第27話 「 揺らぐことのない 」

 開けた場所に出たのと同時に――強烈な揺れが足元を揺らした。

 目に飛び込むのは、周囲三か所から延びる三本のロープ。先端は池の中央に向かって水中に消えていて、何かの装置だということはルチルにも理解できた。


(仕組みは分からないけど、あっちの、大きな石がぶら下がってる木だけがッまだ使われてないのかな。ならまだ間に合うよ。装置は全部が作動してないんだから!)


 焦る気持ちを押さえて探し人のカルネを探す。一度目の突き上げより強くなった余震のような揺れの中、ルチルは視線をあちこちに向ける。

(いた!)


 カルネが居たのは、今さっき起きた強烈な揺れの原因だろう、ロープの仕掛けが繋がった大木の陰だった。物騒な刃物と猟銃を肩に下げた格好だ。

(もう、やめてもらわなくちゃ。このままじゃ大変なことになる)

 ルチルは走った。こちらに気づかずフラフラと次の仕掛けへと歩く彼女が、大変な祟りを引き起こす前に止めようと。走って、カルネの前に回り込み、ルチルは進路をふさぐ形で立ちはだかる。カルネに今の自分の言葉は届かない。けれど、思いは伝わると信じて相対する。


『カルネさん! 駄目だよ、こんことやっ……ッッッ!』

 そのとき、射竦められた。全身の毛穴が大きく開き、頭からしっぽの先まで、すべての毛が逆立った。恐怖という言葉一つで片付けられるものではなかった。何か得体のしれないものが、カルネに宿っていた。


 眼だ。

 絶対の覚悟や決意、あるいは殺意さえもが宿った眼差しだ。


 突然に飛び出してきて中途半端に鳴き止んだ子牛をじろりと一瞥して、カルネは鼻を鳴らした。

「――ふん、お前が一番乗りかい」

 カルネの足は止まらない。手に持った鉈の腹をルチルの首にヒタリと当てて、「どきな」と言わんばかりに押し退かす。


「お前がここに居るってことは、飼い主や村長の嬢ちゃんもここに向かってきてるってこと、か。そして、アタイが居なくなったと泣きついたのはあの馬鹿ども……本当に、お節介な連中だねぇ」


 笑うでもなく持ち上がる口角が不気味だった。生気のない表情なのに眼つきだけがぎらついて、ルチルはいまのカルネのような人間を相手にしたことがなかった。ただ、気圧される。


(こわい……怖いけど! 止めるんだ。止めなくちゃダメなんだ。だからえっと、なんて言葉なら伝わるんだろう。やめましょう? 落ち着いてください? 祟られちゃうんですよ? ああ、どれもしっくりこないよーっ!)


 頭を抱えてしゃがみ込み、『どうしたらー!?』と泣き言る。右手には山の木々が。左手には鏡のような池が。池に映る自分の頭には小さな角と、体を覆う白の体毛。牛的獣娘の自分の身体がオーバーオールを纏っている姿が映し出される。


『ぎゃあ、あたしいま牛だった! 一瞬で忘れてた! あたし、人の言葉がしゃべれないんだったーっ』


 ンモモ、モフー!? とカルネには伝わらない叫びをあげてゴロゴロ転がる牛娘ルチル。突然の子牛の奇行にすこしカルネが振り返るが、足は止まることはない。


(ああ、もう! どうしたらいいかなんてわからないけど、やめさせなきゃ大変なことになるって知ってる! 何がどうなるかなんてわからないけど、呪いや祟りは実在する! 人が牛になっちゃうくらいの不思議がこの世界にはあるんだ! だったら止めなくちゃ。今カルネさんがそんなことになったら、きっとカルネさんは後悔する。――だって、カルネさんは助けたいんだ。故郷を、家族を、大切な人たちを。だから……!)


 ルチルは立ち上がって走った。もう一度カルネの前に回り込んで、立ち塞がる。他人を一目で射竦める迫力が籠った瞳が煩わしそうにギョロと動くが、ルチルはもう臆さない。

 伝える想いがヒトの言葉にならなくても、きっとやめてもらうことは出来ると信じて。


『これ以上は駄目です、カルネさん! やめてください!』


 苛立ち籠る溜息が、ひとつ。

「何だいさっきから、モーモーと。面倒だね。まさか、アタイを止める気かい」

『そのつもりです! カルネさんは知らないかもしれないけど、祟りは本当にあるんです。あたしみたいに牛になっちゃうかもしれないんですよ!』

「へぇ……その眼、本当に止める気なんだねぇ」

『そうです。その気ですよ、あたし。カルネさんが村に戻ってくれるまで、あたしはカルネさんの前に、何度だって立ち塞が――』


 ズドンッ! という内臓を貫くような大きな音がこだました。


『ひぁ……っ』

 身を竦めて、何が起きたか分からなくなったルチルの鼻先に、天から硝煙を上げる銃口が下がってくる。


「良い度胸だと褒めてやりたいところだけどねぇ、お前、人の怖さを知らなすぎやしないかい? それとも、呑気に飼われる家畜は人間の恐ろしさを忘れてしまえるか……牛だろうが鶏だろうが、人は残酷に殺して食っているってぇのにさあ」

『ぁ……ああ、あ…………っ!』

「良いか。お前はアタイを助けてくれた命の恩人だがね、アタイは自分の命より大切なもの為、ここに居るんだ。這い蹲ってもここまで来たんだよ。なら……アタイはお前を殺してでもやり遂げなきゃならないことがあるってことさ。一度だけ、チャンスをやる」


 鼻先に構えた銃口をルチルの額に押し当てて、見るもおぞましい眼つきでカルネは告げる。

「そこを退きな。言葉が通じないからと言って、お前だって命ある獣だ。いまが命のやり取りだってことくらい分かるだろう。引いてくれりゃあ引き金は引かないでおいてやる。けど、引かないなら、アタイは命の恩人でも簡単に殺す。牛に言ってどうなることでもないが、この銃は散弾銃だ。お前くらいの子牛の頭ていど、粉みじんに吹き飛ばすことくらい簡単な代物だからねぇ」


 だから、退きなよ――そう言ってカルネは引き金に指をかける。実際に言葉が通じているなんて考えていないが、その言葉はすらすらと出てきた。じっと子牛の――ルチルの眼を見つめて反応を待つ。


 だが。

 しかし。

 そうであっても。

 揺らぐことなどありはしない。


『あだじ、は! 退ぎまぜんッ!!』

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