第11話 それは、まだ早い


シリル王子に連れられてやってきたのは、レンガ造りの建物の中にある特別室。選ばれた生徒しか入ることのできない空間だ。


ここで私は、生徒会の仕事をお手伝いすることになった。

さすがヒロイン、学園の中枢に食い込むのね!?


私はシリル王子の隣に座り、正面にはセラくんがいる。

二人は新入生歓迎会にやってくる来賓(要はお偉いさんで、貴族で、扱いが難しい人たち)について、どう対応するかを話し合っていた。


私は招待状をひたすら四つ折りにして、封筒の中に収めていく。ザ・雑用を任されていた。

お仕事と言われて来てみれば、山の用にある封筒と招待状を見てすぐにわかった。


もう一時間以上、黙々とこのお仕事をこなしている。


「そろそろ休憩にしようか」


シリル様はそう言って微笑み、私たちはお茶とお菓子をいただくことに。給仕スタッフが待機しているVIPなお部屋だから、王子様の一言ですぐにおもてなしを受けられた。


しかしここで、案の定と言うかシナリオ通りの乱入者が現れる。


「シリル様っ!あなたのソフィーユが来ましたわ!」


嬉々として飛び込んできた彼女は、私の姿を目にしてすぐに眉根を寄せた。


「あら、なぜここに虫が?」


私はただ愛想笑いをしてその場をやり過ごす。

ソフィーユの態度に苛立ったシリル様は、彼女に顔もむけずに苦言を呈した。


「部外者は立ち入り禁止だが?ソフィーユ」

「ふふっ、婚約者は関係者でございます。それに、そこにいるマデリーンさんの方が部外者ですわよ?シリル様の優しさに付け込んで、こんなところまで押しかけるなんて」


彼女は遠慮なく、シリル様の隣に腰かけた。

私とソフィーユに挟まれて、シリル様のスペースがものすごく狭い。私はスッと立ち上がり、セラくんの隣に移動した。


ソフィーユが連れてきた侍女は、差し入れのケーキや菓子をテーブルにどんどん並べていく。あっという間にスイーツパーティーができそうな空間となった。


「さ、シリル様!わたくしが食べさせてあげますわ」

「やめてくれ」


いいわよ、ソフィーユ!嫌われ度が急激に上がっているはず!

後輩のがんばりを目の前で見られて、私はつい頬が緩みそうになる。


しばらくはソフィーユのターンだろう。そう思った私は、紅茶を一口飲んでパイを頬張る。リオルドと街へ出て以来、この世界の食べ物に興味が湧いたのだ。


さぁ、ヒロインは休憩よ。そんな気持ちでティータイムを満喫しようとしたのが――


油断していた。


「ごほっ……!」

「マデリーン?」


急に咳き込んだ私を見て、セラくんがこちらを覗きこむ。

ポタポタと紅茶の雫が制服に滴り、私は口元を押さえて苦しんだ。


毒だわ。喉が熱くて痛くて、手が震えだした。ちらと視線を上げると、ソフィーユが「私ですよ」とアイコンタクトを送ってくる。


私は心の中で突っ込んだ。


毒はまだ早いわよ、と。


完全に油断していた。毒を盛るのは最終手段で、まずは階段落ちが先でしょう!?物を隠す苛めすらまだ始まっていないのに、いきなり毒は早いわ!!!!


「きゃあああ!大変!マデリーンさんが、毒で苦しんでいらっしゃるわー!」


しかもセリフが説明すぎる。ヘタ!

毒って言っちゃってるしこの子、本当にダメな子ね。


あぁ、でもそんな場合じゃない。喉が痛い!

ゴホゴホと咳き込み、顔を顰める私。息がしにくくなってきて、ゼーゼーと喉から空気を漏らす。


さすがに93回も悪役令嬢をやっていたら、痛みにも苦しさにも慣れる。肉体的な痛覚は、あまり作用していないのだ。けれど呼吸がままならないのはさすがに苦しいから、なるべくなら急いで助けてもらいたい。


