第26話 「 噛み締める味の痛い 」

 自分はいったい何をしているんだろうという感覚が一切なかったわけではない。それでもカルネはここに立っていることが間違っているとは考えなかった。ずっと一緒に旅をしてきたマメとキノコに黙って一人勝手な行動に出たことだってカルネなりの理由はある。それが例えどんなに下らないものであっても。たった数日の休養を我慢できなかっただけであっても、カルネにとっては価値ある行動だった。故郷を、家族を――何より妹を守るためには沢山の金と、それを薬に変えて持って帰るだけの時間が必要なのだ、と。それに、文献にあった呪いや祟りに二人を巻き込まないという、自分を正当化する言い訳だって用意できた。


(それに、万一にもあいつらに止められることもないしねぇ)


 カルネは黄金に輝く池に潜りながら、自嘲気味に口角を持ち上げた。

 手に持つのは麻の袋。潜った先には降り積もったような砂金の水底。中央には特徴的に白い石柱が突き刺さるようにそこに立っている。透明度の高い水は太陽の光を取り込んできらきらと輝き、カルネは池の縁かららせん状に砂金を取り始めてもう頭を水につけなければ砂金をとれないほど大量に集めていた。幾度も幾度も体を水に浸し、手足の指だけじゃない体の部分がもうふやけて気味悪く爛れた様になっている。


 それでも、カルネの動きは止まらない。

(まだ……まだ足りないんだ……! あんなもんじゃ村人全員を治せない!)


 麻の袋に水底の土ごと砂金を掬い取って岸に戻ると、笊を使って取り分けていく。それをもう何度カルネは行っただろうか。自分にだって分からない。つい先日に体が動かなくなったことも忘れて、何度も何度も繰り返し池に潜る。執念を燃やし、狂気を胸に潜ませて、何度も何度も砂金をとる。岸に集められた砂金はもう人ひとりが遊んで暮らせる量になっていても、カルネの身体は止まらない。


 池に潜り、底の砂金を泥と一緒に麻袋に詰めて、岸に戻ってより分ける。笊の上の土を池の水に溶かしながら血でも吐くように呻く。


「くそったれめ……こんなもんじゃ、まだ、まだ……!」


 焦りが見えた。岸には大量の砂金が別の麻袋に詰まっているのに。

 カルネは視線を池に向けた。そこには透明度の高い池の水が、池の底を覗かせている。


「くっ……もう、あれだけしか残っていないのかい……」


 昨夜からこの場所を目指し、まだ日の明けないうちから砂金をとり始めて、もうあらかた取りつくす勢い。あとはもう池の中央、石柱の付近ばかりで手に入る砂金が尽きてしまう。もし集まった砂金を全て高換金率で交換できればそれで村人の半分は助けられるかもしれない。だが、すべてを完治させるにはまだまだ足りないのだ。


(薬を一度飲めばすっきり回復してくれる魔法の薬なら良かったんだがねぇ。けど、そんなもんじゃアない。神様ってぇやつはそう簡単に試練に合格点をだしちゃくれないんだ。……本当にクソッタレだよ、世の中ってやつは!)


 最低でも七日の服薬。様子を見るならもう二日。一日に二度、朝と晩に飲まなければ完治しないのが『五年掛かり』。だというのに、それは服薬一回分で一財産売り払わなければいけないほどの高額さ。これは神に悪態つくカルネが悪いのか、それとも。


 奥歯を噛みしめて砂金を集め続ける。ふやけた手足を水につけ、一つの村を、そこで暮らす全ての命を護るという傲慢を成し遂げるために、カルネは強く決意する。


 ――もうやるしかない、と。


 本当は――世の理不尽を嘆き、神の試練を嘲笑い、すべてを投げうってしまいたかった。でも、そんな自分の心が煩わしくて仕方もなかった。決意の邪魔になる感情なんて捨ててしまいたかった。脳裏をかける弱さは決意の隙間に顔を覗かせるのだ。


