二、Hello,world!


もう駄目って思ってから わりと何だかやれている

死にきらないくらいに丈夫 何だかちょっと恥ずかしい


清野寿彦は立ち止まった。振り返って店内を見回す。

何だこの曲は。

十二階建ての商業施設、三階トイレの隣にあるCDショップ。トイレついでにそこを通り抜けて、外に出るつもりだった。ふと、店内で流れる歌の歌詞が耳に入った。店内を見回すが、声の主も知らないのに探せるわけがないか、と諦める。自分の最新音楽がいつで止まっているのか考える。あぁ、六年前だ。

気になってレジへ向かう。六年前の俺ならわざわざ店員に聞くなんて考えもしなかっただろうなと、六年前の自分に見せたくなる。

「あの、すみません。今流れてるこの曲、誰のどのCDですか?」

針金でも入っているのではないかと疑う程、毛束を幾つにも分けて固めたヘアースタイルの店員が横目をこちらに向ける。わざわざ染めたような不自然な濃い色の黒髪で、前髪の一部にだけ金色を入れている。前髪が目にかかって細めているからか、睨まれた様に感じる。いわゆるヴィジュアル系。今もこんな言い方をするのだろうか。

「あぁ、今流れてるやつっすか? えーっと」

寿彦と『十時』という名札を付けた店員を隔てる台の下を、面倒くさそうに覗き込む。重力に逆らったヘアースタイルなのに揺れもしないとは、今時の技術には恐れ入る。

「バンプっすね。ヘローウッド」

「バンプ?」

「バンプオブザチキンってバンド。えっと、あの辺にコーナーあるっすよ」

指差された方をみたら『BUMP』という文字が目に入ったので、礼を言ってそちらへ向かう。

黒紙を貼った上に白い文字で『BUMP OF CHICKEN』とあった。 二度読んだが、どうやら『THE』は付いてないようだ。『待望の新曲!』というキャッチコピーの下に十時が言った曲名があった。

『Hello,world!』

どうやら今時のヴィジュアル系は英語を使わないらしい。もしくは好きなアーティスト以外は正しく読む価値もないというのか。

このまますぐに仕事に戻って、もう一件回ってから昼休憩に入るつもりだったが、頭を切り替える。もういいや。あそこは、担当者が不在だったことにしよう。

試聴用のヘッドフォンを手に取り、曲を流す。歌詞を見なくても頭に入ってくる。今時の邦楽ってこんなんだっけ。歌詞が聞き取れるなんて、ビートルズくらいのものだと思っていた寿彦は聴き入った。

なんて歌詞だ。思わず息を呑む。呼吸が苦しくなる。

こんなこと、大衆に向かって言っていいのか。バレるぞ。

バレるって何だ、と自分で突っ込み、苦笑する。

今まで心の中で思っていても、口に出さなかったこと。認めずに蓋をした思い。

この人、声も良い。誰が歌詞書いてんだろう。

CDを手に取って裏返したり、隅々まで読んで初めて寿彦は自分が興奮していることに気が付いた。同時に、興奮なんていつぶりなのだろうかと溜息をつく。

二回目を流しながら、コーナー全体に目を移す。アルバムも結構出ているようだ。どれも特徴的なジャケットで目を奪われる。この曲が品薄でなくて何となくホッとした。

シングルCDは多分生まれて初めて買った。昔買っていたCDは、洋楽のアルバムばかりだった。きっとレジではにやけていて気持ちが悪かっただろう。他の人が店員だったら、違う店で買ったかもしれないが、俺一人が買ったところで、十時は気になって曲を聴いてみたりしないだろう。聴いたところできっと理解できない。

地下の惣菜コーナーで弁当を買って営業車に乗り込む。四年間ほぼ毎日乗っているが、使うのが二回目のオーディオにCDを吸い込ませる。担当部署が変わって、この車に乗るようになった始めの頃に一度ラジオを付けてみた。その時以来の仕事に機械もビックリしているだろう。仕事柄、県を跨いだり、山道を走ることが多い為、あの時はチューニングが面倒になってすぐに電源を落とした。

