三.angel fall
何年も忘れていたのに、思いがけない兄の言葉で、佳子の全身にビリッと電気が走った。
イオンのどの店だろうか。ショップ店員ではないだろうし、雑貨屋?しかし、あの七海が接客なんてするのだろうか。イオンと言っていたから、もしかすると地下のスーパーの方かもしれない。惣菜とか、品出しとか裏方系の仕事。それならわかるけど、兄が七海だと気付いたということは、裏方ならかなりタイミングが良くないとわからないのではないだろうか。
それにしても、イオンにいるなんて。
ただのバイトでも、もっと人目に付かない仕事を選ぶと思っていた。いや、違う。そういうことを考えたことがなかった。七海はいつまでもあの時のままで、あの家の自分の部屋の中にいるのだと思っていた。そんなはずもないのに、私やみんなと一緒に成長しているはずなのに、なんとなく自分の都合の良いように思っていた。あそこにずっといて、あのまま変わっていないと。
そうか、地元にいるんだ。どうしよう、ちょうど明日美代子たちと会うけど、言うべきか。
あ、そうだ。と佳子はさっきまで弄っていた携帯のロックを再び解除する。SNSで七海の名前を検索にかける。漢字やローマ字で検索してみたが、ヒットはしなかった。見たかったような、見たくなかったようなモヤモヤとした気持ちになりながらも、どこか安堵している自分に気付く。
卒業アルバムを開いてみようかと部屋に戻ったが、押入れの上段にあった為、そこまで必死になることが躊躇われて、諦める。
それより、明日美代子に会うから、パックでもしよう。服はどうしようかな。
この前マネキン買いした勝負服を思い浮かべて首を振る。あの色合いは今流行ってるから、万が一被ってしまった時の気まずさを考えると、多分一生後悔する。前回会った時に美代子が着ていたようなボーダーのニットにしよう。同じものは流石に着てこないはずだ。
ネタは何にしよう。ちょっと前に行った合コンの話にしよう。あの冴えないメンツの話に少し色を付けて話せば面白いはずだ。
結局いつまでも美代子に支配されている、自分の狭い世界に少し凹む。
彼氏がいることは、明日遊ぶメンバーにまだ話していない。
付き合う前、職場の先輩に紹介されて何度か食事に行った時のことを話したことがある。
「よかったじゃん! どんな人だったの?」
「背が高くて結構ガタイの良い感じだったよ。顔はまぁまぁかな」
「へぇ〜、佳子マッチョ好きだもんねぇ。いいじゃん、久々の彼氏だし、今度みんなでお祝いしないと。その時はもちろん連れて来てね!」
「もう美代子、気が早いよぉ〜。まだ付き合うかわかんないし」
「佳子に惹かれない男なんていないって。そういえば、何のお仕事してる人?」
「大工さんだって。何とか建設って、会社の作業着着てた」
「えっ」と美代子の顔が引き攣る。
「大工? 確か年上だったよね? デートに作業着ってどこのお店に行ったの?」
急に身を乗り出して問いかける美代子に怯みつつ、答える。
「一個上。その時は、この前出来たハンバーグのお店。ほら、アメリカンチックなところの」
「まじで〜!? うそ、信じられない。え、その人のどこがいいの?」
さっきよりもっと怪訝な顔をした美代子が今度は身を逸らす。
「えっと、話してて趣味とか合って楽しかったし、良い人だと思ったんだけど、微妙かな?」
居た堪れなくなり美代子に聞くと「当たり前じゃない」とまた信じられないというような顔を浮かべて溜息をつく。
もう聞く価値もないと判断したのか、単に興味がなくなったのか、表情を戻し通りかかった店員にお冷のお代わりを要求した。
それが最初のデートだったことも、お店がなかなか決まらずに、結局自分が提案した場所だったことも、もう言えなかった。それ以来、彼の話はしていない。
一度だけ、思い出したように美代子から「そういえば鳶の彼、どうなった?」と聞かれたので、結局付き合わなかったと言っておいた。来月二年記念日を迎えることなど、この先言うことはないだろう。
