第19話 「 古だぬきの化け術 」

 それは仙境に暮らす老師のような風貌の老人だった。これを好々爺と呼ぶには足がすくんでしまう。


「おや、目は覚めたのか。どうだ、痛いところ、苦しいところはないか」

 カルネは慌てて目をこすり、部屋に入ってきた白衣の老人に半身を起こして返した。

「あ、ああ……大丈夫さ」

「ほう、もう起き上がれるか。それは結構」


 老人はカルネに近づくと手を取って脈を測り、目の前に指を立てるとゆっくり左右に振った。

「ふうむ。異常はなさそうだ。手足に痺れといった違和感は?」

「……、ないようだよ」

「そうか。なら良かった」


 言いながら老人は点滴のつまみの様なものを調節する。点滴が落ちる音さえ聞こえてきそうな沈黙が一つ挟まって、カルネは口を開いた。


「それよりもね、ここはどこだい。あんたは、お医者様かい?」

「ほっほ。サマを付けられるような人間ではないが、お前さんの言う通り、私は二ペソ村で診療所を開いているコルトンという爺だよ。村の皆からは爺様や先生などと呼ばれておる」

 じーさんでいいと言っているんだがなあ、とコルトンは苦笑した。


「ふん……、なら知っているだろう、先生。アタイはどうしてここに居るんだい。確かにアタイは川で溺れていたはずさ」

「ふむ、お前さんもかい。まあいい。どうやら記憶もはっきりしているようだ。――そう、お前さんは川で溺れて、今日の午後に、村の長と最近牧場に来た真っ白なヤクの子供に運ばれてきたんだよ。処置が早かったおかげで呼吸は戻っていたが、意識が戻らない。村長のアニール嬢ちゃんなんて、そりゃあもう血相変えて。女の人が川で溺れてた、先生助けてーと慌てておった」

「……村長が? ずんぐりむっくりと、ひょろひょろのっぽの二人じゃなくてかい?」

「ん? ああ、その二人なら後から来たね。どこかからか聞きつけたんだろう。顔色が青を通り越して白くなっててな。今にも倒れそうな様子でお前さんを呼びながら泣いていたよ」

「へぇ……そうかい」


 ぎゅっと、カルネは知らずシーツを握りしめていた。自身の命すら守れず、そのせいでマメやキノコばかりでなく見ず知らずの連中の手まで煩わせた。申し訳ないという気持ちも確かにあるが、自分の不甲斐なさが恥ずかしくて悔しくて――。

(本当に何やってんだろうね、アタイってやつは……っ!)

 噛みしめる。自分自身を。窓から入る陽はまだ赤く染まっていないにもかかわらず、ぐっと部屋の暗がりを強調するようだった。


「おお、そうだった」

 そう言って部屋のテーブルを顎でしますコルトン。釣られるようにカルネも視線を向ければ、見えるのはテーブルの上の紙袋だ。


「あの袋だがな、あれはお前さんにと、のっぽとずんぐりの二人が置いて行ったものだ」

「マメとキノコが……?」

「中はパンのようだよ。聞けば、まともに食事をとっていなかったお前さんに栄養あるものをと用意したものらしい。パンとチーズ、それからミルクと果物も入っとるらしい」

「そんなにも食えるもんか、バカな奴らだね」

「そう言ってやるな、あの二人もお前さんを――」


 言いかけて、言葉が止まる。皮肉気ではあるものの、頬が持ち上がっていた。


「先生、何か言いたいことがあるのかい?」

「いいや、これは爺が悪かった」

「ふん……」


 コルトンは「ほっほ」と笑って言葉を繋ぐ。

「ここからは診療所の爺からの言葉だが、溺れた原因は本人のお前さんが一番に分かっていることだろうから口は出さんよ。けどな、食事はとりなさい。今は点滴でどうにかなってるが、やはり食べることは欠かせないものだ。爺も最近食事量が減って難儀しとるが、お前さんはまだ若い。食事はきちんととれるだろう。無理にとは言わんが、食欲が出たら食べなさい。スープが欲しかったら言ってくれれば用意しよう」

