第23話 「 影を踏むように 」

 さて、ルチルがカルネに引き留められて困惑していた頃。先に場を離れていたアニールは区土地をとがらせていた。不満というものに色があったなら、今のアニールの顔を指していただろうと思えるほどだった。


「もう、何なのあれ。あんな言い方しなくていいじゃない」

「はは、まあまあ。気持ちがトゲトゲしちゃう日だってありますよ」


 しかしマルコは至って平常運転の様子でアニールの隣を歩く。

「カルネさんの置かれている状況を考えればそれも仕方ないと思いますし」

「それは! ……まあ私だって、マルコや二ペソがカルネさんの故郷と同じ状況になったら怒りっぽくなっちゃうかもしれないけどね。でもカルネさん、マルコには何もできないって決めつけてるみたいだった」

「いえいえ、間違ってないですよ。僕にはカルネさんの故郷を掬い上げる力はありません。きっと、一人分の薬を購入することだって出来るかどうか」

「そ、それでも、何とかしたいって思っているし、何とかするために動こうとしてる! それってあんな風に言われるような事じゃないでしょう!」


 突き出した唇を更に突き出して、歩調も強く道を行くアニール。

 確かに、故郷が病に侵されて、自分の家族――大切な妹まで死の淵にいるとなれば、苛立ちが収まらないのも分かる。自業自得としても、溺れてしまったことで貴重な時間を失ったことにも焦りはあるだろう。


 でも、アニールの言っていることだって間違ってはいない。

 さっきのカルネの対応は、転んだ時に助け起こそうとしてくれた人の手を、払いのけるようなもの。そのうえ、子供のあんたに何が出来るんだと馬鹿にする事まで口走っている状況だ。どちらに非があるかと問われれば答えは決まっているはずで、それはカルネの心のうちまで考えたって、マルコの気遣いを無下にしてよいということにはならない。


 ただ、それでも。

「そんなものですか?」

 と、マルコはあっけらかんだった。何を気にした様子も見せずにアニールの隣を歩いていた。あとから追いついてきた子牛のルチルに「おかえりー」と呑気な声をかけていた。


 だからアニールの頬は膨らんでしまう。

「そんなものですか? じゃないよ、マルコ! マルコはさっき馬鹿にされたんだよ? お金も持っていない子供に出来ることなんてない! って言われたの。別にね、そうするのが正しいなんて言わないけど、少しくらい怒ってもいいと思う」

「……って、言われても。アニールさんが怒ってくれていますし」

 それに――と言い置いて。

 人差し指で頬を掻く。

「アニールさんの気持ちも分かるんですけどね、何だろ、怒るとは違う気がするんです」

「ふうん……何が違うの?」

「ええっと、ほら、僕がカルネさんに何かしたいって、それは僕からの一方的な好意じゃないですか」

「こ! 好意……!?」

「そうです。大変な境遇にいて、それを乗り越えようとしているカルネさんを応援したい、力になりたいって気持ちを好意というなら、僕はカルネさんに好意を持っています」

「ああ、そう……そういう」

「あれ、何か僕間違いましたか?」


 アニールは少しでも自分が邪推したことを知って慌てた様に首を振った。

「ううん、何でもないの。それで、怒るとは違うってどういうこと?」


「えっと、ですね……僕は、好意って一方通行でいいと思うんですよ。それは確かに好意を向けた相手から好意が返ってくることが一番いいんだと思うし、押し付けがましいのは駄目だとは思うんですけど、かといって、好意を向けた側――今日のことで言えば僕の方が、カルネさんに『好意を向けたんだからそれ相応の対応をしろ』って要求するのは変だと思うんです」

「うん、まあ、そうだね……」

「ああ、だからって、アニールさんが間違ってるなんて言いません。アニールさんはただ、僕の事を心配して優しく怒ってくれているだけですから。……だからっていうのも変ですけど、僕の今の気持ちとしては怒ってるというより――そうですね、寂しいが一番近いんじゃないかな、って」


 マルコは「ハハッ」と乾いた笑いを零した。もうすぐ一年に一度の祭りがある二ペソの、どこかそわそわした空気の中、平常運転のマルコの表情がどこか空々しい。その顔がアニールの胸をきゅうと締め付ける。


「僕はね、アニールさん。カルネさんの故郷に助かってほしいんです。カルネさんはきっと、たくさんの悲しいことや、いっぱいの辛いことを経験しています。聞いた話では、あの病は最後の最後で一番苦しい思いをさせて、自分の喉を掻き毟るくらい呼吸を求めさせて命を奪う、それは恐ろしい病気だそうですね。そんな病気が蔓延する村に居たってことは、それだけ目にしているはずなんですよね――苦しみの中で、息を引き取っていく人の姿を」

 マルコの眉が悲しく寄った。

「それがどれだけアニールさんの重荷になっているか……想像だってしたくないけど、それがもし僕の大切な人だったらっておもうと、それがもしアニールさんだったらって考えると――ほら、こんなにも胸が痛い」

「マルコ……」


 アニールは隣を歩く自分より少し背の低いマルコに視線を向けた。気づいたマルコは微笑みかける。


「だからね、僕は、カルネさんに力を貸したい。もちろん、見返りなんて考えていません。今日のことだって、まあそもそも、何の経験もない子供の僕が急に出て行ったって邪魔にしかならないと思われても仕方ないんじゃないですかね。もしかしたらカルネさんの方こそ思ったんじゃないですあ? 『馬鹿にしているのか』って。だから、カルネさんの態度に僕が怒るとか、そういうのはちがうっていうか……」


