第8話 ヒロインのおでかけは忍べない
週末、私はお父様の後をつけてこっそり街へやってきた。普段は文官としてお城勤めをしている父親は、男爵だけれど貴族っぽさはまったくない。
赤い髪は短く、優しそうな顔つきだけれど優柔不断さがひと目でわかる。
ギャンブル依存症なので、賭博場では強気に豹変するのだが、賭け事はめっぽう弱い。それでもやめられないから依存症っておそろしいわ。
ただし、王都のはずれにある違法な賭博場では、勝ち負けが最初から決まっている。お父様はカモなんだから!
相手が欲しいのは、男爵の領地と邸などの資産、そして美貌の娘である私。最初からお父様は狙われていて、そうとも知らずにせっせと足しげく賭博場へ通っている。
私はお父様を追って、辻馬車で街へとやってきた。
行き先はわかっている。(ヒロインだから)
正確に言うと、後をつけるどころか先回りしているくらいだ。
「いた!」
物陰からこっそり大通りを見ていると、お父様が嬉々としてやってきた。これからカモられるというのに、呑気なものだわ。
「どうやって中へ入ろうかしら。それとも入り口でお父様を止める?」
ヒロインが危ない目に遭うのは、きっと父親を止めようとしたときだろう。「街で危険な目に遭う」くらいのシナリオでしかないから、場所は書かれていても具体的に誰に何をされるのかはわからないし、逆に言うとこちらの自由度もわりと高い。
お父様の後をつけ、私は賭博場の近くまでやってきた。
赤茶色のレンガで作られた建物。古びた木製のドアをノックすると、合言葉を言って中へ入るシステムだ。お父様はもちろん、合言葉を知っている。
よし、行こう。
そう思って一歩足を踏み出したところ、後ろからぐいっと手を引かれて物陰に連れ込まれた。
「っ!?」
「静かに」
暴漢かと思って暴れると、低い声がかかって口元を押さえられる。
「んおうん゛―!!」(リオルドー!!)
「おとなしくしてください。まだです。今じゃありません」
裏路地で、まるで密会している恋人同士のように壁に背を預ける。待って、この人距離が近すぎない!?
はたから見れば、抱き合っているように見えるかも。彼の着ているジャケットが頬に当たり、男性ものの香水のにおいがした。
「しばらくこのままで」
彼はどうやら恋人同士を演じるらしく、私を抱き締めたまま耳元で囁く。
「きょ、教師と生徒の密会はまずいのでは?」
声が上ずる。けれどリオルドはお構いなしに、腕の力を強めた。
「ここはシナリオ外です」
裏で何やっていてもいいってこと?いや、そういう意味ではなくて倫理観の問題なのだけれど。ドキンドキンと心臓が今にも破裂しそうなほど高鳴る。
「いいですか?
リオルドは話の流れにおかしなところが出ないよう、私を止めてくれたっていうこと?だとしても、もっと穏便に、普通に話しかけてくれればよかったのに。
こんな風に拉致するみたいに、裏路地に連れ込まなくてもいいはず。
私は抱き締められながら抗議する。
「あなたの理屈はわかったわ、だから離して。こういうことされると、困るの」
そう、困る。ドキドキして、脈は速くなるし、正常な判断力がなくなってしまいそう。
おとなしくなったのを見計らって、彼はゆっくりと離れていった。
「「…………」」
見つめ合うけれど、顔色一つ変えていない。
私だけ、こんなに動揺している。
悔しくなったので、ヒロインだということも忘れて苦言を呈する。
「もうちょっとやり方があるでしょう?こんなことしなくても、普通の声をかけてくだされば話くらい聞きました」
「そうですね、悪かったと思っています」
やけに素直に謝るから、訝しげに彼を睨む。それを見たリオルドは、腕組みをしていじわるく笑った。
「まさかそれほど真っ赤になられるとは、思わなくて」
「なっ……!」
バカにして!私のことバカにして!
「わ、私はあなたみたいに卑猥な存在とは違うのよ!どうせあなた、悪役イケメンギルドにいたんでしょう!?」
変態教師、そう批難の目を向けると、彼はきょとと目を瞠った。
「違いますよ?悪役イケメンギルドの出身ではありません」
「え?それなら、あなたどこにいたの?」
絶対に悪役イケメンギルドだと思ったのに。
「まさか、18禁イケメンギルド?」
「どうしてそっち方面のイメージなのですか?」
なぜかリオルドが不服そうに言う。どうしてって、私を押し倒したり急に抱き締めたりするからに決まっているのに。
「どう見ても正統派に見えないわ」
はっ、と鼻で笑いつつそう言うと、リオルドはまたいじわるく口角を上げた。
「シナリオから脱線して、18禁シーンを入れてもいいんですよ?」
絶対に冗談に決まっている。
自信があった私は、同じくいじわるく笑って言った。
「あら?あいにく私は清楚可憐なヒロインですから、そのようなシーンには参加しかねますの。この場に正キャ員でもいない限り、自由はないでしょう?」
自由にできるのは正キャ員だけ。今の私はまだ派遣だし、リオルドに至ってはナビゲーターからのサポート役だ(多分)。自由になんて、できるわけがないわ。
「裏では、何したっていいんですよ。これは、あなたが私に教えてくれたのに」
「私が?いつ?だいたい、裏では何してもいいだなんてそんなわけないでしょう?」
まったく非常識な人ね。私がそんなこと言うわけないじゃない。
取り乱すところは見せたくないから、私は余裕ぷって言ってやった。
「機会があれば、また今度」
悪役令嬢らしい嘲笑を浮かべ、私はリオルドに手を振る。そして、さっさと大通りへ戻ろうと背を向けた。
しかし背後から聞こえてきた声に、ぴたりと私の足が止まる。
「ナビゲーターは、正キャ員ですよ」
は?
