第17話 「 祭りの夜に 」

 始まりは村長の酔いの廻った言葉だった。


『良いか、マー坊。この村、二ペソを管理しているのはこのわしだ。ほかの村や、大きな街との決まり事や約束事を守っておる。それらを守ることで、間接的に二ペソを守ってきたわけじゃな。でもな、本当のことを言って、二ペソをも持っているのは村のみんなのじゃとわしは思う。田畑を耕し、猟に出て、行商人と商いをする。争いはなく、自分の非を認め、謝罪には許しを持って笑顔を守る。ここは山村じゃ。時には獣に襲われる者だって出てくる。かといって、山狩りをして獣を山から追い出してしまえば、山は生きる力を失い、山に生かされとるわしらもこの地を捨てなければならなくなる。そう、この世は順繰りじゃ。何かは誰かに生かされて、誰かは何かに守られておる』


 焚火に照らされて、ミルク酒で染まった顔が余計に赤く見える前村長。膝に幼いアニールを乗せて、マルコに微笑む。


『そしてな、マー坊。その順繰りの中、一番大きな部分を守っているのが、お前の父さんなんじゃよ』

『お父さんが?』

『ああ。毎日毎日、崖の大岩の様子と、その足元にある祠に祈りをささげるため足繁く見守ってくれているじゃろう。あれは、あの場所で悪さをする者がいないか、大岩は今日も立派な姿でいるか、その道すがら大きな変化はないかと、確認するためなんじゃ。それには毎朝村を見て回れるミルク売りが一番の適任なんじゃよ』

『でも、見てるだけじゃ何を守っているか分からないよ。村長さんの方がすごいよ!』

『ナハハハ! そうか、ワシの方がすごいか! けれどこれは、わしの爺さんよりもっと古い時代に交わした、山との約束なんじゃよ。そのお勤めを歴代の牧場主は担っておるんじゃ』

『お山との約束を、お父さんが……』


 小さなマルコはこの時、口をもごもごと動かして照れていた。いいや、誇らしかったのだ。父親が村長に認められるような立派なことをやっていたことが。


だからこそ、だったのか。マルコはここでふと気になったことを口にしていた。

『じゃあ、じゃあさ、村長さん。もしもお父さんがお山との約束を破っちゃったら、どうなっちゃうの?』

『うむ、それなんじゃがな……』


 村長はミルク酒片手に顎を撫でて口をへの字に曲げて見せる。

『わしにも良く分かっておらん』


『えー! 分からないの?』

『いやな、わしも村長じゃ。伝承はきちんと記憶しとる。この歳になれば忘れっぽくもなるが、それでも忘れられないことはあるからの。じゃがなあ……覚えてる伝承が何を指しているのか、それが分からんかったら仕方もあるまいて――聞いてみるか?』

『うん!』


 元気に頷くマルコに笑って、村長は古めかしい言葉を唱えるように口にした。

【 ―― 財貨の山 実り留めし二柱 守りの柱を解さぬ者 龍の逆鱗に触れる時 猛き咆哮ともなって 山一帯を飲み込まん 黄金の夜明けに惑わぬ者よ この地を育み山守りとならん】


 その言葉は小さなマルコには、いやさ自分自身で言う通り村長自身にも理解の難しいものだった。唇を突き出して唸るマルコの頭に手を置いて、わしゃわしゃ撫でた。


『なあ、難しいじゃろう。この二ペソがある土地には、ずっと昔からこの言葉が残されておる。意味も分からず、そもそも嘘か誠か。伝承に残された龍のことも、山を飲み込むなんて事も、そう簡単には信じられん話だ。――けれど、大昔からあるそんな言葉は守っておかんと厄災が起こる。だから、分かることはやっておるのさ。山守りを立てて、二柱と思われとる崖の大岩と小さな祠を見守ることでな』

