プロローグ 勇者の敗北【0-3】

 そう言うと自身の胸に手を置くネバロ。


 アムドゥスはネバロの言葉とその動作に血相を変えて。


「おいおい、ネバロ。冗談だろぉ!?」


 慌ててネバロのもとへ降り立つ。


「まさかお前さんの魔結晶アニマをこのガキに? 魔結晶アニマは魔人と魔宮のいわば心臓だ。失えばどうなるかは言うまでもねぇよなぁ?!」


「大丈夫だよ、アムドゥス」


 ネバロはうろたえるアムドゥスに言った。

いでその手をゆっくりと持ち上げる。


 彼女の胸から現れるのは魔人の心臓部である高密度の魔力結晶体『魔結晶アニマ』。

その魔結晶アニマは大人の握り拳3つ分ほどもある黒い結晶だった。

並の魔結晶アニマの倍以上の大きさを誇るその結晶からは極彩色ごくさいしょくに縁取られた黒い魔力がほとばしっている。


 ネバロは片方の手で自身の魔結晶アニマを。

そしてもう一方の手はディアスの胸の傷口へと差し込み、再び彼の心臓を握って。


「私の魔結晶アニマをお兄ちゃんにあげる。だからね」


 ディアスに語りかけながら、ディアスの心臓を握る手に力がこもる。


「────お兄ちゃんの心臓は私がもらうね」 


 いでネバロはディアスの胸から勢いよく手を引き抜いた。

ディアスの胸へと魔結晶アニマを押し込み、彼の心臓を自分の胸に押し当てる。


 ネバロの身体に溶けるように飲み込まれたディアスの心臓。

その心臓はネバロの中で再び鼓動を刻み始める。


 一方ディアスの胸へと押し込まれた魔結晶アニマは彼の身体を侵食していた。

その膨大な魔力が血管を伝って全身を駆け巡り、その肉体を破壊すると同時に再構築。

人間のものから魔人のものへと置き換えていく。


 そしてディアスはその激しい苦痛と共に意識を取り戻した。

同時に激しい飢えと渇きにさいなまれる。


「あ、お兄ちゃん起きたね。分かるよ。私とお兄ちゃんは、繋がった・・・・から」


 ネバロが言った。


「なに……が?」


 ディアスは自分の身に何が起きているのか理解できずに呟いて。

その顔を苦悶くもんに歪め、いでその激痛に声にならない叫びをあげる。


 ディアスは自身の身体に魔力が巡っているのを。

同時にその魔力が胸の奥底から溢れているのを感じた。

ディアスが自身の胸に視線を落とすと、そこには魔結晶アニマが覗いていて。

そしてネバロに穿うがたれた胸の傷がみるみる塞がって魔結晶アニマを覆い隠していく。


「まさか俺……を魔人、に……?」


 ディアスは掠れるような声で呟いて。


「魔王……!!」


 いで振り絞るように叫び、憎しみに満ちた眼差しをネバロに向けた。

その瞳が赤く染まってきているのをネバロは確認するとうなずく。


「あは、だいぶ馴染んできたみたいだね。私もお兄ちゃんの心臓が馴染んできたところだよ。だから見てて!」



 ネバロは無邪気に言うと手をかざした。

すると黒骨の床がねじれ、そこから一振りの大剣が姿を現す。


「そいつは」


 呟くと共に、アムドゥスは額にある第3の眼でその剣を観察した。

その虹彩こうさいに虹色の光が幾何学きかがく模様を描いて走る。


[SSSクラス 魔剣『畢竟の黒屍ヒッキョウノクロカバネ』]