なんですって?ナビゲーターが、正キャ員?
振り向くより先に、リオルドの腕が私の身体に巻き付いた。
こ、これは先日のバックハグの再来!心臓がまたドキンと大きく跳ねた。
「たまにポイントなんてどうでもよくなるときって、ありません?」
お腹に響く低い声。顔は見えないけれど、彼がまた不敵に笑っているのがわかる。
「マデリーンは、ポイントが溜まったらどこへ移籍するのでしょう?正キャ員になって、どうしますか?」
「どうって」
出番の少ないギルドに移籍して、正キャ員になってたまに意地悪する程度で後はゴロゴロする。それが私の願望なんだけれど……
「せっかく捕まえたのに、つれない人ですね」
「どういう意味?」
私の赤い髪をゆるゆると弄るリオルド。背中から伝わってくるぬくもりが、私の思考を停止させる。
「あなたに協力はしますが、私は正キャ員ですから自由にできます。この意味、わかります?」
「意味って……?」
耳に吐息がかかる。
何この人、本当に18禁ギルドの出身なのでは!?
永遠にも思える沈黙の後、リオルドは突然明るい声を出した。
「あなたの父親が出てくるまで約一時間、食べ歩きしましょう!」
抱き締めていた腕をパッと離すと、彼は私の右手を掴んで路地をずんずんと進んでいく。
「え?は?え???」
ついていけない私は、手を引かれるままに足を進める。足がもつれて転びそうになるも、ぐいっと引っ張り上げられて転ぶことも許されない。
「さぁ!この世界は食文化が豊かなんですよ~。マデリーンもきっと気に入ると思います」
振り返った顔は、ただのイケメンだった。
一体どっちが本当のリオルドなの?混乱した私は、ただ彼を見つめるだけで何も言えない。
「甘いもの、好きなんです。付き合ってくれますよね?」
「はぁ」
彼は勝手に店を選び、揚げたパンや串に刺さったフルーツなどを私に買ってくれる。王都では食べ歩きをしている庶民はわりといて、確かに食文化は充実しているみたいだった。
よくわからないまま、ハグハグとおやつを食べ進める私。
なんだかデートみたい。
そう思ったら、まともに彼の顔が見られなくなってしまう。
リオルドがこっちを見て微笑むたび、私は警戒してビクッと肩を揺らしたが、彼は普通に甘いものを頬張って楽しそうにしていた。
やはり本当に食べ歩きがしたかっただけなの?わからない。
私には、悪役令嬢のことしかわからない。
「何にも知らないのね、私って」
そういえば、これまでポイントを稼ぐことに必死で、ストーリーを楽しもうとか食べ歩きしようとか思ったこともなかった。何度も何度も失恋したけれど、人の心の機微には疎いし、現実には恋なんてしたこともない。
ぼんやりしていると、リオルドが私を見下ろして言った。
「どうしました?」
この人は、正キャ員として何度もこういうことしているのかしら。
私以外のヒロインとも、抱き合ったり食べ歩きしたり……?
「ん?何か?マデリーン?」
彼の笑顔を見ていると、何だか苛々してきた。胸のあたりがむかむかして、何でもいいから八つ当たりしたくなる。
黙っていると、彼は穏やかな笑みを向け続ける。はたから見れば、恋人同士が見つめ合っているように見えるかもしれないけれど、私は腹が立ちすぎてだんだんと睨むように目を細めていた。
「えーっと、何か怒っていらっしゃいます?」
「……別に。甘いもので胸がむかむかしただけ」
「おや、甘いものはお嫌いでしたか?それなら」
そう言うと、彼は私の手に残っていた揚げパンにかぶりついた。人の食べかけを遠慮なく口にできるなんて、さすがは18禁出身(もう決めつけている)だわ。
こんなことは恋人にしかしないでしょう、普通は!?
「あなた羞恥心はないの?」
「ありますよ?」
「嘘」
「本当」
「ないわよ」
断言すると、リオルドはちょっと困ったように笑った。
「でもいいじゃないですか。デートなんですから」
「デート!?」
何を言っているのかわからない。ナビゲーターなのに、この人との会話に通訳が必要だわ。
右手で顔を半分多い、呆れかえってしまう。
しかしここで、予想外の展開が訪れた。
「マデリーン……?」
パッと顔を上げると、そこには庶民風の衣裳を纏った王子様が。その隣には、「なんで!?」という顔をして目を瞠るソフィーユがいる。
あぁ、ソフィーユ。あなた全然庶民に見えない豪華なワンピースね。いいわ。それでこそ悪役令嬢よ。どんなときも、お金のにおいをさせる装い。素晴らしいじゃない。
そんなことを思っていると、ぐいっと肩を抱かれて私は体勢を崩す。
思わず手をついたのは、リオルドの胸だった。
「おや、こんなところで偶然ですね」
涼しい顔でリオルドは話しかける。
王子が一瞬にしてピリッとした空気に変わった。もしかして嫉妬しているのだろうか。え、もうヒロインに惚れているの?
いつ?
ねぇ、あなたいつヒロインに惚れたの?
困惑するしかない私は、リオルドと王子の顔を交互に見た。
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