武蔵野にはセミが多い

亜逢 愛

「武蔵野にはセミが多い」本編

武蔵野にはセミが多い

 


 武蔵野にはセミが多い。


 夏ともなれば、駅から伸びる並木道や、公園、古くからある神社やお寺、そして武蔵野にわずかに残った雑木林など、樹木のある場所を見つけては、多くの蝉たちが鳴き始める。


 だが、多いのはその数だけではない。ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、そしてツクツクボウシと種類もそこそこそろっている。


 ということもあって、武蔵野の夏は、蝉たちによる異種格闘技戦のバトルロイヤルだ。

 声のわざがぶつかり合う、鳴き声が鳴き声を投げ飛ばし、さらに、もっと鳴いてはり飛ばす。

 道を歩けば、もう、うるさくてたまらない。



 そんな蝉の騒音に包まれた日、僕は彼女と出会った。



 友人からの紹介だった。僕は30なかばになる企業の研究職、こもることが多いからと、はからってくれたのだ。

 27歳の彼女は、夏の汗さえも味方にするくらいに美しかった。


 僕たちはデートを重ねた。

 映画、ボーリング、Jリーグ観戦、そして、ビーチ、そこでは共に朝をむかえた。


 僕はスマホのラインが楽しくなった。わずらわしいだけだったのに、短いメッセージにドキドキしたり、スタンプに笑った。

 彼女を、より近くに感じることができた。


 それまでえんのなかったJリーグ、僕は彼女が応援するチームを手始めに、選手の名前と背番号を憶えた。彼らのプレイスタイルも少しは言えるようになった。

 彼女とのサッカー談議に、いつかは追いつこうと頑張がんばった。


 バーゲンの服しか着たことのない僕が、カッコいい服を買った。彼女に見てもらうための服だ。

 ネットの中はファッション情報があふれていて、何が何やら分からない。

 僕は男性用ファッション雑誌を頼ることにした。立ち読みだってしたこともなかったのに、4冊も買って、僕に似てるっぽいモデルを見つけては付箋ふせんを付け、彼らが着ている服の中から選んで買った。

 その服を着た僕を見て、彼女はクスリと笑った。でも、すぐに服のセンスをめてくれた。雑誌の猿真似さるまねだったけど、それでも僕はうれしかった。


 蝉がけたたましく鳴くように、僕は彼女の彼であろうと、けたたましく努力した。



 そして、武蔵野の夏が終わった。

 僕の夏も終わった。



 彼女は好きな人ができたと、電話でげてきた。


 それっきりである。連絡が取れなくなった。

 アパートも引き払っていた。

 会うどころか、声を聞くどころか、紹介してくれた友人に問いただしても、どんなに何をどうやっても、一文字すらも返ってこなかった。


 武蔵野には蝉が多い。が、人も多い。僕よりもいい男は大勢いる。

 僕が小さくて地味なニイニイゼミなら、そいつは、綺麗きれいな声と透明な羽を持ったミンミンゼミかヒグラシあたりだろう。


 彼女はそんな男と一緒に、僕の知らない夏へと、飛び去ってしまったのだ。


 早くから鳴き出すニイニイゼミが、盛夏せいかになると、鳴き声バトルから退しりぞくように、僕はこれから咲きほころうとする彼女の季節から、立ち去ることしか出来なかったのだ。






 武蔵野が夏をくせば、ひとりでに、秋の小坂こざかを登り始める。蝉の声が市中から消えせ、十日ほどが過ぎた。

 道を歩けば、エンジン音にカラスの声が混じるばかりで、情緒の欠片かけらもあったもんじゃない。



 ジリリリリリ



 ある公園でアブラゼミの声がした。

 地味でまらない羽のくせに、一匹で、場違いなほどに響かせている。

 三日ほど前、秋にしては少々暑かった。きっと、その時に間違えて土から目覚めたのだろう。


 今の僕はどん底、めた心は蝉にも優しくない。


 いくら鳴いても、結局はひとり相撲。

 ただ、ひたすら鳴いて、一人寂しく死ぬだけだ。


 そんな蝉に、僕の境遇きょうぐうかぶさった。


 オスの蝉がメスのために鳴くように、僕は彼女のために、けたたましく努力した。ラインしかり、Jリーグ然り、カッコいい服然りだ。

 仕事以外の時間は、全て彼女のためについやした。


 しかし今から思えば、少々やり過ぎたようだ。僕も疲れた。

 もうプライベートでは、心の底から何もやりたくない。ただ、流されるままに、会社の仕事を適当にこなしていけばいいんだ。


 そう、たった一人、当てもなく鳴いている、あの蝉のように……。



 ジリリリリリ



——いや違う!


 僕はあの蝉のように、場違いなほどに力強く鳴いていない!

 何の気力もなく、無駄に日々を重ねているに過ぎないじゃないか!


 あの蝉の足元にも及んでないぞっ!

 地面に埋まってしまうほどに、自分が情けない……。


 そう気付いた時、全開パワーで鳴いている蝉に、僕は敬意の心を持った。


 そいつの姿を見てやろう。きっと、元気をもらえるはずだ。


 幸い公園には誰もいない。僕は足音を立てないように、地面に注意を払いながら、蝉の声がする木へと近づく。

 そして立ち止まり、グイッと見上げた。











 なんと!





 いるっっ!











 他にもアブラゼミがいるじゃないか!

 鳴いている蝉の50センチほど下に、もう一匹、蝉がとまっている!

 待て待て、動いてるぞ! ゆっくりとみきを登っている!

 きっと、メスだ。



 ジリリリリリ


 こいつ、一人じゃないぞっ!


 武蔵野には蝉が多い。

 多いから他にも間違えて出てきた蝉がいたんだ。


 力強く鳴き続ければ、むくわれることもあるんだ。


 僕はすっかりしょげて、何もかもあきらめていた。

 でも、必死に鳴けば人生を変えることも出来る。



「俺も、もういっちょ、鳴いてみるかっ!」



 武蔵野には蝉が多い。が、人も多い。

 そして、僕は研究職。

 研究論文一つでも、誰かが読んで、何かが始まるかも知れない。


 僕は、僕の夏を終わらせない。


 この蝉のように、死ぬまで『自分の夏』を生きてやるっ!



おしまい


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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