一.グングニル


「良かったらこれ書いて」

小学校五年生の時、サイン帳なるものが流行った。私はそれを書くのが大好きだった。私は自他共に認める、引っ込み思案でおとなしい子供だった。世間一般的に言う言葉通り。言葉数が少なく、人前では緊張して自分の思ったことが話せない。その甲斐あってか、本を読むのが好きで、休み時間には本を読んで過ごすことが多かった。

新学年に上がる時の一学期なんかは真っ先に本を開いていた。友達を作ることより、今はこの本を読まなければならない。私には今やる事がある。自分から話し掛けに行くことができなくて、チラチラ目線を動かしているあの暗い子とは違う。私は暗い子ではない。自分のしたい事をしている。友達は後でいいの。

他の子のことが見えないように注意して、なおかつ拒絶の姿勢ではないことを秘かにアピールできるように、背筋を伸ばして本に向かっていた。明るいムードメーカーの子はすぐに近くの席の子か、可愛い子に目を付けて友達になる。前のクラスで同じだった子や、家が近所の幼馴染も一時的にサヨウナラ。

読書と同じくらい好きだったRPGのゲームを思い出す。冒険するために必要な強いパーティ。属性が違って、強い技を持っていて、進化して使えるモンスター。必要なのは、可愛いだけでなく、勝てるモンスター。

そんな無敵パーティの初期メンバー選抜では、私の出番はまず無い。両耳の上半分できっちり切り揃えられたヘアースタイルは、天然パーマでボサボサだし、まん丸の眼鏡に太い眉毛。当時はもう身近になかったから助かったが、あの眼鏡はまさに『牛乳ビンの底のような』見事な丸型だった。太く濃い立派なゲジゲジ眉毛はイジるときっと目立つから、恥ずかしくて整えることはしなかった。第一印象でサヨナラどころか、そもそも土俵にすら上がれない。

そしていつも本を読んでいるか、図書室に行っている真面目そうな子。小学校も高学年になると、図書室に行くより外で遊ぶか、教室で友達と話して過ごす方が充実組とされる。そして、それが無敵パーティで求められる子。

そんな私にも、サイン帳は回ってきた。私は自分用に持つことは結局のところなかったが、きっと何枚集められたかが、その子のステータスになるのだろう。一度も話したことが無いだろうという人にも、もれなくサイン帳は渡されていた。クラスの女子、ほとんど全員が一度は書いたことがあると思う。

みんなが話し掛けないあの子に、サイン帳を書いて貰った私。誰とでも話せて、差別しない優しい私。それも全てがステータスになる。

返ってきた中身を見て笑ったり、話のネタにして遊んだりという陰湿なこともなく、純粋にコレクションのようだった。ただ、男子の書いたものだけはこっそり熟読していたようだ。仲良くなる為に、話し掛ける材料としてこんな打ってつけのものはない。

そのサイン帳の活用方法には気が付いていたが、私は自分のプロフィールを書くのを怠らなかった。みんなに見てもらいたかった。

パッと見ただけでも、突っ込みどころはたくさんあるはずだ。気になるように、質問しやすいように工夫もしている。尚且つ必死さを出さないで、程良く手を抜き、なるべく単語だけの回答にする。

――私のことを知ってくれ、色々聞いてくれ。意外と面白い奴だよ。

私は習い事をたくさんしていた。だから【趣味】の欄はすぐに埋まった。

〈ピアノ、書き方、お茶、読書、サッカー〉

 お茶は、祖母が茶道の先生をしていて、遊びに行くとたまに教わり、抹茶と余ったお茶菓子を頂く程度のものであったが、ここでのポイントは『お茶』と書くことだ。『茶道』という言葉は知っていたが、それが大人の言葉みたいで、ボキャブラリーや趣味を自慢しているように見えそうで避けた。聞かれたらさり気なく話せばいい。

文武両道。バラバラな趣味。

書く順番も決めてある。小さい頃みんなが一度は興味を持つであろう、ピアノや書き方を最初に入れておく。最後に予想外のサッカーで目と興味を引かせる。この順番も戦略の一つだ。サッカーは小学校の少年サッカークラブに入っていた。

 この順番作戦は大成功で、その場で読み、聞かれることが多かった。

「私もピアノやってるよ〜」

「いつも本読んでてすごいよね」

「お茶って何?」

「サッカーって見る方? する方?」

 少しでも賑わうと、机の周りにはすぐ小規模の人集りができる。

「私のも書いて〜!」

「うん、いいよ。明日でいい?」

 ここでやっと、自分がこのクラスにいることが確認できる。

 こうして作戦を立てながら、好きな食べ物や好きな言葉、好きな芸能人など順調に書き進める。

今思えば、あの作戦は就職試験の面接対策マニュアルのようだった。『全部は書かないで、相手に興味を持たせて質問させるように、導く。その為のエピソードもきちんと持っておくこと』

