第25話 「 探索 」

『なら、これから探しに行くのね?』

 三十分前、確認するように言ったのはミイ姉さんだった。


 結果から言うと、カルネが居なくなったことを知らされたマルコとアニールとルチルの三人(二人と一匹)は、マメとキノコの願いを聞く形で捜索の手伝いをすることになったのだ。


「ーーどうか、どうかお願いしやす! 姐御を探してやってください!」

 それはもう血相を変えて、キノコとマメは頭を下げた。何か不吉なものを感じる。マルコから聞いた砂金の話と、カルネの事情と状況を考えれば行き着く先など多くない。マルコもアニールもそれにはすぐに応じ、その一行に随伴する形でルチルも後を追うことを決意したのである。


『はい、すぐにでも。キノコさんとマメさんはひどく慌てていて、このままなら、それこそ何の準備もなく山に入りそうなんです』

『そう、わかった。二ペソは比較的に安全な山だけど、それだって絶対じゃないもの。下草に覆われた坂や鋭いトゲのある植物や、毒を持つ虫もいるもの。山の子たちだって、勘違いから敵対する場合もないとは言えないし』

『あたしも牛さんになっちゃう前には旅をしてきたのでわかります。山の怖さも、動物さんたちの怖さも。ヒトと動物の感覚の違いだって今なら余計に。だから、早く見つけないと。きっとカルネさんは――』


 言葉を詰まらせてうつむいた。カルネがどんな状況でいなくなったのか詳細は聞いていないが、診療所の机の上には大量のメモや文献が広がっていて、持ってきていたはずの山の地図が無くなっているらしい。であれば、カルネが目指す目的地は――?


『それにカルネさんはもう一つ、危ないものを持っていなくなってるそうです』

『猟銃、かしら?』

『はい』


 肉体的不利を補うための、圧倒的な殺傷兵器。それは自然動物とヒトとの肉体性能の差を補うための道具。他者を殺してでも生き残ろうとする人間の、誇らしくも浅ましい知恵の結晶だ。


 ミイ姉さんはハアとため息を零すように了解すると、山の上に視線を送った。

『なら私は山ヌシ様にそのことを伝えなくちゃ。猟銃を持った人間が山に入ったこともそうだけど、山の掟が破られる可能性が出てきたって。ルチル、気を付けるのよ』

『はい、ありがとうございます』

『ああ、っと。そうだ、念のためにお池までの道順を教えておくわ。大丈夫、覚えるのに歯一つの歌を覚えてもらえばいいの。そう、お池の数え歌が、ね』


 それから数分。教えられたことを幾度か繰り返し、ルチルとミイ姉さんはうなずき合った。そして、これから起こるかもしれない何かを防ぐために行動を開始した。



 そして現在――。

 マルコとルチルとアニールは、些か以上に焦りの浮かぶ表情のマメとキノコを連れて、崖下の川を遡っていた。始めが川幅の広い川であってもさかのぼれば細くなる。ぐっと細くなった川幅を追えば追うほどあちらこちらに出てくる小さな池。こう配もきつくなり、下草も生え、山の木々も鬱蒼と視界をふさいでいた。


 そんな道を進みながら、アニールは尋ねる。

「なえ、マルコ。まだ先は長いの?」

「そう、ですね。距離はそんなにないんですが、歩きにくさで言うなら、まだゴールは遠いかもしれません」

「そう。ならもう一つ……道はあってるんだよね?」


 瞳の色が少し疑いのものになっていた。ここまで何の迷いもなく進んできてはいるが、あみだのような道をあちこちに曲がりくねって進んでいれば、疑いの気持ちや不安が出てきたって仕方がない。それはマメとキノコも同じようで、マルコを見る目の中には安心がひとかけもない。

 しかし。マルコは自信ありげな表情で微笑んでいた。


「大丈夫ですよ。心配しないでください、アニールさん。マメさんもキノコさんも、ちゃんと目的地には迎えていますから、安心してください」

「でも、こんな道だなんて聞いてない。これじゃあ迷路じゃない」

「あれ、言ってませんでした?」

「ええ、言ってませんでした!」


 これまでが、道をきちんと知っていなければ必ず迷ってしまうと直感的に理解できてしまう道なりなのだから、アニールの可愛い口だって突き出てしまう。これでもし何かの拍子にはぐれてしまったら? 考えるだけでゾッとしてしまう。

