4.寄り道

 

 午後六時過ぎ。


 「陽が沈んでも、暑いですね」


 約束通り、二人は帰り道を一緒に歩いていた。

 秋崎は、行き帰り電車通勤。宇佐見は、朝は大抵ドライブ好きな母親の運転で出勤し、帰りは電車を利用したり迎えに来てもらったりとまちまちなようだ。


 今日は、秋崎が誘ったからなのか、電車で帰ることにしたらしい。


 「……本当に。夏は苦手、です……」

 「暑いから、ですか?」

 「はい。それに、湿度が高くて、お洗濯した服がなかなか乾かないのが……」

 「ああ、分かります。外、雨が降って部屋干しした時なんかは、家の中の湿度が余裕で七十パーセント超えますよね。ほんと、床にキノコが生えるんじゃないかと思うくらいにじめじめして」

 「困ります、よね……。私、雨は割と好きな方なんですけど、夏の湿度が高い時期に降られると、嫌いになってしまいそうです」


 〝雨が好き〟という一言に、秋崎は自分の耳を疑った。


 図らずも、自分と宇佐見にまた一つ共通点があることを発見してしまった。

 天気の中で雨が最も好きだと話すと、周りからは決まって不思議そうにされてきたが、まさかこんなにも近くに自分と同じタイプの人間がいたとは。


 しかもその相手が、まさかの宇佐見だとは。

 秋崎は運命のようなものを感じた。


 「あの……、秋崎さんは、苦手な季節ってありますか?」

 「俺ですか? そうですね、これと言ってないような……」

 

 しばし考えてから、秋崎は再び口を開く。


 「ああでも、強いて言うなら秋ですかね。きらびやかな夏が過ぎて秋が来た瞬間、なんかこう……切なくなるっていうか。柄にもねぇですけど、俺はあの感覚がどうも苦手で」

 「センチメンタル……、というやつです、かね」

 「それです。別に恋しがるほど夏が好きって訳じゃないんですけど、秋になりかけた頃には毎年のように謎の切なさに見舞われて困ってます」


 「……ふふ。名字は崎さん、なんですけどね」


 鈴を転がしたような、愛らしい笑い声がした。


 宇佐見が笑った。

 ただそれだけのことに驚き、秋崎は歩きながら彼女の顔をじっと見つめた。会社ではめったに彼女の笑顔が拝めないせいもあり、不意に笑われるとその一瞬が貴重なものに思えてならない。

 告白をして恋人同士になってからは、そんな特別な瞬間を見られる回数が格段に増えてきている。


 宇佐見さんに、もっと笑って欲しいな――。


 と心の中では思うものの、彼女を笑わせられる自信はない。

 ここは欲張らずに、日常の中で自然と笑顔を見せてくれるのを待つしかないと、気楽に構えることにした。


 「あ。宇佐見さん、ここでちょっと待っててもらえますか。すぐ戻るんで」


 秋崎が立ち止まったのは、昼間、宇佐見とともにアイスを買いに訪れたコンビニだった。一緒に帰ることを約束した際に言った「寄りたいところ」とはここのことだ。

 

 うなずく宇佐見へ笑みを過らせた後、店内へ足を踏み入れる。

 真っ先に向かったのは、アイスコーナーだった。


 「――待たせちゃってすいません」


 二分足らずで用を済ませた秋崎は、店の前で直立不動で待っていたらしい宇佐見の元へと駆け戻る。


 宇佐見はふるふると頭を横に振った後。

 「お、おかえりなさいませ、です」

 と言った。


 これにはさすがの秋崎も噴き出した。いつかテレビで見たメイドカフェの光景を思い出し、それが昼間の「ろうにゃく」と重なってさらなる追い打ちをかけてくる。

 

