第3話 

 お稲荷さんが燃えてから1年後、僕は疎遠になった親戚の家へ再び訪れていた。

 家には祖母の弟の娘にあたる女性がいた。よく笑う姉さんだったと、なんとなく覚えていた。向こうもこちらを覚えていたので、突然の訪問を歓迎してくれた。彼女は、よく庭の稲荷へ供物を置きに行ったと言った。

 それから、あの姉妹のどちらかが、近所の美容室で働いていると教えてくれた。

 美容室のドアの鈴が涼しげに鳴り、店の奥から「はーい」と声が上がった。僕と年の変わらなそうな女性が現れ、きょとんとした様子であったので、自分の身元と、子供の頃に廃屋で一緒に遊んだ、稲荷と白ぎつねが好きな姉妹を探していると伝えるとますます目を丸くした。

「ええ、覚えています覚えています。私、姉の方です。まぁまぁ、座ってください」

 姉は寿々子と言った。妹は澄子といい、今はアイルランドで英語の勉強をしながらケルト文化の研究をしているのだという。

 僕は、今住んでいる街の公園にあるお稲荷さんが昨年燃えて無くなってしまったこと、今はその公園のお稲荷さんのことを調べている最中であること、お稲荷さんが焼ける前に、旅の最中で立ち寄ったこの場所で少年時代のお稲荷さんの記憶を思い出したので、ここに来ることで何か得るものがあるのではないかと思い改めて訪ねたことを伝えた。

「よく覚えていますよ、お庭のお稲荷さん」

 寿々子は言った。

「澄子がね、白ぎつねのお友達があそこに住んでるって毎日話していましたから。私はその話を聞くのがおもしろくてね。今日はきつねさんどうしてるん、て言ってね。あなたは夏しか来られなかったけど、私たちは年中あの家で遊んでた。一度、あそこを新しく家を建てたい人に売るんだってなってきれいに更地にして、そのときにやっぱりお稲荷さんも壊して地鎮祭みたいなことしてね、それで、それからもう2年経つかなぁ」

 僕は寿々子に井の頭公園のお稲荷さんの話をした。

 井の頭公園のお稲荷さんは、正しい名前を親之井稲荷尊という。親之井というのは井の頭池の古い名前の一つで、江戸を流れる神田川の源流が湧き出るのが井の頭池だ。最初に親之井稲荷尊が地図に登場するのは『牟礼村古地図』という四代徳川将軍の時代に描かれた古い地図。実際にいつ頃建てられたものなのかは不明だが、豊かな水源であったこの地で親しまれ、感謝された庶民にとっての大切な稲荷であったのは間違いない。

 井の頭公園のお稲荷さんが焼けてから、僕は地元の様々な人に出会った。インターネット上で親之井稲荷尊のことを詳しく研究している人たちを見つけ、彼らの勉強会に参加したり、公園にいつもいるおじさんにお稲荷さんが焼けた晩の話を聞かせてもらうこともできた。近所で居酒屋を営むママは小さい頃から吉祥寺に住んでいて、お稲荷さんのこともよく知っていた。調べていくうちに、誰のものでもないお稲荷さんを祀る祠を、例えばあの場所に作り直すといったことは簡単なこと、単純なことではないと知った。

「政教分離の関係もあるでしょう。公園になっている場所に、またお稲荷さんを建てるのは難しいんでしょうね」

 寿々子は同情するように言った。

 僕はつい話し続けた。

「あの近くに暮らして、今の生活の中に公園があると、まるで井の頭公園はつい最近できたような気もするんですけど、東京も日本もまるでなかった時代の頃から人間はずっと、たぬきやきつねと一緒になって、あの場所で自然の一部として暮らしていた。お稲荷さんは、人間と自然が棲み分けするようになってからも、接点としてあそこにあったと思うんです」

 寿々子は僕に共感すると励ましてくれた。それから駅まで見送ってくれ、澄子にも手紙を書くと言った。

 澄子が白ぎつねの話をしなくなったのは、僕が夏休みに祖母の家へ訪れなくなったのと同じ頃のことだったそうだ。

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