七.ホリディ
増えてきたCDの置き場所を作る為、寿彦は部屋の片付けをしていた。
以前持っていた沢山のCDやMDは、もう聴かなくなったので引越しの際に全部売ってしまっていた。
今日は休日。本腰入れて押入れから整理しようと意気込み、まずは仕舞い込んでいる物を全て取り出す。
すぐに、懐かしい肌触りの物に行き当たった。掃除の一環と心を決め、カビの被った袋を開ける。案の定、少しカビが生えていた。さっき雑巾としてデビューしたばかりの古いタオルで拭き上げる。自然と手付きが丁寧になっていた。大学生の時相方を担っていた愛しきマイギター。初めて手にしたアルバイト代は、全部こいつに注ぎ込んだ、というよくある話付きだ。
巡り出しそうになる思い出を頭から追い出し、ギターケースのカビを拭き取り、防カビスプレーをかけてベランダに干す。ギターもとりあえずベランダに置いておく。
片付けを進めていくと、大学時代の物が次々と現れる。アンプに、大量のスコア、買ってみたものの、ほとんど使わなかったアコースティックギター。
昨日本屋で立ち読みした、片付けのマニュアル本の内容を思い返す。
『まずは、分類をします。本、衣類、小物、書類、思い出品……』
果たして、こいつらは、書類なのか、小物なのか、思い出品なのか。線決めまでしっかり見とくんだった、と早くも後悔の念に駆られる。
とりあえず、スコアを書類、ギターは小物に分類する。なるべく時間はかけない。必要なものがあれば買いに行きたいから、夕方には全て終わらせたいところだ。
物を全て取り出し、それら全てを分類した。そこから捨てる物と残す物に分ける。
『一つずつ手にとって判断するのがポイントです』
これは印象的だったから、しっかりと覚えている。 順調に分けていくと、スコアの番になった。三十分、と決め一つずつ手に取る。
イギリスもアメリカも、パンクもロックも大好きで、当時は片っ端から曲をコピーしていた。最初こそ、手に取る度に勿体ないという貧乏性で迷ったが、もう見ることはないだろうと、どんどん捨てていく。
合間に写真が挟まっていた。メンバーで撮った写真、練習風景や、ライブ風景、BBQや飲み会等、拾い集めたら結構な枚数があった。誰に貰った物か考えてみたが、こんなにマメに撮った写真を焼き増して配るなんてできるのは、一人しか思い当たらなかった。
バンドを組んだ頃、寿彦はギターボーカルを務めていたが、良いボーカルが入ってからは任せるようになった。
学園祭でも、ライブハウスでも、頻繁にライブをしていた。どこかのロック歌手が言っていた『俺たちは生き急いでるんだ』という言葉が格好良くて、大学の間は出来る限り生き急ごうと、とにかく詰め込んだ。その言葉は、途中からバンドのコンセプトになっていた。
数ある曲の中でも、ライブで一番盛り上がるのは、やっぱりテンポの速いシャウト系の曲。アメリカンロックの人気バンドのこの曲を、女が歌う。
「これめちゃくちゃかっこいいじゃん」と寿彦が太鼓判を押したのが大成功だった。
また、ボーカルが結構な美人だったことも客を呼んだ。
可愛い系というより、ナチュラル美人と言う方がしっくりくる。化粧も大していていないし、髪の毛もサラサラストレート。すれ違ったら、振り返る男が結構な数いるはずだ。サバサバとした感じが前面に出ているから、話しかけやすい……と思うのだが、本人曰く『話しかけるなオーラを出している』みたいで、近付きにくいようだ。モテるよりは憧れの人になるのだろうか。
こんな風に言うと、とんでもなく良い女のようだが、不思議とバンド内での恋愛はなかった。何より、彼女は妹同士が同級生で、昔から顔見知り程度に知っていた。
とりあえず、と写真は思い出品コーナーに移し、スコアの分別を進める。
最終的に残したのは、初めて弾いた曲と、ライブで一番人気の曲の二つだけだった。結局思い出品が残った為、こちらも思い出品へ移動する。
次に待ち構えていたのは日記だった。ある大物ロック歌手が、『何でもノート』のような日記をつけていたことを知り、真似して書き始めたものだ。四年間という割には冊数が少ない。一行の日もあれば、絵を描いたり、曲リストを書いたりして見開き使っている日もあったりと、バラバラだった。全ての中身をパラパラと捲り、何も挟まっていないことを確認して、思い出品へ移す。
これは思い出品が大変だなぁ、と溜息をつきながら、次の衣類へ手を伸ばす。
結局この日は丸一日かけて、思い出品は残したものの、全ての仕分けと収納が済んだ。空いたスペースに入るだけの物を残すことを心に誓い、明日へ延期とする。
寝る支度を済ませ、ベッドに横になり日記を捲っていく。気になるページがあった。
小さなノート一面に数字が並んでいる。それも『345』ばかり。中には、『三という数字は曲線を入れると四になり、縦線を入れると五になる』と書いていて、その上に大きくバツ印がされていた。自分で書いておいて首を傾げる。日付を見ると、三年の夏だった。何があったっけ、と考えながら寿彦は眠りに落ちた。