 そして、そんな道であればこそ、こんな心配も沸いて不思議ではないだろう。


「あ、あのう、村長さん……?」

 言ったのは自分の焦りばかりでない息の上がり方をしているマメだった。

「こ、こんなに分かりにくい道順じゃあ、まさか、姐さんも迷っているんじゃあねぇですかねぇ……?」

 だが、このマメの心配に言葉を返したのはアニールではなくキノコである。

「おいおい、マメよぉ。そんな心配を村長さんにぶつけるんじゃあねえ。村長さんもマルコさんも、祭りの用意だって忙しい時に、こうしてわざわざ手を貸してくれてんだ。仮にもし、着いた先に姐御がいなくたってそれはお二人の所為じゃねぇ。んなことくれぇ、分かんだろう、マメよぉ」

「でもよぉ、あっしゃぁよぉ……」

「うるせぇ、うるせぇ。心配なんて分かってらぁ。でもな、いまはマルコさんを信じてお池を目指して進む時だぜぇ。そうだろう?」


 そう言ってキノコはマメの肩を叩いた。――心配なら俺も同じだ、と。

 そんな二人の話を背中で聞くマルコとアニールは、互いに横顔で見合わせた。


「(余計なこと言っちゃったかな)」

「(そんなこと。アニールさんの気持ちももっともですから)」

 下草を踏みしめて出来るだけ後ろの二人が歩きやすくなるように進みながら、マルコは足を止めずに気持ちを告げた。


「マメさんもキノコさんも、心配ですよね。一緒に旅してきた人が急にいなくなったら、当然のことだと思います。僕だって、アニールさんがいなくなったら一生懸命探します。それはきっとアニールさんも、村の人が急にいなくなったら同じ気持ちになってくれると思うんです」

「そうだね。私も大切な人が……マルコがいなくなったりしたら、心配でたまらない」

「それに、一緒に旅をするって、きっと村から出たことのない僕には分からない、とても大きくて掛け替えのない何かが、お互いの心に産まれると思うんです。同じ目的の為に寝食を共にして、同じ苦労を乗り越えていくんですから」


 まあ、村に何もないってわけでもないですけどね――とマルコは笑った。その笑いに含まれた気遣いがマメとキノコの気持ちを和らげたのか、池に行く道をついて行く二人も互いを見合わせて肩を竦めたり口角を持ち上げたり。


「二人とも、あっし達より若ぇってのに、ずいぶんできたお人だ。なあ、キノコよぉ」

「ああ。だからこうして口の悪い姐御の事でも心配して、一緒に探してくれるのさ。お二人が居なければ探しにも行けねぇうちらに力を貸してくれるんだぞ。ありがてぇことじゃねぇか」

「そうさ、全くその通りさ。お二方とも、本当にありがとうございやすぜ」


 ほめちぎるように言われれば背中がかゆくなる。頬を染めるマルコを、アニールは自慢げに見やる。


「いえいえ、そんなことはありません。それに、その言葉はまだ受け取れませんよ」

「そんな! あっしらは本当に感謝してるんですぜぃ!」

「ああ、違いますよ! 勘違いさせたなら謝ります。けど本当に、まだ何もしてません」

「そ、そうなんですかぃ?」

「ええ。例えばですけど、ミルクを買いに来たお客さんにミルクを渡せなかったら、いくら渡したい気持ちがあっても『ありがとう』の言葉は受け取れないのと一緒です。お手伝いするって決めたら、カルネさんを見つける前に感謝の言葉は受け取れないんです。ね、アニールさん」

「うん、マルコの言う通り。まずはこの迷路みたいな道を進んで、池に到着しなくちゃ。マメさんもキノコさんも、それからだと思う!」

「それに、カルネさんは二ペソの地図を持っていなくなっているんですよね。なら、信じて進みましょう。きっとこの先にカルネさんはいますから」


 それは失敗を見ない言葉なのかもしれない。もしいなかったらどうするんだと、先の事を考えていないような。

 けれど、いまはもう動いている。

 動いているのなら後は真っ直ぐ目的地に向けて足を出すしかない。

 出すしかないなら、まず信じる。

 だからマメとキノコは呆れたような笑みを零していた。馬鹿にしているのではない。あまりに真っ直ぐな言葉だったから少し呆気にとられただけだ。


「(なあ、マメよぅ。この人らはずいぶん綺麗だなぁ……)」

「(それってぇのはよ、大きな街じゃ決して良いことだけを呼び込むことじゃねぇかもしれねぇけれどよ、けれどもきっと、どんな場所だって人に一番必要なものなんだと、改めて思ったよ、あっしはよぉ)」