 片手で覆った顔を背けて悶絶していると、宇佐見が困惑した声で秋崎の名を呼んだ。


 「なっ……、なんでもないです。気にしないで下さい」

 「は、はい……?」


 おほん、と一つ咳ばらいをし、気持ちを落ち着かせる。


 「これ、良かったらどうぞ」


 十二号の小さなビニール袋を宇佐見に向かって差し出す。言わずもがな、中にはたった今コンビニで買ってきたものが入っている。


 微かに首をかしげながら、宇佐見は袋を受け取った。


 中身を確認する際、何故か恐る恐るであった。

 が、すぐに何かに気がつき「あっ」と小さな声を漏らした。


 「これ……、このアイスって」

 「〝フルーツたっぷり! なパフェみたいなアイス〟です。宇佐見さんはこれを食べてみたかったんですよね」


 秋崎を見上げる瞳は、一段ときらきらしていた。眩し過ぎて目をそらしたくなるけれどそらせない、性質の悪い輝きだと思った。


 「え、あ、いやでもっ。秋崎さんにおごってもらう訳には……」

 「おごるっていうか……、俺が宇佐見さんに食べて欲しくて買ったんです。だからこれは、プレゼントです」

 「なっ、なんて素敵なプレゼントを、んですか」

 「……それは褒めてるんですか、それとも責めてるんですか」


 「ほ、褒めてるに決まって……ます」と言いながら、宇佐見は何故か段々と頭を垂れていく。そのせいで声も聞き取りにくくなり、秋崎は思わず屈んで耳を宇佐見の方へ近づけた。


 「……ありがとう……ございます。大好きです(ぽそっ)」

 「俺もです」

 「ひゃぇっ……! き、聞こえてたんですか……っ?!」

 「え、聞いちゃまずかったですか」


 「そ、そんなことは、ないです……けど」


 耳まで真っ赤になりながら宇佐見は目を泳がせている。出来ればずっとその様を眺めていたかったが、アイスには賞味期限があることを秋崎は忘れていなかった。


 「早く食べないと溶けてしまいますね。外はこの暑さですし。……あ、確か近くに公園があったはずなので、そこのベンチまで行きましょうか」


 うなずいた宇佐見と共に歩き出す。


 手を繋ぎたい、という本音は、今は心の中にしまっておくことにした。


 




 日も暮れた時刻だからだろう、公園には誰の姿もなかった。

 木製のベンチの上を軽く手で払い、二人並んで腰かける。


 宇佐見が食べたがったアイスは、俗に〝サンデー〟と呼ばれる形をしていた。白いバニラアイスの周りを、赤色、紫色、だいだい色などをした様々なフルーツが彩っている。まるで、きらびやかな宝石で着飾る貴婦人の姿のようだ。


 「あのお店で一番高かったアイス、ですよね……?」

 手に持ったアイスへ宇佐見が困ったような表情を向けている。まだ値段のことを気にしているらしい。


 「値段に恥じないくらいに美味いですよ、きっと。食べてみて下さい」


 促すと、宇佐見はこくりとうなずきアイスを開封した。

 プラスチック製のスプーンで一口分をすくって、ぱくりと食べる。


 途端、色白な顔が輝いた。


 「美味い、ですか?」

 たずねると、宇佐見は咀嚼しながら大きくうなずいた。その瞳こそ、ダイヤモンドにも負けず劣らずの輝きを放っている。

 すぐに二口目、三口目と、スプーンを口へ運ぶ。「口に合って良かったです」と、秋崎はその様を微笑ましく見守った。


 「……あ、の。秋崎さんも、食べてみませんか」


 五口目を飲み込んだ後、不意に宇佐見が問いかけてきた。視線は問いかけた相手の方へは向けられていない。わざとなのか、それとも何の気なしなのかは秋崎にもよく分からなかった。


 「え? いや、俺は」

 「ちょ、丁度、スプーンがもう一つありますので、ぜひっ。こっち側は、まだ口をつけていませんし」


 コンビニの袋の中には、確かにもう一本スプーンが入っていた。店員が多めに入れてくれたようだ。まさか、店外に待たせてある連れに気がつき気を利かせて……なんてことはなく、ただの偶然だろう。