 アムドゥスの眼が読み取ったその大剣の名は畢竟の黒屍ヒッキョウノクロカバネ

それは異形の骨がより合わさって形作られたあまりにも長大な剣だった。

脊柱せきちゅうのような柄だけでその長さは大人の身の丈ほどもあり、刃はさらにその倍以上の長さがあって。

 ネバロがその剣を手に取ると、アムドゥスは狂ったように笑い始める。


「ケケケケケ! カーカッカッ! なんてこった、こいつは……!!」


 アムドゥスが言わんとしている事をディアスは肌で感じ取った。

その事実にディアスは驚きを隠せない。

全身をむしばむ痛みを一時いっとき忘れ、今までにない絶望に襲われる。


「ネバロ! お前は魔人でありながらその剣を装備・・したってのか!」


 アムドゥスが言った。


「……あり得ない。魔人は魔宮で生成された武具を装備できない。その力を引き出せないはすだ」


 ディアスが否定の言葉を口にすると、アムドゥスはケケケと笑って。

いで飛び上がると、ディアスの身体を貫く黒骨の上に着地する。


「口ではそう言ってるが、お前だって感じてんだろぉ? あの魔剣を手にしたネバロの力が高まったのをなぁ」


 アムドゥスはディアスに顔を寄せると、にやりとほくそ笑みながら言った。


「んと、こうかな?」


 ネバロが呟いた。

同時にその魔力を大剣へと供給。

自身の魔力を武具へと注入する──そのあり得ない光景にディアスとアムドゥスの視線が釘付けになる。


「まさか」


「その、まさかだろうぜぇ」


 アムドゥスがディアスの予想を肯定した。


「ソードアーツ────」


 ディアスとアムドゥスが見つめる前で。

ネバロが異形の大剣を振りかぶる。


「『坤輿を屠れスラスト・アナ、命喰らいイアレイション)』」


 そして蓄えられた魔力の放出と共に振り下ろされた凶刃。

鼓膜を突き刺すような甲高い音を響かせ、その斬撃は視界を一瞬にして黒で塗り潰した。

斬撃の直線上にあった魔宮の壁は音もなくちりと消えて。

その一撃は大地を覆う広大な魔宮の半分を斬り裂く。


「あり得……ない」 


 ディアスは何度もかぶりを振った。

その視線の先にははるか地平線の先にまで斬擊の走った跡が続き、ちりとなった魔宮の一部が風にたなびいている。


 その時。

突如とつじょとしてディアスの体が沈み始めて。

その体は沼に沈むように黒骨の魔宮に飲み込まれていく。


「じゃあね、お兄ちゃん」


 ディアスが自身を飲み込む黒骨から顔を上げると、ネバロがひらひらと手を振っていて。


「力を使いこなせるようになったらまた会おうね。私、待ってるから」


「ケケケ、俺様は御免だぜぇ。お前さんのつらなんか2度と見たくねぇ。せいぜい無様ぶざまに野垂れ死になぁ。ケケケケケ!」


 そしてアムドゥスの笑い声がこだます。


 ディアスは抵抗しようとするが、彼の体を引きずり込む力は強い。

ついにはディアスの全身が魔宮に飲み込まれた。

カラカラと響く乾いた骨の音と深い闇の中で、ディアスの意識が再び途切れる。







────気付くとディアスは草原に投げ出されていて。

ディアスは上体を起こし、辺りを見回した。

すぐそばには黒骨で構成された魔宮の壁がそびえ立ち、周囲にはディアスの剣が散乱している。


 ディアスはネバロに受けた傷の全てが塞がっていた。

だがその身体はすでに人のものではない。

全てが造り変えられたその肢体を、赤く染まった瞳で確認する。


 いでディアスは散乱した剣へと視線を向けた。

だが剣はそのほとんどが傷つき、損傷していて。

ネバロの攻撃に巻き込まれてそのは欠け、剣身けんしんには幾重いくえにも亀裂が走っている。


 そしてディアスがふと空を見上げると。


「ギャー!! なんで俺様まで魔宮の外に放り出されてんだぁ……?!」


 阿鼻叫喚あびきょうかんする使い魔の姿があった。

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