室の扉に手をかざしてロックを解除した。
私は何気なく後に続き、足を進める。
「どうして?まだあと三十分はあるわ。ここにいたっていいでしょう?」
淋しいと言ったくせに、追い返そうとする。
意味がわからず、私は首を傾げた。
彼は柱に右手を置き、こちらを見て少しだけ微笑む。
「一緒にいると、あなたを欲してしまいそうだから」
まるで出会った頃のように、いじ悪く笑うリオルド。でもそれは一瞬で、彼はすぐに実験室へ入ってしまった。
「待っ……!」
私はとっさに駆け出して、リオルドを追って部屋に飛び込んだ。
そしてその背後から腕を回し、おもいきり抱きついてしまう。
「っ!?マデリーン!?」
驚いた声。いつもみたいに余裕のある声色じゃなかった。
なぜかそれがちょっとだけうれしくて、私は目を瞑って彼の背中に頬をすり寄せる。
しばらくの間、無言の時間が過ぎていった。
リオルドは突然抱きつかれて、どう対処しようか迷っているのかも。
私の心臓は爆発が心配になるくらい、どきんどきんと激しく打ち付けている。
きっとこの音、リオルドに聞こえてしまっているに違いない。
それでも離れることが名残惜しくて、もうこのままヒロインに戻らずにいたいと思ってしまって。
いつの間にか扉は閉まり、私たちはこの部屋で完全に二人きりになっていた。
「マデリーン」
「……ごめんなさい」
呼びかけてくる低い声、反射的に謝罪する私。リオルドは自分の腹の位置にある私の腕を優しくと離させると、それを掴んだまま振り返った。
「煽ったのはあなたですからね?」
「え……」
掴まれた手首がぐいっと引かれ、彼の方へ倒れ込むようにした私は、目を閉じる暇もなく唇を奪われていた。
「ん……!」
腰に回った手は力強く、捕食されるかのように情熱的なキスが続いた。
合間に荒い息をつけば、息が整うより先に再び唇が合わさる。
『行かないで。ここにいて』
そんな想いが伝わってきた。私もまた、同じ気持ちでキスに応える。
「マデリーン」
魂を抜き取られたようにぐったりした私は、リオルドに抱き締められた。腕に包み込まれると、どうしようもなく愛おしさがこみ上げてくる。
こうしていると、これまで悩んでいたことがどうでもよくなってきて、すべてを忘れてしまいそう。
ただ、今このときだけはヒロインとか悪役令嬢とか全部忘れて、好きな人がすぐそばにいるってそれだけを感じていたかった。
長い間抱き合っていると、無情にも予鈴が鳴る。
幸せな時間はやはり続かなかった。
どちらからともなく身を離し、無言のまま目を合わせない。
目を合わせてしまえば、どうしようもなく恋しくなることがわかっていたから。
なかなか足が動かない私に、リオルドはそっと額にキスを落とす。
「仕方のない人ですね」
「……あなたにだけは言われたくないわ」
呆れているのか、彼は笑っているみたいだった。
私はキスの余韻を振り切るように、ぐっと感情を抑えてリオルドから離れる。
触れずとも開いた扉から、私は逃げた。
このどうしようもない恋心に、いつまでも捕まってなんていられない。
裏では何をやってもいい、免罪符のようなその言葉が頭をちらつくので、頭を切り替えたくて必死で走った。
バタバタとはしたなく廊下を駆け抜け、階段を降りる。
当然だけれど、リオルドは追ってこない。
「ほんっとバカね」
つい漏れ出た本音は、自分に対してか、彼に対してか。
深呼吸を繰り返し、火照った顔をどうにか落ち着かせて教室へ向かう。
「私はヒロイン、私はヒロイン」
ここからは、物語の表舞台。
可憐なヒロインの仮面を被って、私はみんなが憧れる恋物語を演じるの。
ほら、教室へ入れば、そこには素敵な王子様が私を待っている。
「おはよう、マデリーン。会いたかった」
屈託のない笑顔。
目の覚めるような美しい金の髪が、窓から入る風に揺れる。
「おはようございます!シリル様!」
私はさも今登校したように、笑顔で挨拶を返した。
たわいもない言葉を交わし、その声や瞳から愛を感じてはにかむように微笑むヒロイン。
『あなたがいないと、私は淋しいです』
ハッピーエンドの気配を糧に、密かにくすぶる熱を押し込めて、私は目の前の人と恋を育む演技を続けた。
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