第7話 「 朝の散歩(ながら歩き) 」

 森を抜けると真っ先に目に映るものが、その岩だった。


 巨大という言葉の頭に『超』という字をいくつか並べてもまだ足らないのではないかと思う大きさの岩。特別に知られる通り名などは付けられていないが、二ペソ村の住人には「お石さん」と呼ばれて親しまれている。


 そんな巨岩と言って誰に憚るでもない大きさの岩はしかし、見るものを些か、初めて見るに至ってはその歩みをソロリソロリと遅くさせる魔法がかかっていた。どんな魔法かと言えば、そう、思い出してほしい。マルコが毎朝通っている「おいしさん」がある場所のことを。【大きな川を見下ろせる高台の様な崖】と既出の通りこの場所は崖であり、巨岩は崖のちょうど縁にでんと佇んでいるのだ。触れてみさえすればこの岩が動くはずはないと感得できるのだが、一見にはそう見えず奇妙なバランスでそこにあり、歩く振動すら崖から岩を滑り落としてしまうのではないかと思わせてしまうのだ。


 そして、そんな大きな岩の足元に、目的である祠はあった。

 マルコ・ストロースとアニール・クッキー。何を祈るわけでもないけれど、習慣としての行動が二人の膝を折らせて、瞼を閉じさせる。安らかな時間だった。崖下から響いてくるせせらぎや、森の木々の合間から届く鳥たちの歌。妖精たちの笑い声が柔らかな風となり、それを見つめる神様の頬笑みが陽光となって降り注ぐような、そんな時間の中をゆったりと泳ぐようなひと時。


「……」

「……」

 二人が瞼を上げたのは、崖下の川で魚が跳ねたタイミングと一緒だった。


「……さて、と。戻りましょうか、アニールさん」

「うん、そうだね」

 散歩がてらの祠の見回り。いつもの習慣ではあるものの、やはり隣に誰かがいるのは楽しいもの。マルコはいつにない充足感を覚えながらアニールと一緒に立ち上がり、崖下の川と背後の森とで清涼な空気が吹き込むこの場所で、立ち上がるに任せたまま背伸びをするアニールに目を奪われた。


(なんて気持ちのいい姿だろう)

 朝日を浴びて瑞々しく照り返す肌は白く、控えめに言っても豊満な胸が押し上げるカーディガンとのコントラストは嫌味がなく美しい。もしマルコに絵心があったなら、或いは彫刻でも嗜んでいたのなら、作品として残したくなったかもしれない。


 マルコは気持ちのいいその様子に感化されたように、自身も真似して体を延ばす。「「ん……ッ、ん~~~~」」、と二人一緒に朝の清々しさ全身で取り込んで、それから息を吐いた。互いに顔を見合わせて、クスッと一笑。何が楽しかったわけではないけれど、笑みがその後も続いて行った。


 その、さなか。

 聞きなれない疲れた声が三つ、崖の下から聞こえてきた。


『姐さん、本問いに高尾であってんですかぁ?』

『当り前さね! まさかあんた達、アタイの言うことが信じられないってぇのかい?』

『い、嫌ですよぉ、姐御ったら! うちらが姐御のことを疑うはずありませんぜ。なあ、マメもそう思うだろぉう』

『そ、そうですよ、キノコの言う通りっすよ、姐さん! 疑ったわけじゃあねぇんですって! だからね、そんなおっかなめぇで睨まないどいてくださいっすよぅ』

『……、ふん! ならつべこべ言うまえに手を動かすんだよ、まったくねぇ!』

『『あいあいさっさー!』』


 苛立ちと疲れをないまぜにした声に、二人していぶかしむマルコとアニール。意味はないけれどそろりそろりと崖の縁へと近寄って、地べたに腹をつけて崖下を覗き込んだ。

「三人組ですね」

「見たことのない人達ね」


 格好は三人ともに探検家然としたもの。それでだけでも目は引かれるのだが、真っ先に目を引くものは、緩く波打つ掠れたような金色の長い髪の女性だった。コロネパンの様な縦ロールが顔の横にぶら下がっているのも彼女に視線を持っていかれる要因の一つだろう。そしてその女性の前でせわしなくテントの設営(のように見える)をしているのが二人の男性だった。背が低く横に広い体形の一人と、背が高くひょろりとした体形の一人。何がどうしたわけではなかったが、マルコとアニールは、背の低い方がマメで高い方がキノコと呼ばれていた人だろうと思った。


