第3話 ライラム教を守るために
気がつけば長い廊下は終わり、ロンドは奥の間へたどり着いていた。
奥の間に扉はなく、入り口からは金色にきらめく華麗な祭壇が見える。
部屋の中央では、胸元で両手を組み、ひざまずいて祭壇に祈りを捧げる老僧侶の姿があった。
祈りの言葉を言い終えた頃を見はからい、ロンドは教皇の名を呼んだ。
「あの、ヴィバレイ様……」
ロンドに気づいた教皇ヴィバレイは立ち上がり、足早にロンドの元へ歩み寄った。
齢を経て曲がった背筋。幾重にも顔へ刻まれた皺。腹部にまで伸びた立派な白髭は口元を隠しており、うまく表情がつかめない。
しかし、今は小さな目がゆるやかに曲線を描き、機嫌のよさが読み取れた。
「おおロンド! 儀式は成功したようだな」
「はい。無事に秘薬を完成させました」
背筋を正してロンドが答えると、ヴィバレイは満足そうにうなずいた。
「見事だ。予定よりも少々量は多くなったが、まあいい。よくやってくれた」
ヴィバレイが顔と同じ皺ばかりの手を差し出す。ロンドは壺を落とさぬよう、ヴィバレイに手渡した。
尋ねるなら今しかない。
満足そうに壺をのぞくヴィバレイへ、ロンドは上ずった声で尋ねる。
「あの、ヴィバレイ様。ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「別にかまわぬが、何を聞きたいのだ?」
「僕たちは『むやみに光が闇へ還る流れに逆らってはいけない』と教えられてきました。秘薬の作り方は伝わっていますが、過去に作られたのは数えるほどです」
死人還りの秘薬を作る前に、ロンドは教会の文献に何度も目を通していた。
容易に生死を操ってはいけない、という教えのほかに――秘薬には副作用もあると書かれていた。
文献では、徳の高くない者に秘薬を使えば、生前よりも凶暴性を帯びたとも、破壊欲が強くなるとも書かれている。
中には、世を乱そうとする輩に変わってしまった者もいるらしい。
人格者でなければ、副作用を抑えられない。
そのため教えの中では、容易に秘薬を作ってはいけないと戒められている。
ロンドは胸騒ぎを覚えながら、おずおずと口を開いた。
「ヴィバレイ様は、一体どなたを甦らせようとしているのですか? どうして今、死人還りの秘薬を使わなければいけないのですか?」
小さくヴィバレイはうなると、声を低くして語りかけた。
「うむ……私はな、教皇ハミルを甦らせたいのだ」
ライラム教は千年の歴史を持っており、徳と法力が高い者を代々教皇としてきた。
そんな歴代の教皇の中でも、最も徳が高く、法力が強大と謳われた教皇。
それが百年前に没した教皇ハミルだった。
しばらくヴィバレイは沈黙し、悲しそうに目を細めた。
「本当はな、私の力が枯れるまでにロンドが成人となり、教皇になってくれればと願っていた。だが、今の私ではそこまで体がもたぬ……死期が近づいておる」
ふっ、とヴィバレイの顔がくもる。
「ロンドよ。お前の法力は申し分ないが、それだけでは教皇は務まらぬ。誰もが認める徳と貫禄を身につけなければいかん。その間、私の代わりに教会の象徴となってくれる者が必要なのだ。今より民衆の信仰心を失わぬようにな」
「僕が未熟なせいで……申し訳ありません」
それ以上ロンドは何も言えず、うつむいた。
昔は王の寵愛を受け、国の教えとしてライラム教は民衆に浸透していた。
しかし百年前、絶対王政を覆す革命が起きた。
革命の成功により王政は終わり、それまで国教として扱われていたライラム教は後ろ盾を失った。
民主政になったこの国で、今もライラム教は根づいている。
だが、以前よりも人々は教会に足を運ばなくなり、熱心に信仰する者も少なくなった。都合が悪くなってから、法術を頼って駆けこんでくる者ばかりだ。
一度冷めてしまった民衆の心を、元に戻すことなどできない。
現状を維持することが、どれだけ難しく、教会を存続させるために必要なことか。そんなヴィバレイの深慮がよくわかった。
(すべては僕の力が至らないから……)
ロンドは心を痛めながら、話題を切り替える。
「歴代の教皇様の中でも、どうしてハミル様なのですか?」
「秘薬は人を生き返らせるが、肉体まで若返らせぬ。歴代の教皇はほとんどが老衰で亡くなられている。そんな中、若くして命を落とし、名高かった教皇。それが教皇ハミルなのだ」
ロンドは口に手を当て、ハミルについて書かれた文献を思い出す。確か二十歳の若さで、流行り病で亡くなったと書かれていた気がする。
一体どれだけ素晴らしい人だったのだろうか? 会えるならば、ぜひ色々な話を聞いて学びたい。しかし秘薬の副作用をハミルに背負わせたくない。
そう思うと心苦しくなり、ロンドの息が詰まった。
ヴィバレイが踵を返し、祭壇へゆっくりと向かい壷を置いた。零れる金色の光に窓から射す光も混じり、輝きが増した。
「ロンドよ。ガラスの小瓶を三つ持ってきて、シムに渡してくれぬか? 秘薬を分けなければな」
「……はい、ただ今お持ちします」
ハミルの復活に、どうしても罪悪感を覚えてしまう。ロンドは晴れぬ心のまま頭を下げ、奥の間を出た。
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