 一ヶ所だけ、意味がわからない項目があり、母に尋ねた。

【私のチャームポイントは、…………だよ♪】

「なぁ、チャームポイントって何?」

「特徴的なところ。魅力的みたいな感じかなぁ」

  外見コンプレックスの私にとっては、家族にも触れられたくないタブーなことだった。母に尋ねずに辞書で調べれば良かったとすぐに後悔した。魅力的なところなんかないし、そんなところを自分で書くような自惚れた真似はできない。特徴で言えばきっとこの太眉だ。でもどうしてそれを自ら晒さなければいけないのか。

しかしこのまま空欄にしておく方がきっとまずい。『私には書くことがありません。自分で気付いています。その上で変えることをしません。満足していると思ってくれて構わない』そういう主張に見えるし、もし人を持ち上げるのが上手い子がいたら、『こんなに可愛いのに謙遜だ』と周りに言うかもしれない。まだまじまじと見られていない私の顔やスタイルに、今一度注目されることになったら困る。前髪やメガネで隠しているニキビや、一度も手入れされていない眉毛を見つけられて、汚いと思われるかもしれない。着ている服がダサいと思われるかも。どうしてこんな項目があるんだ。

 軽く苛立ちながらも、自分を守る為の頭の回転は速いようだ。おかげで、母に再度尋ねるまでに妙な間は空かなかったはずだ。

「え〜、なんて書けばいいん」

「あんたはなぁ〜、目かなぁ。目って書いときよ」

 そんな一部のことでいいのか、と安堵した。もし見られたら、一応二重瞼だから書けばと母から言われたと、先に言おう。


あの時、目なんかがチャームポイントになるのだろうかと疑問だった。目の大きさに大差は感じなかったし、笑顔が可愛い子はみんな笑うと目が細くなる。逆に目を大きく開いたままの表情の方が怖かった。その目が、今では私の武器になっている。

視力低下が進んで、裸眼でサッカーをすることが困難になった為、六年生になった時、コンタクトに変えた。距離感がわからなくて、いきなり目の前にボールが現れ、避ける間も無く顔面に当たるようなことが増えて、確か監督に勧められた。

眼鏡コンプレックスもあった私は、喜んでコンタクトを装着することができた。監督の勧めという盾がある為、抵抗はなかった。「さっき来てた大学生のお兄ちゃんの方が怖がってたよ」と眼科医に褒められたくらいだ。

コンタクトを着けるという、大人の道に一歩進んだ感じが誇らしく、表情が明るくなったのが自分でわかった。そして更には、以前より目が大きくなったと思う。毎朝装着する為に、瞼を上下に広げるからだと思う。ミリでも積もれば大になるのだ。


目は私のグングニルだ。

初めに気が付いたのは高校生の時だった。

「子犬みたいな目をしている」と私を子犬扱いする友達がいた。その子は姉御肌で、みんなから頼られるポジションを目指している子だった。もっと言えば、人より上の立場にいたい子。「あの子は可愛い妹みたい。あの子は守ってあげたいキャラだよね」と褒めているのかどうかはわからないが、最終的には自然と自分が上に立つ構図を作る。そういう子だった。

「美咲まで泣きそうな目になってる、ごめんね」と、悩み事を打ち明けながら涙して語る友達がいた。その子は「美咲は優しいね」とよく言っていた。

授業で当てられないようにと、先生と目を合わせないように黒板の隅を眺めていたら、「橋本、眠そうな目をするな」と叱られた。この先生の授業は退屈で、しかも昼食をとった後の、午後一の時間帯が多く、半数以上の生徒が眠ってしまうという現象を引き起こしていた。ゆっくりと一定のリズムで話すお経のように良く通る声が、眠気合戦に追い討ちをかけていた。

具合の悪い子に付き添えば「あなたも具合が悪そう」と先生に言われたし、具合が悪いのに教室に居座ることで悲劇のヒロインになっている子には「元気そうで安心した、移してないか心配だったの」と言われた。私の本当の調子は逆だったのに。

怒られている時は反省しているように見えるのか、すぐに解放されラッキーだった。

逆に、電話で話すと「何を考えてるのかわからない、聞いてる?」と言われた。

そういうことが増えてきた。

大人になるにつれて、言葉で言われることは少なくなったが、確信した。どうやら私の目は、相手の鏡になるようだ。私の表情は、勝手に読み取りたいように読んで貰える。私の本当の気持ちとは関係なく。

これはきっとラッキーポイントだろう。




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