「セラ!」


シリル様の指示で、セラくんが私の身体に両手を翳して魔力で観察を始めた。多分、人体をスキャンしている感じだろう。さすが首席、チートだわ。


「これ何の毒!?回るのが早い!」


あわあわと取り乱すセラくん。毒に回復系の魔法は利かないので、医師に診せる方がいいかも。他人事のようにそんなことを考える。


「誰か!急いで医師を!」


シリル様がそう言ったとき、扉がバタンと乱暴に開く音がした。


「どうしました?」


虚ろな目でどうにか視線を向けると、そこには少し焦った顔のリオルドがいた。


「マデリーン!?」

「せ、せ……んせい」


ひゅうっと喉からおかしな音が出て、うまくできない。

リオルドはすぐに私を抱き上げ、廊下へと飛び出す。あまりに一瞬の出来事で、シリル様もセラくんも身動きできずにいた。


私はリオルドの実験室へと連れて行かれ、ソファーの上に寝かされる。

もう喋る元気もなく、彼が何やらガサゴソと引き出しを漁るのをぼんやりと眺めていた。


彼はソファーの前に跪き、左腕を私の背中に回した。少し上半身を起こされて、口の前にカプセルタイプの薬を持ってこられる。


「これを飲んでください。王宮医師からくすねた万能薬です」


くすねたって何?と尋ねる余裕はない。

乾いた唇にカプセルを押しつけられ、どうにかそれを飲み込もうとする。


「水を」


リオルドがそう言って、私の口にグラスを押しつける。けれど痙攣が始まって、うまく飲み込むことができなかった。


彼は私が自力で薬を飲むのを諦め、自分が水をぐいっと呷る。


そして、口移しで水を流し込んできた。


「んうっ」


口内に残ったカプセルは、押し入ってきた舌に押されて水とともに喉を通る。


気づけば毒の作用で私は汗だくで、人間ってこんなに汗がかけるんだと思うほどに制服がべしゃべしゃだった。髪は頬に張り付いているし、「これヒロインとしてどうなの?」という有様で。


どれくらい時間が経っただろうか、ようやく人心地ついたときには痙攣や咳は収まったけれど、ぐったりとソファーに身を預けていた。


おのれソフィーユ、いきなりこんなに強力な毒を使うなんて悪役令嬢の作法っていうものがなっていないわ!裏で絶対に叱ってやろうと心に決めた。


「マデリーン、落ち着きましたか?」


「なんとか……」


げっそりした私を見て、リオルドまでなぜか消耗しているように感じた。私の左手を握る彼は、とても心配しているように見える。


こんなこと、ヒロインではよくあることなのに。タイミングは違えど、ヒロインが殺されかかるなんて定番中の定番だ。


なぜこんなに心配しているのか、そう思うと何だかおかしくなってきて笑ってしまった。


「ふふっ」


それを見たリオルドは、露骨に眉根を寄せた。


「どうして笑うのです?」

「いえ、何だかおかしくて。だって、ヒロインの危機はよくあることなのに」


私の左手を握る手に、ぐっと力が篭った。


「呼吸器系の症状はつらいけれど、もう何度も悪役令嬢として死んでいるから、身体的な苦痛はわりと慣れているのよ?まさかそんなに心配されるなんて」


喋りながらまた笑いがこみ上げて、私は目を細める。

けれど、リオルドはものすごく剣のある瞳を向けてきた。


「心配するに決まっているでしょう?あなたが苦しんでいるのを見たら、頭が真っ白になりました」


それにしては、随分と行動が的確で早かったと思うんだけれど。

疑いの目を向ける私。リオルドはソファーの座面に額をつけ、「はぁ」と大きなため息を吐いた。


彼のダークブラウンの髪が、すぐそこにある。

ちょっと触れてみたくなり、自由になっている右手でそっと頭に手を添えた。


ぴくっと彼の頭は動いたけれど、特に振り払われることもなく、私はそろそろと髪を撫でる。


「ごめんなさい。ありがとう」


端的に告げると、彼は何も言わなかった。


「自分のミスで私をヒロインにしちゃったから、こうして助けてくれるのよね」


何気なく口にしたそのことに、意外に私の胸が痛む。

なぜこんな当然のことに、もやもやした気分になるのかしら。彼はミスを挽回したい。自分のポイントも稼ぎたい。だから私を心配している。


それの何が気に入らない?


しばらく彼の頭を撫でつつ考えていると、彼は少しだけ顔を上げて上目遣いに言った。


「あなたは、覚えていないのでしょうね」


突然そんなことを言われ、私は混乱した。


「覚えていないって、何を?」


子どもが拗ねるみたいなリオルドの顔つきに、不覚にもちょっとかわいいとときめいてしまう。

沈黙が流れ、急に胸がざわざわしだす。

リオルドは静かに身を起こし、私の前に跪いた。そして、鼻が当たるほどに顔を寄せる。


「リオルド、何を」


逃げることはできなかった。

そっと触れた唇は、さっき口移しで水を飲まされたときより優しくて、まるでこれが正しい形であるかのようにぴったりと合わさっている。


あれ。私そう言えばずっとずっと昔に、誰かとこんな風に……?


驚いて、息も身動きも止めていると、そっと彼は離れていった。

見つめ合うと、彼は何かを期待しているようで。


私は何を忘れているの?

約250年分の記憶を掘り起こすには、今は体力も精神力も消耗しすぎていた。


彼は私の前髪を優しく撫で、苦しげに笑った。


「家まで送ります」


そう言って立ち上がると、リオルドはすでに温和な教師の顔になっていた。学園の馬車を手配するのだろう、彼は私を残し、実験室から出て行くのだった。


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