nombre
緒方溪都
Opening
nombre(ナンブレ)――スペイン語で名前を表す単語。
初めてこの単語を見たとき、ナンバー、つまり番号という意味なのだと思った。いっそのこと名前なんて、番号のようなものだと割り切ってしまえば何のこともないのだろうか。そうしていれば、こんなに考えることもないのだろうか。
自分の名前を誇らしげに語る子もいれば、名付けられた思いとは逆に育ち名前を捨てる子もいる。とにかく私は、自分の名前が嫌いだ。
子供の頃、学校の宿題でこういうものがあった。
『あなたの名前の由来は何ですか? お家の人に聞いてみよう』
その時は自分の名前を何とも思っていなかったので、私も気になりワクワクしながら、その宿題を持ち帰った。どのような思いで付けてくれたのか、聞いたこともなかったし、想像もつかない。母の話を聞くのが楽しみだった。
あれから何年も経った今。その時、母に何と言われたのか全く思い出せない。
もう一度聞けばいいと何度も思う。でもそれが出来ない程、私は大人になってしまった。或いはまだ思春期の中なのか。もっと年を取れば、気軽に聞く事が出来るのだろうか。
単純に怖い。
宿題の事は覚えているのに、その発表したであろう答えを覚えていない事が。
もしも大した理由も無く付けられた名前だったら。
あの頃は取り繕ってそれっぽい事を言っていたのかもしれない。薄い理由だから印象に残っていないのか。今その旨を打ち明けられたら、きっともうダメだ。
家では『私』という言葉を使わないでいる。子供の頃のまま、自分の事を名前で呼ぶ。嫌いになってからも、変わらない。『私』という一人称に変える事の方が、気恥ずかしかった。
一度でも家を離れていれば、距離が開いていれば良かったのか。
私にはきょうだいがいるが、名前の繋がりはない。漢字のどこか一文字を合わせたり、出生順に意味が繋がるように名付けられたり、類語で合わせたり、そういう家庭を見て、羨ましいと思うこともあった。
子供の名前を適当に付ける親などいない。しかし、好きな芸能人の名前をとったり、流行りの名前をつけたりすることは、一文字一文字に意味を持たせた子に比べると、如何なものなのだろうか。
もちろん、そういう人たちを批判しているわけではない。自分の子ができた時でないと、名付ける心境なんてわからないのだろう。そしていざ私が名付けた時には、ここで批判していることが恥ずかしいような名前を、堂々とつけているのかもしれない。
いろいろと考えて文句を言っても、結局のところ、行き当たる先はいつも一つ。
私は自分の名前が嫌いだ。
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