第24話 「 甘えん坊はまた悩む 」
夜。ルチルは自分の知る限りのことをグラマラスボディーのミイ姉さんにぶちまけた。一から十、洗いざらい、ピンからキリ、一切の合切まで。『聞いてくださいよー』から始まって『それでですね!』をもう何度繰り返したか。それも一度話したことを二度三度と繰り返すのだから、聞き手のミイ姉さんがうんざりし始めたってきっと、誰も責めやしないはずだ。
『はあ、あのねぇ、ルチル……帰って来てからずいぶん経つわよ。あなたがモヤモヤしているのは十分わかったから、そろそろ落ち着いたらどうかしら?』
『なに言ってるんですか!? あたしのモヤモヤはこれくらいで晴れるような生ぬるい物じゃないんですよぅ。ううん、違う。違います! これはもうモヤモヤなんて柔らかそうなものじゃあ例えられません。なんていうか、こう……』
ちょっとばかりルチルはどう表現しようかと考えた結果、妙としか言いようのない体の動かし方を披露してみせた。
『むにょみにゅでずりょんぶにょん、って感じなんですよぅ!』
『むりょぶ……ずにょ、み……?』
『むにょみにゅ、で、ずりょんぶにょん、ですぅ!』
言いながら動かす体はもう四足歩行の獣を通り越し、いやさに足歩行の人間だって出来ないような超越的なものだった。
ぐんにゃりぐんにょりと気味悪く体を動かすルチルに気圧されたようにそれを見つめるミイ姉さんは、しばらく正気でいられなかった。唖然としていた。ハッとしたように意識を取り戻して、いまだ奇妙なダンスを披露しているルチルを落ち着かせる。(危ない。なにかこの世の神秘を垣間見るところだったわ)とか思いながら。
『分かった、分かったから、生命力を吸い取るみたいな変な踊りはやめなさい。見てるとミューティレーションされるような恐怖を感じるわ』
『ごめんなさいい……』
『ふぅ、それで結局ルチルは、そのカルネっていう女性のことが気になっているのね?』
『はい……』
コクとうなずいて、ルチルは一呼吸置く。
『本当に急だったんです。それまでマルコ君とかアニールに向けてとんがった感じのしゃべり方だったのに、二人が離れた途端、あたしは抱きしめられて。お礼を言ったりして。二人に謝っておいてくれとか、駄目なんだとか――』
『駄目? 何が駄目なの?』
『分からないんです。『でも駄目だ。駄目なんだよ』って。悲壮感……? そんな切羽詰まったような、そんな言葉でした』
『腹をくくったような?』
『そう、ですね。覚悟を決めた人の言葉だったようにも思えます』
『そう。覚悟を、ねぇ……』
それは直感のようなものだった。
ミイ姉さんはカルネのことを話でしか知らないし、風貌だって見たことがない。であれば当然、その人間が善悪どちらに寄っているのかも分からない。人を見た目で判断することがよろしくないなんて分かっているが、人間という生き物は、その表情に、服装に、言葉遣いに、人柄が十二分に現れる。例えば、一目見て「こいつ胡散臭い」と感じることがあるように、人の風貌には様々な情報が詰まっている。当人が隠そうとしているものも、知らず発信している場合が多くあるのだ。
だから、この時のミイ姉さんの場合には、やはり直感といって間違いないものだった。
――危機感。
それを、ミイ姉さんは地震が来る前の鳥たちのように感じていた。
(何かが起こる予兆……それも大体、決まって悪いことが起こる前触れなのよね。この、ピリピリした感覚って。去年の暮にもこれとよく似た違和感を覚えて、そしたらあの落石事故は起きた。モウ、本当に嫌な感覚ねぇ)
首筋から背骨を通ってしっぽの先まで、柔い静電気が留まるような気分になる。ミイ姉さんはルチルを見るでもなく眺めながら思考を回す。
(山ヌシ様に報告した方がいいかしらね。もしかしたら余計な不安を煽るだけかもしれないけど、でも……今回のこれは)
と。当人に見ているつもりはなくとも、目を向けられるルチルは何かと思うのは仕方のない事。急に黙り込んでこちらを見つめるグラマラスな角付き美女の悩ましげな瞳に、ルチルは堪らず声をかけるのだった。
『み、ミルク姉さん……? どうか、しましたか』