「お節介焼きだね、先生」


「これでも医者の端くれだ。余計な世話だと言われても、元気のない者が元気になるのなら手を尽くしたくもなる。それに、ただでやってやるわけでもないのでな。きちんと料金は頂くよ」

「ハンッ。なんだい、医者ってぇのは勝手に助けた相手に金銭要を求する業突く張りかい」

「ほっほ。金でなく恩を返してくれるというなら、それでも構わんがね。自分の命がどれほどの価値になるのか、それを救った人間にどれほどの恩を返せばいいのか。諸々含めて救われたお前さんが決めると良い」

「ったく、喰えないタヌキだね、くそ爺」


 コルトンはからから笑った。医者などその程度の輩だよ、と楽しそうに。

 実際その通りだとカルネも思う。自分の命に値段をつけて、その分を眼に見えない恩として返していく――考えようによれば一生続く返済だ。医者に対しての支払いは、目に見えないものを見える形にして、やり取りをその場限りのものにするための手段だ。『命を救ってやったんだから』と、それ以上の報酬を脅し取れないよう、また或いは『医者なんだから助けるのは当然だ』という傲慢を許さないよう、両者に諍いを起こさせないための措置とも言える。


(本当に……食えない先生だねぇ)

 カルネは一度大きく息を吐いて、ゆっくりと瞬きをした。自分の手、部屋のテーブル、夕方も近い傾き方をする陽の色と、順に目を巡らせる。感覚として怠さは残っている。けれど、倒れる前にあった体の震えは点滴のおかげか随分収まっていて、完全でなくとも強く拳を作ることが出来る。だから。


 カルネはコルトンに視線を動かした。

「ねえ、先生。聞きたいんだけどね」

「なんだね」

「キノコとマメ……あの二人は今どこにいるんだい」

「ああ、あの二人ならアニール嬢ちゃんの、村長の所だよ」

「村長の?」

「うむ。ここは小さい村だからな、それが大事にならなくても人ひとり溺れていたら騒ぎにもなる。なあに、特段縛り上げられているわけではない。ただ、どうしてこんなことになったかと、話を聞いているだけだよ」

「ふうん。そうかい、なら……」


 カルネはシーツをまくるとベッドから足を下ろした。床を蹴るように軽く足を動かして感覚を確認するとゆっくりと立ち上がる。

「ほう、ふらつきもなく。感心するな、若さというものは」

「これでも体力には自信があるんでね」

「まあ、そうだろうなあ。何せつるはしを一日中振り回していられるのだから――しかしお前さん、倒れたその日にいったいどこへ行くつもりだ」

「そんなのは決まっているさね。村長の所に行って、話してくるんだよ。先に連れていかれた二人に任せて置いたら話なんて進まないだろうからね。それに心配かけ――」


 言いかけて口をつぐむカルネは、鼻を鳴らした。どうやら失言だったらしい。コルトンが小さく肩を竦めた。

「そうかい。医者としては、もう少し休んでほしいんだがなあ」

「心配しなくても、すぐに戻ってくるさ。料金だって払わなければ、気分良く朝日を浴びられなくなりそうだしね」

「ほっほ。義理堅いことだの」

「うるさいよ、古ダヌキ……場所を教えな。いいや、村の人間に聞けばいいか」


 カルネはそういうと部屋の扉へと進んだ。後姿を確認するように眺めるコルトンはため息のような何かを吐き出すとわざとらしく声をかける。


「おお、そうだ。ついでの老婆心なんだが、この部屋を出て左の玄関の横にコート掛けがある。暖かくなる時期ではあるがじきに陽が落ちるからな、上着を羽織っていくといい。坂の上の建物が村長の家だ。急がず、ゆっくり行くと良い」


 部屋を出る直前で顔半分振り返って「なら遠慮なく」と言い残して部屋を出ていくカルネは、扉を後ろ手に閉めて舌打ちをするのだった。

(……本当に、世話を焼きたがるくそ爺だねぇ)

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