第4話 強奪
小瓶を運び終え、ロンドは誰もいない大礼拝堂に立ちつくす。
辺りは夕日が沈みかけ、壁ぎわの燭台に灯されたロウソクの火も、間もなくその寿命を終えようとしていた。
(ヴィバレイ様のお気持ち、わからなくはないけど……ハミル様の御魂を、死してなお利用するなんて)
ロンドは長い息を吐いて天井を仰ぐ。
秘薬を使うことが、本当に正しいことなのだろうか?
ヴィバレイ様の判断を疑っているわけじゃなく、未熟な自分が情けない。
息をかみ殺し、ロンドは奥の間への扉を見つめた。
(もう一度話してみよう。僕が早く一人前になればいいんだ。ハミル様に秘薬の副作用を背負わせるなんて、僕にはできない)
再び奥の間へ行こうと、ロンドが一歩踏み出す。
その直後――。
荒々しく教会の扉が開かれ、一人の影が大礼拝堂へ躍りこむ。
驚いてロンドが振り向くと、そこには革の鎧を身にまとった巨躯の男が、息を弾ませ、鋭利な琥珀色の目で室内をにらんでいた。
たくましい手には、鋼の大剣がにぎられている。
硬そうな短めの黒髪は、好き勝手に毛先がはねている。広い肩を激しく上下させ、眉間や目尻の皺を深くさせていた。
あまりの形相にロンドは固まる。何度かまばたきしてから、ようやく声が出た。
「……あ、あの、何かあったのですか、ガスト様?」
ロンドの唇は震え、それにつられて声も揺れる。
ガストは教会の警護隊の隊長だ。ほかの隊員たちに怒号を飛ばすところを、何度も見かけている。
穏やかな気性ばかりの僧侶たちの中で、彼の猛々しさは異質だった。
辺りを見渡しながら呼吸を整えると、ガストは目を吊り上げて叫んだ。
「ロンド様、教会に賊が侵入しました!」
「え……ええっ!」
予想もしなかった事態に、ロンドは目を点にした。
「早くこちらへ来てください。まずは貴方を安全な場所へ――」
突然のことでロンドがおろおろしていると、すかさずガストが駆け寄り、ひ弱な細い腕をつかむ。
そのとき、ガシャーンッと、床に食器棚が丸ごと倒れこむような高い音――神聖な教会にあり得ない音が、廊下から響いてきた。
「「ヴィバレイ様!」」
二人は同時に叫ぶと、あわてて大礼拝堂から廊下に出る。
目の前で賊が数名、無残に割られた廊下の窓ガラスから逃げようとしていた。
褐色の布を巻いて顔を隠した彼らは、黒い外套の裾をなびかせ、外へと消えていく。
そして奥の間には、狼狽するヴィバレイとシムの顔があった。
身を守るために法術を使ったのか、二人の体は微光をまとっている。
「秘薬の小瓶をひとつ盗まれた! 誰かあやつらを捕まえてくれ!」
「くっ」
ガストが賊を追いかけ、割れた窓から出ていく。
その背を見ながら、ロンドの顔は青ざめていった。
理由もなく生き返らせるなんて、人の生死をもてあそぶようなものだ。
ロンドは気が遠のきそうになりつつも、唇を噛んで耐える。
(何とかしないと! 馬を出して追いかけよう!)
ロンドは踵を返し、教会の端にある馬小屋へと走り出した。
中庭の小屋につながれた馬の中から、ロンドは白き愛馬の姿を見つける。
すかさず脇に掛けられていた革の手綱を取り、愛馬の頭へ通す。
手綱を引いて愛馬を小屋から出すと、鞍も乗せずにロンドは背中へ飛び乗り、賊が逃げた後を追った。
賊も馬を駆っており、姿は遠ざかりつつあった。
教会を囲む塀の前で、ガストが賊二人と対峙して足止めされていた。
近くの木には、賊のものと思われる黒毛の馬が二頭つながれ、興奮して前足で地をかいている。
剣が激しくぶつかり合っている。
刃をひとつ弾くたびに、間髪入れず新たな刃がガストを襲う。
賊の一人がガストから飛びのき、背後に回って剣を振り上げた。
(あぶないっ!)
ロンドは目をそらさず、ガストを指差して言霊をつぶやいた。
『天駆ける光の精霊よ。彼の者へ、光の加護を与えたまえ』
ガストの体がほのかに光る。
次の瞬間、ガストの背中を賊が斬りつけた。
が、光は剣を弾き、ガストの身を守る。
「どうなってるんだ!?」
あわてふためく賊の隙を見逃さず、ガストは剣の柄で二人の頭を殴打し、気絶させた。
剣をしまい、ガストは賊の馬を一頭拝借して飛び乗ると、ロンドに振り返った。
「ロンド様、助かりました。今から警護隊が賊を追うので、貴方は教会にお戻りください」
馬を走らせようとしたガストの隣へ、ロンドは愛馬を動かして素早く並んだ。
「いえ、どうか僕も一緒に! 秘薬を作った者として、このままにしてはおけません」
「そういうわけには――」
ガストが逃げていく賊に視線を送る。
ロンドも目を向けると、姿が小さくなった彼らは、今にも宵の闇に溶けそうになっていた。
小さくガストはため息をつき、ロンドへうなずく。
「……わかりました。ご無理はなさらないようにしてください」
「ありがとうございます、ガスト様」
すぐに二人は馬の足を速め、賊の背中を追う。
かなり距離が開いている。間に合わないかもしれない、と不安を覚えながら、ロンドは首を横に振る。
(不安がってる場合じゃない。絶対に追いつかないと)
秘薬を使わせてはいけない。その使命感だけが、ロンドの体を動かしていた。
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