 「じゃあ……、一口だけ」


 秋崎が答える前に、宇佐見はもう一つのスプーンを取り出し開封を始めていた。今日も他人への充分すぎる気遣いは健全だ。


 スプーンを受け取ろうとする秋崎の手が空を切った。


 まだ未使用のスプーンは、何故か宇佐見の手に握られている。

 疑問を抱いたのも束の間。


 「はい。お口、開けて下さい」


 一口分のアイスをすくったスプーンを、宇佐見は秋崎の目前に差し出した。


 「宇佐見さんがしてくれるサービスつきですか。マジですか」


 「……え。あ、えっ……?!」


 秋崎よりも、行動を起こした本人が驚いているのは何故なのだろう。

 瞬きをしつつ、秋崎はたった今自分の口元へ運ばれかけたスプーンがアイスの上へ戻される様を眺めていた。

 

 秋によく感じる〝切ない〟や〝哀しい〟といった感情がこのタイミングで込み上げてきて、そういえば明日は立秋だったなと思い出した。


 「すっ、すみません……! 私……えっ、ななななんであんな……」

 「宇佐見さんって、意外と積極的なんだなぁ、と思ったんですけど、俺の早とちりだったみたいですね」

 「積極て……っ。い、今のはその、間違えた……と、いいますか……」

 「どんな間違いですか」


 突っ込みを入れた声は、自分でも分かるほどに残念がっていた。約一か月間も恋焦がれていた相手と、やっと恋人らしいことが出来ると期待したのに。普段は思っていることが顔に出ない性質の秋崎も、この時ばかりはため息を吐くとともに目を伏せた。きっと傍目からでも落胆していると分かるに違いない。


 「味見させてくれなくていいですから、溶けない内に早く食べちゃって下さい」

 

 感情の抑えられた声で促す。

 が、宇佐見は首を横に振った。


 「い、や……。それじゃダメ、なんです。私は、秋崎さんにもこのアイスを食べて欲しい、です」

 「値段のことなら、気にしなくていいですから――」

 「そうじゃなくって……!」


 珍しく、宇佐見が声を張った。


 あまりに意外だったせいで、秋崎は無意識に彼女の顔へと焦点を合わせていた。

 心なしか、大きな黒い瞳が潤んでいるような。表情はと言えば、困ったような戸惑ったようなそんな風に見える。入社したての頃によく見せていたものに近い。


 「私は、一口でいいので秋崎さんにも味わって欲しい……です。同じものを食べて、美味しいって感想を言い合ってみたくて……。だからその、お値段とかを気にしている訳ではなくって」

 「じゃあ、さっきの幻のは何だったんですか?」

 「あれはっ、私にもよく……分かりません」

 「出来ることなら、幻にしないでもらいたかったんですけど……」


 「……ふぇ?」


 カップを支えている宇佐見の指先を水滴が濡らしていく。

 中のアイスも溶け始め、フルーツがバニラアイスの中に沈没しかけている。せっかく美味しく食べて欲しくてプレゼントしたのだから、なるべく風味が損なわれない内に食べきって欲しい。


 「宇佐見さんの手で、直接、味見させてもらうことは可能ですか?」


 をぜひしてもらいたい旨を、遠回しに伝えてみる。すなわち、これは秋崎からのおねだりに過ぎない。

 今はそれでもいい。

 いつか彼女の方から自然とやってくれるようになるまで、秋崎は気長に待つことにした。


 「え、あ、う……っ。か、かのー……です」

 「では、スタンバイよろしくお願いします」

 なんだか音楽番組の司会者のような口振りだなと、言ってから秋崎は思った。


 宇佐見の色白でほっそりとした指が真新しい方のスプーンをつかみ持ち上げる。


 「で、では……えっと。……あ、あーん……?」

 語尾に疑問符を浮かばせながらも、宇佐見はスプーンを持った腕を秋崎の口元へ伸ばした。


 一口分だけすくわれたアイスは、今度は無事に秋崎の元へ辿り着いた。


 「……うん。めちゃくちゃ美味いっす」


 よく食べているはずのバニラアイスが、この時はいつも以上に甘く感じられた。

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