『故郷なんて救わずに、妹だけを救って幸せに暮らせばいいじゃないか』、と。


 しかし、もしそんなことをすれば妹は命を捨てる。「お姉ちゃん、私より助けなくちゃいけない人がいるよ」と、たった数か月しかない命を懸命に笑わせて、頑なに薬を飲まないはずだ。いっそ食事すらとらず、弱った体を自ら死なそうとする可能性だってある。


(あの子はそういう子なんだ。馬鹿が付く善人なんだ。お人好しが、こんなにも救いようがないなんて……くそっ! 馬鹿だよ、本当に。なんでそんな馬鹿がこんなにも、こんなにも愛おしいんだろうねぇ! ああ、儘ならないねぇ!)


 だから、カルネは故郷を救おうとしている。自分の大切な命を護るため、村一つを掬い上げる傲慢たる力技を成功させようとしている。

 池から上がり砂金と土とを分けるカルネは集まっている砂金を見つめた。

 池に残ったわずかな範囲の砂金と、今ある量を考えて、足りないことは明らかになっている。数が減って百人を割っている村の人間ではあるけれど、それでも『五年掛かり』に罹っている人間すべてを助けるにはまだ少ない。

 なら、どうすればいいか。どうすれば大量の金を手にすることが出来るのか。


 知らず目を向けるのは池の中央。

(やはりあれをやるしか……)


 カルネは持ってきた荷物の中からノートを広げた。そこには今まで集めた情報が汚い字で書き連ねてある。

(今まで集めた文献や伝承だけじゃあ分からなかったことが、村長の家で盗み聞きした話でつながったんだ。――二ペソの財貨と、それに伴う禁忌の掟が)

 つまりは二ペソの財貨はいま集めている砂金のこと。長い時間が砂金を堆積させた、黄金に光る池の話だった。そして、池が染まるほどの金が池の中央の石柱の足元から湧き出てくるのであれば、その石柱の下に何があるのか悩むまでもない。


 しかしそうなると、考えられることがもう一つ出てくる。

 石柱の足元から砂金が湧き出すということは、そこに水の流れがあるということ。それは水脈に繋がった道があることを意味している。

 であれば――考えられるストーリーラインは一つに収束していくものだろう。

 カルネは静かにノートを閉じて、目をきつく瞑った。奥歯が軋むほど強く噛みしめる。


(――水脈と砂金の流出。村長の家で聞いた『猛き龍の咆哮』。池の金に欲を出すなという村に残った言い伝え。恐らく、あの柱の下には金脈があるか、巨大な金塊が埋まってる。でも、それに手を出そうものなら水脈から噴き上がるだろう大量の水が二ペソを沈める……それこそ、龍の咆哮をこの耳で聞くような圧倒的な破壊が巻き起こされるはずさ)


 恐ろしい結果は目に見える。石柱を破壊すればいくつもの命が消えるだろう。

 しかし、妹を救えるだけの金がここにあるかもしれない。


 大きく息を吸って、カルネはきつく閉じた瞼を開けた。感情を映さない視線を持ってきた荷物に向ける。あるのは複数本の太く長いロープ。少し視線を動かせば枝ぶりのいい大木と大きな石。頭に浮かぶのは滑車を利用したてこの原理で得られる力が、どの方向から石柱に加わればそれを破壊できるかの計算だった。今まで、金を稼ぐために培ってきた知識を総動員して考えるカルネの瞳の奥に非情が灯り、ユラとカルネは立ち上がった。


「……そうさ、アタイはそんな人間さね。一人を救うために村ごとを掬い上げるだけじゃない。そのためには恩のある村さえ潰せる極悪人さ」



 そして、それから幾ばくもたたないうちに、恐ろしい予感を引き起こす激しい揺れが二ペソの山を真下から揺さぶった。


 マルコ達を置いて一人先に駆けだしたルチルがその池に着いたのは、ちょうど二度目の揺れが山を揺るがした時だった。

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