第20話 「 背中にかかる灰 」
太ももやふくらはぎの痛みや震えなどは倒れる前よりずっと和らいでいて、歩くことに不便を感じることはなかった。
(まあ、違和感は残るか……最低でも一日は休んでいなかったらダメかねえ、これは)
ため息で表情を曇らせつつ、村長の家を目指す。見回せば村のあちこちに色とりどりの木の細工や、木の実や葉で飾ったリースなどが飾られていた。一軒一軒の間隔が近い村ではないから大きな街のフェスティバルの様相ではないけれど、それでも大きな街ではあまり見られない暖かさ、土の匂いとでもいうようなものが二ペソ全体を包み込むようだった。
(――祭りかねえ)
そんな村に郷愁がわいた。カルネの頭に浮かぶのは故郷での日々。二ペソより小さく、大きな街への道も通っていない。知る人ぞ知るという形容がピタリとはまる村。娯楽という娯楽はなく、唯一の趣味が節制というような、けれども子供たちから笑顔がなくなることのない優しい村だった。
だから、なのだろう。
二ペソの活気に微笑ましさと一緒に、羨望を覚えてしまったのは。不満もそう。嫉妬もそう。――私の故郷だって病気さえなければ。ここよりもっと幸せが溢れているんだ、と気づいた時には気持ちがトゲトゲしくなっていてハッとさせられる。
(……アタイはなんて事を考えているんだろうねぇ。よそ様はよそ様だ。自分勝手な苛立ちなんて向けていいはずがない)
自分自身に呆れて、周囲に向けていた視線を地面へと落とす。
そのとき、小さな子供が三人、カルネの横を駆け抜けた。女の子二人と、男の子。男の子が後を追う形で「まってよー」といっていた。男の子の手には小さめのカボチャが抱えられていて、姉弟でお使いを済ませて家路を急いでいるのだろうとカルネは思う。
――まってよ、おねえちゃん。
不意に、背後から懐かしい声が聞こえた気がした。
「――っ!」
金縛りにあったように僅か足を止めて、目をきつくつむる。
大きく息を吸い込んで、細く長く、ゆっくりと吐き出す。
(……まだ時間はある。大丈夫、大丈夫だ――まだ、間に合うはずだ!)
自分を落ち着けるやり方ならもう覚えている。旅の中、なんど襲われたか分からな焦燥感だ。だから、大丈夫だ――――。
振り返れば、姉弟は仲良さそうに並んで帰っている。
(あの子も、ああだったねぇ。いつもアタイの後ろをついて来て。ひょこひょこと子犬みたいに……両親が歳行ってからの子だからアタイとはうんと歳が離れて。そんな子が、あと少ししか生きられないなんてあって良いはずがない……)
カルネは自分の足を、腕を、そして両手を見た。
(救えるのは私だけなんだ。誰も知ることのないあの小さな村で、病を治してやろうと考えつく野郎なんていないんだ。もし今日、溺れているところを助けられなかったら――)
ゾッと。まるで背後から死神に抱き着かれでもしたような怖気が走った。カルネは震える胸を強く抑え、眉を厳しく寄せる。
(こんな失敗、もう二度としてやるもんかね。故郷を、妹を救えるのは私だけなんだ。その為ならどんなことだってやって見せるさ。アタイに何かあって割を食うのはアタイだけじゃないなんてわかってたはずだった。けど、アタイは本当には分かっていなかったんだ。死ぬのが怖いわけじゃない。アタイが死んだら妹が死ぬ。それだけは絶対に許しちゃならない事なんだ……!)