『あ、ああ、ごめんなさい。少し気になることがあってね』
『気になること?』
『うん、まあ、そうね。ルチルが話してくれたカルネと愉快な仲間達の事を聞いてから、去年の暮れに感じた予感めいたものに似た感覚があってねぇ』
『似てるって、去年の暮にも愉快な三人組が居たってことです?』
『違う違う、もちろん違うわよ。んー、なんて言えばいいのかしら、空気とか雰囲気とか、まあとにかく目に見えない何かが似てるの。新しい年が目の前に迫ったあの時と、年に一度のお祭り――きらら祭りが催される日が近い今回と。ああ、悪いことが起きるね……そう思えて仕方ないのよ』
モフゥ、とミイ姉さんは肩を竦めた。それは気を紛らわす為や場を暗くさせないための行動だったのだろうが、得てしてそういう気遣いは失敗に終わるもので、ルチルは気まずくなっていた。自分の話がミルク姉さんに不安を与えちゃった! とルチルはアワアワと涙目になる。何より、自分自身が紛れもないオカルトに見舞われている状況で、伝説の牝牛が「近々悪いことが起こるだろー」とか言い出せば真実味だって他とは比べ物にならないくらい含まれちゃうのはもう仕方のない事。だからルチルは余計にアワアワしていた。アワアワしすぎて泡拭く一歩手前まで追い詰められていたのだった!
(あ、あれー、あたしまずいこと言っちゃったのかなぁ……)
ルチルはそのアワアワが臨界点を突き抜けて、干し草のベッドに頭から潜り込んだ。毛布から鼻先を出すようにミイ姉さんを覗いて、お手伝いに失敗した子供のように謝った。
『すみませんごめんなさいあたしが変なこと言ったからですよね許してくださいぃ』
『なあに、急に謝ったりして』
『だって……あたしがカルネさんの事を話したから、不安にさせたのかなって』
そういうルチルにミイ姉さんは目を丸くした。それから笑う。
『あなたは、もう……違うわよ。ぜんぜん違う。まあ、ルチルの話を聞いてから嫌な予感を覚えたのは確かだけど――』
『ほら、やっぱり!』
『でも、私が感じているのはもっと大きな、そうね、地震や山火事みたいな大きな災害クラスの予感よ。あそらく、ルチルが昨日今日で話してくれたカルネって子の事じゃないから安心なさいな。きっと、大丈夫だから』
『ほんとう……?』
『ええ。だから、小さい頃にオネショしたマルコみたいなことやってないで、出てきなさいよ』
ミイ姉さんは自分のすぐ近くの干し草をポンポンと叩いて、こっちにおいでとルチルを呼んだ。かぶった干し草を跳ね飛ばす勢いで飛び出すルチルはそのままミイ姉さんのフッカフカのおっぱいに顔を埋める。そこには抗いがたい誘惑が、甘い香りで漂っていた。
『ねえ、ミルク姉さん……』
『ん、どうしたの?』
『その、えっと、おっぱい……』
『あら、今日はたくさん飲むのね』
『だって、いっぱいおしゃべりしたら喉乾いちゃったんだもん……』
ミイ姉さんは上目遣いにこちらを見上げるルチルに微苦笑して、甘える子供を割らすように頭を撫でた。
『そう。いいわよ。たくさん飲んでちょうだいな』
『えへへー、いただきまーす』
返事をするのが早いか、ルチルはおっぱいに吸い付いた。途端に顔がとろける。幸せそうにミルクを飲むルチルを撫で眺めながら、ミイ姉さんは告げる。
『そうだ、ルチル。マルコたちのことで一つ注意しておいてもらいたいことがあるのよ』
声をかけられて、しかしミルクを飲むのをやめないルチルは、上目遣いに首を傾げた。
『えっと、ルチルが話してくれたことに砂金の池っていうのがあったじゃない。あれ、本当にあるのよ。ほら、マルコが毎朝見回ってくれてる大岩の崖、あの下を流れる川の上流にはいくつもの池があった、その中の一つに砂金が湧く池があるのよ』
『んー、んんっぐ、んぐんんぐぐん(へー、あれって本当だったんだ)』
『……ルチル、飲みながらしゃべらないの。何言ってるか分からないわ』
『んぐんっぐんー(ごめんなさい)』
『もう……。いいわ、中断したくないのね』
半分呆れた目でルチルを見るミイ姉さん。それでも夢中で飲んでくれることに悪い気はしないから、もう半分は笑ってしまう。
