2.ジャンケン


 「……暑い、ですね」

 「はい。めちゃくちゃ暑いっすね」


 秋崎と宇佐見は、並んで歩道を歩きながら短く会話を交わした。互いの声は、それぞれうんざりとした調子であった。頭上から日光がギラギラと照りつけてくるのだ、うんざりしないはずがない。容赦のなさが得田と重なって、秋崎は出そうになったため息をこらえた。


 六人で行ったジャンケンは、三回あいこが続いた。

 人数が多ければ多いほど、互いに出す手が被る確率も上がる。炎天下を歩きたくないという気持ちからか、誰もが真剣な表情をしていた。微笑を絶やさないイメージのある天満と、真剣な様子など普段はめったに見せることのない得田までもが真顔だった。

 言い出しっぺが負けて泣く泣く買い出しに行くという展開を、秋崎は期待した。得田がジャンケンに弱いことを、高校の時から知っているからだ。自覚しているはずだが、よくもまあ自信満々で勝負を挑んだものである。


 だが、残念なことに得田が負けることはなかった。

 秋崎を待っていたのは、期待も予想も裏切る結果だった。


 「……にしても、宇佐見さんまで一緒に来ることはなかったんですよ? 俺たち二人がジャンケンに負けたのは事実ですけど、コンビニでアイスを買ってくるくらいなら俺一人で充分ですし」


 最終的に、負けたのは秋崎と宇佐見の二人だった。彼らはチョキを出し、他の四人はそろってグーを出した。

 出した拳をそのまま「よっしゃあ」という掛け声と共に振り上げる得田を見た後、秋崎は思わず隣りの宇佐見へ視線を移した。すると、彼女と目が合い三秒ほど見つめ合う形になった。誰かと顔を見合わせる、という行為が成立したのは今まで生きてきて初めてのような気がした。


 宇佐見と同じ手を出せて嬉しかった一方、彼女を暑い外へ買い出しに行かせる訳にはいかないという気持ちも当然、働いた。


 「おおっと。二人そろって同じ手を出して負けるなんて、先輩と宇佐見さんは仲良しですねー。せっかくなんで、二人仲良く買い出しに行って来て下さい」


 自分が一人でコンビニまで行ってくる、と宇佐見へ告げるより早く得田が可笑しそうに笑って言った。彼は社内でたった一人、秋崎が宇佐見へ抱いている気持ちを知っているから、気を利かせたつもりだったのかもしれない。

 が、宇佐見を気遣おうとしていた秋崎にとって、その一言は余計だった。


 「宇佐見さんは行かなくていいですよ。俺が一人で行ってきますから」

 「い、いえっ。わ……私も行きます。お供させて下さい」


 『お供』という単語を聞いたのは、小さい頃に「桃太郎」を読んで以来なような。

 古めかしい表現に思わず苦笑したものの、どうしても彼女を暑い社外に出す気にはなれなかった。それで断り続けたのだが、宇佐見の方も渋り続けた。

 

 結局は秋崎が折れる形となり、こうして一緒にコンビニまでの道を歩いているのである。


 「今からでも会社に戻りますか? 社内の方が外よりも涼しいですし」

 「お、お断り、します」

 今日の宇佐見はやけに頑固だ。何が彼女をそうさせるのか、秋崎には分からない。まさか好んで炎天下を歩いている訳でもあるまい。


 「もしかして、どんなアイスがあるのか見てみたかったんですか?」

 会社を出る前に、課のメンバーたちからはどのアイスを食べたいか聞いてメモを取ってきた。本人が希望するアイスがなかった時のことも考えて、第三希望までたずねていたら予想以上に時間がかかった。おかげで昼休み時間はもうほとんど残されていない。


 急がなければという気持ちからつい早足になってしまう。

 気がつけば、宇佐見との間に距離が空いてしまっていた。秋崎の後を小走りになってまでちゃんとついて来る宇佐見の姿は、なんだか健気だ。


 秋崎と宇佐見には、かなりの身長差がある。百八十と少しある秋崎とは反対に、宇佐見は日本人女性の平均身長よりもかなり低めだ。百五十センチの半ばくらいかと、秋崎は見ている。

 身長差があれば足の長さや歩幅も違ってくる。宇佐見の目線に立ってみれば、秋崎は大分歩くのが早く見えるだろう。


 秋崎は立ち止まり、宇佐見が隣りまで追いついて来るのを待ってからまた歩き出した。今度は、宇佐見の歩くペースに合わせていつもよりゆっくりと歩みを進める。


 「いえ……、そうじゃなくって」


 宇佐見は顔をうつむかせて、小さな声で答えた。

 他にどんな理由があるのだろうと、秋崎は黙って次の言葉を待つ。


 「私はこうして、秋崎さんと並んで一緒に歩いてみたかっただけ……ですから」


 控えめな声量で宇佐見が言う。色が白いその横顔に微かな笑みを見て取った秋崎は、丸まった瞳で彼女をじっと見つめた。


 照れたような、それでも一目見て嬉しそうと分かる表情。

 密かに宇佐見の観察を続けていた秋崎でも目にしたことのない顔だった。

 彼女の新たな一面を見られたこと、そしてそこに自分が関係しているだろうことが、秋崎には素直に嬉しかった。


 「す、すみませんっ。おかしなことを言ってしまいました」

 「……いや、そんなことありませんよ。俺も同じ気持ちですし」

 「……え?」


 隣りで宇佐見がこちらを見上げている気配を感じたが、秋崎は彼女の方を見ずに歩き続けた。


 時間ばかり気になってしまい、大切なことを忘れていた。


 好きな人と同じ時間を共有しているという目の前の現実を。

 会社からは徒歩二分ほどの場所にあるコンビニへ行って戻るだけの短い時間だが、その間だけでも宇佐見と一緒にいられる。これは喜ばしいことだ。


 先ほどの台詞から鑑みるに、宇佐見が秋崎の気遣いを断ってまでついて来たのは、秋崎と少しだけでも一緒にいたかったからなのではないか。


 「宇佐見さんって、ちゃんと俺のこと好きでいてくれてるんですね。なんかちょっと、意外です」

 「ど、どういうことですか。私はっ、ちゃんと秋崎さんのことがすっ―――」


 好意があることを口にしようとしたらしい宇佐見が、途中で立ち止まり口元に手を当てた。

 また舌を噛んだのかと思ったが、今度は痛そうにしていない。きょろきょろと周りの様子を窺っていることから、人目が気になって口をつぐんだらしいと分かる。秋崎としては、人前で堂々と「好きだ」と言うのも言ってもらうのも構わないのだが、恥ずかしがり屋なところのある宇佐見には勇気のいることなのだろう。


 「コンビニまであとちょっとですよ。行きましょう、宇佐見さん」

 「え、あ、はいっ」


 数歩だけ後ろにいる宇佐見を振り返り声をかけると、彼女はあわてた様子で秋崎の隣りまで駆けて来る。


 仕事が終わったら、会社から駅へ向かう帰り道を一緒に歩かないかと誘ってみよう。了承してもらえたら、歩きながらさっき宇佐見が言おうとしていた言葉を今度は自分の方から伝えよう。


 秋崎は心の中でこっそりと決めて、コンビニのガラス戸を引いた。

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