 前を行く二人に男二人は感謝の念を強くした。一緒にいる。それだけで忘れていた何かがポコポコと顔を出して、なんだか自分がきれいになっていくようだった。


「(なあマメよぅ。もしこの先に、万一にも姐御がいなかったとしてもよぉ)」

「(ああ、頭を下げてありがとうと言おう。ああ……キノコ、あっしはこんな気分になるなんて四つの時の誕生日以来さ。両親にはあの日から会えなくなっちまったが、あの日は、心の温まる良い日だったよぉ)」


 ぐずっ、と鼻をすすり上げて、マメは足元の大きな石を避けて歩いた。背中を叩いてくるキノコの手が心地いい。カルネと出会う前の幼少期の思いでも手伝って、目頭が熱くなった。


 と、そんなときに。前を歩くマルコは振り向いてしまうという間の悪さを発揮する。目に入るのは涙を浮かべて背中を叩かれるマメの姿だった。

「え! マメさん、どこか怪我したんですか!」


 素早い動きでマメに駆け寄り、美少年の心配顔をマメの丸顔に近づけた。ふいにドキッとしてしまうのは、マルコからミルクの甘い香りが漂ったからだと自分を納得させる。


「い、いいえぇ! 何でもないんですよ。これはその……目にゴミが入りましてね!」

 あわてたマメは咄嗟にごまかして見せると、それを後押しするようにキノコも大きくうなずいた。

「そ、そうなんですよ! こいつったらよくごみが入るんですよ、目に! でも、もう心配ありません。今さっき涙と一緒に出たみたいでね! なあ、そうだろう、マメ」

「あ、ああ、そうですそうです。キノコの言う通りですよぉ。あっしの眼に入るなんてふてぇ野郎だってんでね、流しだしたところなんです。なあ、キノコ」


 なはははは! とマメとキノコは肩を組んで笑った。そんな二人に「そうですか? 気をつけてください」とマルコは胸をなでおろした。正直なことを言えばマルコたちのことだ、また謙遜させてしまう。これ以上気を使われたらこっちが参ってしまいそうだ、とマメとキノコは考えるのだった。


 そして――そうこうしながら四人と一匹は目的地に向かう。

 人の手が入っていない山道を、下草、樹々を避けながら。一歩足を出すだけでごっそりと体力を削っていく道はまるで人の侵入を拒んでいるよう。


 こんな道をカルネさんは上がっていったのか――考えるマルコは、いいや、この場の全員は歯を食いしばった。倒れ、溺れたカルネがこの道を通ったなら、もしかしたら目指した池でまた溺れている可能性だってあるんじゃないか。そんな思いが胸のどこかに引っかかる。その場の誰もが平静を装いながら、動かす脚に余力が籠る。


 そしてそれは、この場で唯一人の姿を取っていないルチルもそうだった。

 いや、この場で一番焦りを感じていたのはルチルかもしれなかった。

 己が身に降りかかっている呪いが、ミイ姉さんから聞いた祟りの一言を一気に現実足らしめんとしようしているような、そんな焦りが胸を焙っていた。


 ――早く! みんな、もっと早く! 急いで!


 けれど。

 いや。

 だから、なのか。


 全員の胸の奥に潜んだ焦りを無理やり引っ張り出すような出来事は、突然に起こった。


 耳に響かぬ唸り。

 一斉に飛び立つ鳥たち。

 次の瞬間。


 っっっっっっっっっっっっっ――――――ドンンンンンンンンンン……ッ!


 山全体が真下から突き上げられるような強烈なひと揺れ。

 たった一回のその揺れは、全員の表情から余裕の文字を消し去った。

 後に残るのは大地がたてる鳥肌のように残る余震。


 それが何だったのか、山村暮らしの二人にも分からなかったが、じっとりとした汗がマルコとアニールの背中をぐっしょりと濡らした。

 人の根源的な恐怖を暴くような、ヒトの生きる世界のルールとは根本が異なった力が蠢いているような、そんな焦燥が一気に膨らんでいく。顔を見合わせ、誰も彼もが息を飲む。勝手に荒れる呼吸を力技で抑え込んで、マルコは言った。

「――急ぎましょう。山に何かが起ころうとしています」

 


 そしてこの場で唯一真相を知っているだろうルチルが動いたのも、この時だった。

 マルコやアニールの制止を振り切って、牛になったおかげで手に入れた四足の利便を使い倒して、ただ真っ直ぐに。


 ルチルは池へと駆け出した。

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