それを思い出したのは、翌日の会議での事だった。真面目な会議でも最後は親父ギャグで締める部長のおかげだった。
「さぁ、今日はどんと構えて、岩のように固いお客さんも流れてくるような受注報告、お願いしますね。ろくろ首のように、首を長〜くして待っています」
という、大して面白くもないこじつけで、今日が六月九日だと知る。ロックの日。ロックンロールの語源なんて知らないんだろうな、と呆れたところで思い出した。
そうだ、妹の曲を作ってくれって言われたんだ。
今日は車で片道二時間のところへ営業に行く日だった為、道中はずっと当時の思い出に浸っていた。
「ねぇお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
バンド練習のある日、スタジオにまだ二人だけだった時に言われた。いつも寿彦は早めに行って準備をするが、彼女は必ず寿彦よりも先にスタジオにいる。
「何?」とギターを取り出し準備をしながら、答える。
「うちの妹、いるじゃん?佳子ちゃんと同級生の」
「うん」
「妹がねぇ、なんか学校で苛められてるみたいなんだよね」
「へぇ」
試みたものの、顔までは思い出せなかったので、適当に答える。
「昔は外で遊んで帰ったり、家に帰っても友達と電話してたのに、最近はすぐ家に帰ってきて、部屋に篭ってるの」
「勉強に目覚めたとか? 別に良いことじゃん」
「違うの、聞いて。親曰く、学校どうって聞くと必ず不機嫌になるし、朝も時々学校行きたくないって愚図るらしいのよね」
「ふ〜ん」
「私も最近あんまり話してなかったし、一回話聞いてみようと思って、この前部屋に行ったのね」
「うん」
「そしたら、私の名前って誰がつけたの? って聞かれて」
「名前?」
「うん、お母さんじゃない? って適当に言ったんだけど、涙浮かべちゃって」
「何で?」
「私、お姉ちゃんの名前が良かった。もう嫌だこの名前、って机にうつ伏せたのよ」
チューニングをしていた顔を上げると、先を続けた。
「それで、肩を抱きに近づいたら、プリントとか、テスト用紙、あと手紙にも全部赤ペンで『345』って書いてあるのが見えたのね」
「手紙って?」
「ほら、昔女子が授業中とかに書いて回してたでしょ? ◯◯ちゃんへって、先生の悪口書いたり、噂話書いたり、コミュニケーションとしての簡単な手紙」
携帯という便利なものを持っているはずなのに、女子高生はいつの時代でも、そこはアナログなんだなと感心する。
「その、◯◯ちゃんへのところに、赤文字の『345』なのよ。多分、名前を弄られてるのね。テスト用紙も、名前にあとから書き加えられてた」
あぁ、と納得する。あの子の名前は確か……
「イジメか、親しみを込めてかわからないけど。あの子って見た目通り、結構プライドが高いから、きっと外で平気なふりして、結局耐えられなくて家で爆発してる」
「なるほどね」
「それで、お願いしたいんだけど、あの子の歌を考えてくれない?」
「俺が?」
驚いて弦を締めすぎ、間抜けな高い音が出る。頼みは佳子への伝言だと思っていた。
「うん、いつもノートになんか書いてるじゃない。歌詞じゃないの?」
「違うよ」と言ってもお構い無しに続ける。
「とにかく、『赤井美代子』は良い名前なんだって曲を作ってよ。それを私が歌う」
「お願い」と片目を瞑って、顔の前で祈るように指を組む。
「まぁ考えてみるよ」
一応忘れないようにと、ノートに『345』と書いた。
「そういえば、前も数字で呼ばれてる子いなかった? 佳子たちのクラスに」
気まずそうな顔で「うん」という声には少し哀しみを感じた。
「七海ちゃんでしょ? あの子を名前で苛めてたのは、美代子なの。同じ状況だから、余計に苦しいんじゃない? 友達にも言えないだろうし」
「悪いことは巡って来るものなのね〜。恐ろしい」と踵を返して発声練習を始めた。
その日、解散間際にも「じゃあお願いね」と言われたのは覚えているが、その後どうしたんだっけ。ノートに考えた形跡があるが、結局思いつかずに、そのままだったのだろう。
催促された記憶もないので、解決したのだろうと勝手に解釈して、現実に戻る。
営業職、それも外回りで基本が飛び込み訪問。この会社で社交性が培われた。自然に笑顔が出るようになったのは果たして良いことなのか。学生時代は身内にしか笑顔を見せないことで格好つけていた。あの時の人たちが今の姿を見たら驚くだろうな。見せたいような見せたくないような少しモヤっとした気持ちを打ち消すべく、音楽をかける。
帰りに小さいノートを買って帰ろう。
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