『んー、でもそれじゃあ、お父さんがお山との約束を守ってるなんて思えないよ』

『はは、そうじゃなあ。ちいと難しかったかも分からんな。けれども、山との約束はきちんと存在しとる。その証拠にな……』


 村長はにやりと口角を曲げて怪しく笑むと、小さな声でひっそりと、マルコに向けてこう言った。


『わしの子供の頃、当時村長を務めていたわしの爺さんと一緒に山に入ったことがある。そこは二ペソの村人も足を踏み入れない山奥だ。樹々は生い茂り、下草は繁茂して、道らしい道さえない山の上じゃった。そんなところを草ぁ掻き分けて進んでいくと、急にぽっかりと穴が開いたように視界が開ける場所に出るのさ。開けた空間、中央には足元から清水を湧かせる岩が鎮座し、ヒカリゴケと蛍と満月大きな満月がそれはもう幻想的でな』


『すごい! 僕も行ってみたい!』

『ああ、マー坊がもっと大きくなったら、連れてってやろうな』

『やったあ!』

『――けど、それだけでは終わらんのじゃよ』


 ミルク酒の杯をクイと傾けて、片眉を持ち上げる。


『なんとその中央にあった岩の上に――大きな狸がおったのじゃ!』

『おっきなタヌキ!?』

『そうとも! だが驚くのは大きさばかりでない。わしの爺さんをその狸が認めた途端、ボフン! と煙を上げて毛むくじゃらの人に化けおったのよ。しかも、流暢に喋るではないか。野太く腹に響く声で』

『村長さんはタヌキとおしゃべりしたことがあるんだ!』

『おお、あるぞい。すごいじゃろ』


 ナハハハハー、と大きく笑う前村長はミルク酒を杯の中で泳がせて、『いいなー。すごいなー』とワクワクしているマルコの頭を撫でた。


『――じゃからな、マー坊。山との約束はあるのじゃ。山との約束があるのならマー坊の父もやはり山との約束を守っていることになる、とわしは思っておるのじゃよ』


 キョトンとした目で見上げてくるマルコに呵々と笑って、『いつか分かるわい』とミルク酒をまた一杯、飲み干した。


 燃えて揺れる焚火を懐かしく見つめる年経た視線。表情の内側を読み取れるほどの経験をしていない幼いマルコはしかし、ただ静かに村長の横顔に見入る。


 と、その時。思い出した様に虚空を見る村長は声を漏らした。

『そういえば……あの大狸はこんなことを言っておったっけな』


【必要に迫られたならば川の上流、水澄みし池の底を浚うと良い。光り輝く黄金は村を救う一助となろう】

『――そしてもう一つ』

【だが、内なる獣の手綱を手放したなら覚悟しろ。猛き龍の咆哮もって、二ペソは水底に沈むだろう】


『――となぁ』

 言い終わって横を見てみれば、マルコの顔が奇妙に歪んでいた。どうやら怖がらせてしまったらしいと内心で反省する村長は、不安少年マルコに二カリと笑いかけた。


『なんじゃ、なんじゃ。そんな顔はするもんでないぞ、マー坊。大丈夫じゃよ、欲を出さねば良いのじゃ。いいや、そもそも欲を出すべき対象すらわしらには良く分かっておらん。言葉からするに金鉱か金脈かと言ったところだろうが、二ペソは山村じゃ。そんなに大きな金が手に入ったからと言って使いどころがない。それに、よそからヨコシマな心を持った連中が来たとて恐れることはないのじゃよ』

『……ど、どうして?』

『そんなことは決まっておる! マー坊の父さんが二ペソを毎日、見守ってくれておるからじゃよ! わしと山守り、二人が無事ならこの地に厄災など起こさせん。安心せい!』


 ナハハハハーと大きく笑って村長は小さなマルコの頭を撫でた。隣のマルコも、膝の上で幾分うつらうつらしていたアニールも、なんだかとても温かな気持ちになったのだった。

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