カルネはひどく歪んだ表情で再び歩き始めた。故郷での病気の蔓延だけじゃない。思慮の浅い時分に怒りが湧く。頑丈に作られている馬車だって、使い続ければガタが来る。車軸は曲がって車輪は割れる。荷台に穴も開けば炉にくべる薪になるのが関の山だ。そんな程度のことわかっていたはずなのに心が体を止めてはくれなかった。
(焦るなと言って無理な話なんだ。なら無理を通してやれる方法を見つけなけりゃならないねぇ。妹はもう一年の猶予はない。そんなの、余りにあんまりじゃないか。妹に、母さんみたいな死に方なんて、させられるはずないんだからねぇ……)
口を引き結びながら、カルネはコルトンに借りた上着の襟を掻き合わせた。体はカッカしているのにやたらと寒い。息すら凍えるんじゃないかと思いながら、村長宅に続く坂を上っていく。長い坂ではない。複雑な感情の整理なんてつけられるはずもなく、その足は村長の家の玄関前に到着した。
(ここだね)
立派でも瀟洒でもない家というものが、カルネには少し意外だった。玄関前に灯篭のような小さな石塔があることを除けば、診療所からここまでで見てきた家屋とそう変わらない。なのに、足が動かない。玄関扉に手を伸ばせばノブを掴める距離なのに。
(さぁて、なんて言ったもんかねぇ)
最初の言葉は決まっている。だが、続く言葉を用意できない。先にこの家に来ているマメとキノコがある程度説明しているはずだが、『もう聞いたんだろう?』で事が済むとは限らないのだし。
(まあ、洗いざらいしゃべっちまったって、何ら不都合があるわけでもないし。探しているものは砂金なんだ。そもそも、今になって考えてみれば、もしあの川で砂金が取れるならこの村の人間が見逃しているのも妙な話なんだ。伝承や文献を漁って、ようやっと二ペソの山って所まで突き止めたはいいけど、実際問題、山は広い。正直なところじゃ、しらみつぶしの始まりとしてあそこを選んだってだけの話だからねぇ)
冷静になってみれば笑い種にも程がある。確かな場所かもわからない川でつるはしを振るって、挙句に溺れるというこの始末。カルネは自嘲も甚だしい気分で目覚めてから幾度目かの愚かしさを噛みしめる。
(まあ、なるようになれだ。アタイには時間は惜しいもんだからね)
腹を決めて大きく深呼吸。息を切るように吐き出してからノックしようと腕を持ち上げ、わずかの間に躊躇が挟まる。それでも動かなければと扉を叩く――その数瞬前。
玄関横に小さく開いた濁りガラスの向こうから、それは聞こえてきた。
『 ――ありますよ、砂金。僕の考えが正しいなら、教えてもらったあの池に―― 』
息が止まった。
なのに心臓は痛みを感じるほどの拍動で脈打っていた。
(まさか――ッ!)
咄嗟に壁に背中を押しつ押し付けて、窓に寄っていくカルネ。
自分が何をしているのか分からない。なぜ呼吸を殺し、怪しく聞き耳を立てているのかが、自分で理解できない。
ただ、続きが気になる。
どうして『砂金がある』という言葉が出てきたのか。あるのなら、どこにあるのか。
カルネは耳をそばだてて、聞き漏らすものかと窓の横に座り込む。
ひどく落ち着かない。高揚なのか緊張なのか。盗み聞きに対する罪悪感も手伝って、静かにしようとすればするほど呼吸が乱れ、胸の鼓動がやけに大きく聞こえる。本当ならば家に入れば事は済む。ノックをして、儀礼的な文句を言い合って、改めて今の話を聞けばいい。
それは分かる。分かっている。
けれど、カルネはそれをしなかった。
二十分もない間、窓の横に居た。
そしてその話が終わっても、カルネは玄関を叩くことはなかった。
玉ねぎと人参といった野菜の甘い匂いと一緒に、胡椒の食欲を誘う刺激な香りが充満していた。
「お帰り。もう少し遅いかと思っていたんでな、まだスープは出来ておらんよ」
「……、なんだい。本当に用意してくれてたのかい」
「医者は嘘つきだが、患者との信頼関係を築く為にスープを振舞うこともあるんだよ」
「ふん、それで治療費をふんだくられたらたまったもんじゃないんだがね」
「ほっほ。お前さんが商業都市ナナチカに豪邸を構える大富豪ってことなら考えなくもないがね、そんな人間ならあの川で溺れたりせんと思うからなあ」
コルトンは鍋をゆっくりかき混ぜながら笑った。それを見てカルネが肩をすくめる。
「そう言えば、帰ってきたのはお前さんだけか。あの二人はどうした」
「ああ、あの二人なら……そろそろ戻ってくるんじゃないかい?」
「何だ、一緒に居たのと違うのか」
「まあね。病み上がりを舐めてたよ。村長の家に着く前に息が上がっちまってね。そこらで休んで戻ってきちまったんだ」
「ふうむ、なら仕方ないの。スープより点滴か?」
「さあね」
鍋をかき回すコルトンの背を見るでもなく眺めるカルネは、頭を振った。
(お人好しめ……人の気も知らないで)
鍋から上がる食欲を指そう湯気で満たされた部屋に背を向けて、カルネは自分が寝かされていた部屋の扉に手をかける。そして。
「スープ、ありがとうよ、先生。けどね、アタイは少し休ませてもらうよ。出来上がったら声をかけとくれな」
カルネはコルトンからの返事がある前に部屋に引っ込んだ。
鍋をかき回す老人は、その様子を黙って背中で見送るのだった。
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