『でも、あの話にはいくつかルールがあってね。一つ目は、お池への道順。川を遡るといくつもの小さな池が姿を現すんだけど、その小さな池を正しい順番で辿っていかないと道に迷うようになっているのよ。迷ったところで死んじゃうような罠が仕掛けられているわけではないけど、まあ、二日三日は山をさまようようになってるわ』
『んー(へー)』
『そして二つ目は、砂金をとるときのこと。砂金が湧く池の水深はせいぜいが三メートルってところで、そう深くはないの。だから陽の光が当たると金色に輝くとても眩しい場所なんだけど……』
『んんぐっ(だけど?)』
『砂金を浚っていくとね、池の中央、一番深いところに石柱が立っているのよ。その石柱の根元から砂金は湧いていてね。もしその池に溜まる砂金を取りつくしても、それ以上に欲を出してはいけないのよ。これが二つ目の注意ね。もしこの二つをちゃんと守っていれば、そうね、大きな街に豪邸を持てるどころか、小さな村なら買ってしまえるくらいの金額になるんじゃないかしら』
『んんぐっぐ、ぐぐんー(小さな村かー)』
ルチルは乳頭に吸い付きながら気のない返事をする。もともと牛であるミイ姉さんはルチルのその反応に少し驚いた。
『あら、生返事。大金よ?』
『んっん(だって)』
ルチルはそれでもおっぱいが名残惜しいのか、もごもごしながら言った。
『もしそれを手に入れたとして、きっと、あたしもマルコ君もアニールも、全部カルネさんに渡しちゃいます。それに、そのお金はあたしの胸をバインバインにしてくれないじゃないですか。ゆっさゆさのバインバインにあたしはなりたいんです! 詰め物みたいな偽物はお呼びでないとですよぅ!』
そう言って、再びミルクを飲み始めるルチル。(ぶれないはね、この子は)とミイ姉さんは笑った。
『そう、ならいいのだけど。でも気を付けてね。もし、水底の石柱を壊すようなことになったら大変なことになるからね』
『んんぐっぐー(たいへんなこと?)』
『そう、もし石柱が破壊されたら――竜神様の祟りがあるんですって』
それにはルチルの手も止まった。以前なら祟りなんてと笑えたかもしれないが、今は自分が呪いの真っただ中。すがるような眼でミイ姉さんを見上げてしまう。
『石柱の下には驚くような大きさの金塊が眠っているって話なんだけど、でも、その石柱を抜いたら竜神様に祟られて、それはもう大変なことに……』
『た、祟りって、また姿が変わっちゃうの……?』
『なあに、ルチルは「だめよ」って言われたことをしちゃう悪い子なの?』
『しない! しないけどぉ』
今の姿になったのだって悪いことをしようと思ってなったのではない。だから怖い。ミイ姉さんはカタカタ震えるルチルを撫でて微笑む。
『なら、大丈夫よ。何も起こることはないわ。それにルチルはそれをさせないためについて行くの。ほら、そうすれば怖くないでしょう?』
『……、うん。怖くない……』
頬ずる様にミイ姉さんの胸元で身じろぐルチルは再びおっぱいを飲み始めた。
ルチルから見れば、ナイスバディな牛的女性の胸に顔を埋めている少女というどこかに需要がありそうな絵面ではあるが、ミイ姉さんからすれば自分と同類の子供が安らかに自分の乳房に吸い付いているだけ。一般のホルスタイン種とはかけ離れた大きさと、子供もいないのに乳の出る長命の自分には子供はできないだろうと思っていたミイ姉さんにとって、それは幸せな光景だった。それを母性といえばいいのか、子供を持ったことのないミイ姉さんには判断つかなかったが、自然と微笑むことを止めることはできなかった。
しかし。
であれば。
ミイ姉さんは行動しなければと考える。
目瞑って乳を飲むルチルを愛でながら、ミイ姉さんは夜更けを待った。
マルコもルチルも寝静まる、そのときを。
πππ
そして――丸一日が経った翌日の夜。
カルネは二ペソから消えた。
朝、血相を変えたマメとキノコの言葉は、まるで呪いの様にルチルの心を揺さぶった。
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