「キャンプですかね?」

「んー、それにしては雰囲気が変じゃない?」

「まあ、あまりいい雰囲気じゃあありませんね。なんだか女性は機嫌が悪そうです」

「それに、装備もただのキャンプにしては大げさって言うか、余計なものが多い気がするのよ」


 アニールが小さく指さす先には、キャンプ道具としては何に使うのか分からないつるはし等が。

「つるはしですか……むぅ、何をしに来たんでしょうね?」


 大型テントの設営と一緒に普通のキャンプには必要がない道具たちをごちゃごちゃと組み立て式のテーブルに広げていく三人グループ。はたから見ればコミカルな三人組だが、もしキャンプしに来たのであれば探検家然とした恰好も、広げられる道具の異様さも、不思議と空寒さを崖の上の二人に与える奇妙さがあるのだった。


 だからと言えば野次馬根性だが、二人はしげしげと眺めてしまう。商業都市に続く道が近く色々な人々が現れるからと言って、二ペソという山村も目の鼻の先のこの場所だ。どうしてキャンプをする必要があるのか。そもそも、キャンプをしにわざわざ足を運ぶほどの名が通ったキャンプ地でもない。


 マルコとアニールは崖下の奇妙な三人組を観察しながら――、

「マルコ」

「はい、アニールさん」

「「気になる……」」

 ――不意に息を揃えたのだった。


 そんなちょっとしたシンクロに含み笑って、ひと息。

 アニールは小さな掛け声と一緒に、崖下から隠れるように立ち上がった。

「まあ、気になるって言っても仕方ないんだけどね」


 服や体に着いた汚れをパタパタ払って、マルコに手を差し出す。

「そろそろ戻ろう、マルコ。他人様のことをこっそり覗いているの尾は良いことじゃないし、それに、おひさまが高くなる前にマルフサ畑の手入れもしに行かないと」


 振り返ってアニールを見上げるマルコは、もう一度崖下の三人を見てから「そうですね」と立ち上がった。手を引かれる際に少し体勢を崩してアニールに抱きとめられる格好になり、「すみません。ありがとうございます」と照れ笑う。それから自分も服の汚れを叩き落とした。照れ笑いが少し不格好になったのは、他人を覗き見ておきながら奇妙な人たちだなんて失礼だなあ、と思ったから。


 汚れを叩き落として、マルコは「じゃあ、行きましょうか」とアニールにすっきりとした笑顔を向けた。


 正直なところまだすこし気になっていた。でも、二ペソも近いこの場所でキャンプをするなら、近いうちに顔を合わせることにもなるかもしれないと、マルコはアニールと一緒に来た道を戻る。


(近場の人里って言えば二ペソだけだもんね。一番近くても人の足で二日くらいだし。馬がいるなら別だけど、そんなふうにも見えないしね)


 登ってきた緑萌える山道を下りながらぼんやりと考えるマルコは、その時。ふと思いついたことがあった。なぜか隣より少し後ろを歩むアニールに視線を向ければ、自分の手を見つめてニヤニヤ、そして何かを抱きしめるような恰好をしてヘラヘラ、と奇抜な行動をとっていた。が、マルコはそれが何なのか気にならない。気にならなければ様子を見ることもなく声をかけられてしまう無垢な少年を素で演じられてしまう!


「ねえ、アニールさん」

「ぴゃいっ!?」

「ぴゃい?」


 奇声と一緒に見つめていた手を背中に隠すのは何故だろう。マルコの頭にハテナが飛んだ。

「どうかしましたか?」

「な、なんでもないの! 何でもないのよ、本当よ!? マルコは気にしないで!」

「そうですか?」

「そうよ、気にしたらだめ。――で、どうしたの」


 ワタワタと挙動が不審になったアニールに首を傾げ、けれど気にするなと言われれば顔にも出さないマルコは前に向き直って言葉をつづける。

「えっと、もし良かったらなんですが、こんど僕とキャンプでもしませんか」


 ーーこれは余談であるが、虚をつかれた人間はこんな声を上げるらしい。


「ファ――ッ!!!!!!??!!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る