 と、この時だった。


「それでも! マルコが馬鹿にされていいはずないっ!」

 アニールは声を荒げた。動かしていた足を止め、自分の服の裾をぎゅっと握り、口をへの字に曲げて。我慢が出来ないといったふうに。


 これはマルコもルチルも驚いた。アニールが足を止めたことで半歩ほど前に出たマルコはまん丸に見開いた眼を隣に向ける。

「ア、 アニールさん……?」


 アニールはぷるぷると震えながらマルコを見返した。

「私だってカルネさんが辛いのは分かる。もしマルコがって考えたら涙が出るよ。けど、辛いのはカルネさんだけじゃない。マルコだって! マルコだって、お父さんとお母さんを亡くしてまだ一年もたってないじゃない……」

「それは、アニールさんも一緒じゃないですか」

「そうだよ、一緒だよ。村の多くの人があの落石事故で大切な人を亡くしてる。悲しくてつらい思いをしているの! それを何も知らないでカルネさんはマルコのことを……それは、悔しいじゃない。悲しいじゃない……ッ!」


 強く握りしめる手のひらは今にもつかんだ裾をちぎってしまいそうで。悲しく寄った眉は痛そうなほどで。泣き出してしまいそうな自分を懸命に抑えるアニールはスンと鼻をすすった。


「蔓延した病気からふるさとを救おうなんて、カルネさんは凄い人だと思う。けど――」

「けど?」

「マルコに取った態度は、やっぱりよくないよ」

「……。そうですか?」

「そうだよ」

「ですか……ね」


 マルコはタハハと笑った。笑って、大きく息を吸い込んで、それから。アニールの前に立った。強く握られた両手を解くように洋服の裾から外して、そっと包み込む。

 そして、うつむく顔を覗き込んで言う。


「ありがとう、アニールさん。僕の為に怒ってくれて、僕の為に悲しんでくれて。気持ちを思いやって、考えてくれて。それはアニールさんが優しい証拠で、僕はそのやさしさに助けられてます。あの事故で父さんたちが死んでしまったあと、アニールさんは自分も同じ悲しみを背負っているのも関わらず、今日のように僕をいつも気遣ってくれましたね。あの時、僕がどれほど救われたか。きっとアニールさんに伝えきることはこれからも出来ないんだと思います。だって今日も、こうしてアニールさんに心配をかけている」

 でもね――と。マルコはアニールに微笑みかけた。

「僕は、僕の為に悲しんでほしくない。僕の為に怒ってほしくない。アニールさんにはいつも、楽しい気持ちでいてほしいんです。だから、アニールさん――」


「――僕の為に涙を零さないで、どうか、泣き止んでください」


 のぞきこんだアニールの顔はクシャリと歪んでいた。かけた丸メガネには涙がいくつも後をつけて溜まっていた。

 マルコは手を伸ばし、アニールの顔を悲しく染めるしずくを拭う。


「ほら、アニールさん。笑ってください。じゃないと、僕が意地悪したみたいに思われちゃいます。まあ、本当のところ僕が泣かせてしまった原因なのかもしれませんけど」

「ち、ちがうよ! 私が勝手に感極まったって言うか……」

「それに、この子も心配しているようですよ、アニールさん?」


 言われてマルコの視線を追ってみれば、そこには真っ白な子ヤクが心配そうに「モゥ」と泣いて二人を見上げていた。アニールはその心配そうな視線を知って困ったように笑むとルチルの頭を撫でてから息をつく。そして。


「ごめん、マルコ。変なところ見せちゃったね」

「いいえ、そんなことは」

「でも、嬉しかった」

「嬉しかった?」

「うん。だって、あんなに一生懸命慰められちゃったんだもん。嬉しくもなるよ」

「そう言うものですか?」

「そう言うものなの」


 次いで、今度は自分の横、見上げてくるルチルの首元を抱きしめた。

「君もありがとう。ごめんね、嫌なところ見せて」

『……。ううん、アニールは悪くないよ』


 そうして再び立ち上がったアニールは、自分の中でひと段落つけるように息を切った。

「さあて、お祭りの準備だ。がんばんなくっちゃ!」

「そうですね、楽しいお祭りにしましょう!」


 二人は気持ちも新たに一日の仕事や祭りの準備に動き出す。さっきまでとは比べるべくもなく歩調が軽い。


 けれど、そんな二人の背中を見ながらルチルは迷うように顔をしかめる。もう遠くて見えない診療所の方を振り返って、モヤモヤした気持ちが胸にあることを改めて知った。自分に呪いがかかっているからこそ知れてしまったカルネの気持ち。最後に零した違和感の残る言葉。考えたって答えの出るものではないけれど、ルチルは困り顔でため息を吐いてしまう。


『カルネさんはきっと悪い人じゃない。なのに、どうして……?』


 胸に蟠る気持ちの悪い思い。頭を振って追い出そうとしてみるが、それのくらいことで胸の靄は晴れることなかった。だから悩む。マルコ達に取った態度と、自分に見せた本心に。そして「駄目なんだ」という言葉の意味を考えたまま、ルチルという悩み多き少女は二人の背中を追うのだった。

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