改めて聴くと、ベースラインもドラムもカッコいい。ギターも音が豊かで、体の一部の様に楽器をわかっていて、音楽もギターも大好きなんだろうなと思った。鳥肌が立つ。俺はこの域に辿り着く前に飽きて出来なかった、と自分を振り返る。さっきは歌詞ばかり聴いていたが。歌詞を聴き取れるように、楽器が邪魔をしていないのがまたカッコいい。

ベタ褒めだな、と本日二回目の苦笑。


「なぁ、バンプって知ってるか?」

家に帰って妹に尋ねる。

「あぁ、なんか聞いたことある」

「新曲を?」

「なんか有名なやつあるじゃん。新曲は知らない。何、急に」

リビングのソファーに寝転がって携帯を弄りながら、一度も目を合わせないで返事をする妹に、「今時のやつは・・・」と言いかけてあの店員を思い出す。スーツのジャケットを脱ぎながら目をやると、青っぽい画面をスクロールしているだけだった。

今日出逢った自分の感動体験を語りたかったが、のれんに腕押しだと話すのを諦めた。部屋着に着替えてもなお、久々に湧き上がった興奮の処理の仕方がわからずに、妹に声を掛ける。

「ナナコだっけ? イオンでバイトしてたぞ」

フロイトさん、俺の防衛機制は退行らしい。少なくとも今日は。いや、そうでもないか。

妹の声が尖る。

「はぁ? 知らんし」

テレビを見ながら夕飯を済まし、部屋に戻ろうと席を立った時、急に「どこで」と声が聞こえた。自分に向けられたものとは思わずそのまま部屋に向かう。

「ねぇ七海、どこでバイトしてんの」

小さい頃は『なんでなんでお嬢ちゃん』と言われていた佳子も、十年経つと、疑問符をどこかに置いてくるらしい。しかし今度は、先程の尖りに加え、微かに怯えのようなものが入ったような気がした。相変わらず、顔はこちらに向けない。

「イオン」とだけ答えて部屋に戻る。ベッドに寝転がり、充電器に携帯を繋ぐ。一呼吸して、携帯を弄る。いつもの生活パターン。妹と何も変わらない。しかし今日は少し違う。弄り先はいつものSNSじゃなく、バンプについてのインターネット検索。来歴やオフィシャルサイトを熟読する。なんとなく彼らのイメージが具体化してきたので、パソコンを立ち上げ、今日買ったCDを読み込ませる。携帯にも取り込む準備をしてから、曲を聴く。聴きながら、今日の昼の光景がふと頭に浮かんだ。

あぁ、そうだったな、十七さんだったな。

 さっきの佳子の声が浮かんで、急に思い出した。人は嫌がらせをしようと企むと、忘れていた記憶の引き出しが突如開くらしい。思いがけないことが浮かぶように作られている、と呆れた。


十時七海は、佳子のクラスメートだった子だ。小学生は、学習した順に自分の名前を漢字で書くようになる。妹の『きよ野よし子』は、書ける漢字が少ないことが悔しいらしく、自分の名前の漢字を何度も練習していた。

『トトキ』という珍しい苗字なのに、易しい漢字を持つ彼女は、『十時七み』と早くから書いていた。佳子と硬筆教室が一緒で、よく表彰されていた為、寿彦にも見覚えがある。『海』という漢字は、さんずいや曲線が難しく、上手になるまでは平仮名で書くんだというプチ情報も、佳子から聞いた。

あだ名は『十七さん』。元気なお調子者がおどけてみせることで、勝ち取ったムードメーカーという地位。そこに君臨した男子が発した言葉だった。漢数字が多い繋がりから、彼女の『海』も『三』に変換された。ムードメーカーは教室内の摂理では絶対的存在だ。彼女が嫌がったかどうかは知らないが、あだ名はすぐに定着した。

それから数年後、彼女は苛められることとなった。その頃は寿彦も反抗期に入っていて、佳子の学校の話など聞いていなかった為、何故苛められるようになったのかまでは知らない。佳子の部屋から頻繁に聞こえていた友人との電話で何となく知った。

人って変わるもんだな、と心で呟き溜息を吐く。どのような経緯で変わっていったのか、ちょっと想像しただけで背中がぞっとする。明日は我が身かもしれない。




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