名前も写真も、詳しい情報は話していないので、もしも偶然出会ったら、最近出会った人だと言い訳をすればいい。
ふと、もし彼と結婚することになったらどうしようと考えたこともある。
出会いや初めてのデートのことを披露されたら困るなぁ、とした妄想は、恐らく悪巧みをしているような意地の悪い顔だったことだろう。妄想を膨らませるうちに、彼女らを呼ばないというのもありかもしれない、と顔が緩んだ。その時の台詞ももう決めてある。
身内だけの小さな式がしたいって彼が言うの。その代わり、新婚旅行は豪華にしようね言ってくれたからまぁいいやと思って。
ここまで考えて、いつも行き着くのは二つの疑問。
一つは、彼には結婚する気があるのかどうか。そういう類の話をすると男は逃げたくなるらしいと、婚活コラムで見たから決して自分からはしない。先輩の結婚式の話や子供の話をさりげなくしているが、あまり関心がなさそうだ。
二つ目は、そこまで考えるなら、美代子たちと今も連む必要があるのかどうか。
美代子とは、本音を明かして語り合う、なんてことはしない友人だ。
恐らくグループ内の他の子もそうだ。そう思うと、離れていくことが可哀想に思えて近くにいてしまう。同情心のようなものと、少しの優越感で作られた新しい友情の形。
彼女を立てて彼女の自慢話に同調して、自分は軽く貶される。周りを少し上から見ている彼女が、実は人知れず、寂しい思いをしているのではないかと思うと、愛らしく思えてくる。彼女よりも高い位置で見ている気になる。
「ねぇ、エンジェルフォールって知ってる?」
みんな、知らないと口を揃えた。またいつもの知識自慢かと思い流すように聞いた。
「ベネズエラにある世界最大級の滝なんだけど、名前可愛くない? いつか絶対行く」
美代子が好きな歌手の歌の中に、そういう曲名があるらしい。ちょうど二年前、彼と付き合った頃だったから、確かに可愛い名前だし、新婚旅行はそこもいいなと調べた。ちゃんと言う言葉も考えてある。
美代子が行きたいって言ってたから、私も気になって調べたら、彼もそこ行きたいってなってさぁ。
実際調べると、『エンジェル』は発見した人の名前で、『天使の滝』というロマンチックな名前ではなかったけれど、アウヤンテプイに感銘を受けた。
アウヤンテプイというテーブルマウンテンがあって、そこから流れるのがエンジェルフォールという滝だ。
テーブルマウンテンなんて言葉自体、初めて知ったのだが、名前の通り、頂上がテーブルのような台形状の山だ。その中でも台形ではなく、アウヤンテプイは見たこともない神秘的な形をしている。頂上だけが深い緑色をしていて、固そうな土の地盤が本当に山なんだと驚く。
直角にそびえ立つその山は、頂上以外の周り全てが崖になっている。上空から見た写真があったが、雲がかかると、空に突如出現した幻のハート形の島のようだ。
実際に、陸に浮かぶ船や、陸の孤島と言われているらしい。
大昔、地球は四角い形をしていると信じられていたと、歴史か地理の授業で聞いたことがあった。端まで行くと、落ちてしまうから危険だと。落ちた先はどこへ行くのだろうかと気になって、ファンタジーの世界に繋がるかもとか、そういう空想をしたことを思い出す。
行ってみたい。
と、即座に思った。頂上に登ってそこからの景色を見てみたいし、崖の淵に立って、どのようにハート形になっていったのか、自分の目で見て想像したい。そしてそこから流れる滝を見て、愛を誓い合う。素晴らしいプランだ。誰だか忘れたが、そりゃあいい曲も生まれるはずだ。
こんなにもプランはできているのに、実現するのは一体いつになるのだろう。
その時まで美代子とは友人でいるのだろうか。もしも友人でなくなった時にも、このプランを実現させたいと思うのだろうか。
少し心が重くなるのを感じながら、佳子は足のむくみを取る着圧ソックスを履いて、肌の手入れを始めた。
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