Her usual work in Thun Pak Port:アンジェラの場合

きさらぎみやび

Her usual work in Thun Pak Port

 あー、しくったわ。


 アンジェラは露天商の立ち並ぶ路地を駆け抜けながら先ほどのまさかの失態を思い出していた。


 トゥンパク港を牛耳るマフィア、「トゥンパク港連携協議会(T.C.C)」のボスと愛人関係になるまで持ち込み、ボスの寝床の枕元に隠してある奴らの裏帳簿データをメモリーカードに丸ごと頂戴したのはいいものの、まさか寝室でばったり本妻と出くわすとは。


 花売りの手押し車をひょいと飛び越えながら、アンジェラはイヤリングに仕込んだ通信機を起動させる。

 ザザッ、と多少のノイズが混じるが、どうにか通信が繋がった。

 ナビゲーターにとりあえず文句を言ってやる。


「ちょっと、どういうことよ!本妻は明日までバカンスじゃなかったの?」

『すまない、どうやら旅先で愛人と喧嘩別れして一足先に帰ってきたらしい』

「ああもう、どいつもこいつも!」


 愛人の立場に潜り込んで一仕事してきた自分がいうことではないが、もう少し貞淑という言葉をここいらの奴らは学んだ方がいい。

 アンジェラはそう思いながら目の前をのんびりと走っていたトゥクトゥクの運転手を「おりゃあ!」と蹴り落とし、そのまま奪って走り出す。


 さて、追っ手はどうだろうか。多少は撒けただろうか。彼女は期待を込めてちらりと後ろを振り向く。



 いっぱい増えていた。



 しつっこいなあ、もう!アンジェラは再びイヤリングに話しかける。


「Hey、ナビ!どっか良さげなルートない?」

『アプリみたいな呼びかけはしないでもらえるかね?そうだな、そのまままっすぐ港の方に向かってくれ、いくつかの選択肢があるが、海と山、どっちがいいかね』

「海!」

『承知した。運び屋を何人か手配しているので、好きなのを選んでくれ』


 いつの間にか追っ手はバイクを用意したらしく、二人乗りながらもこちらに追いすがってきた。後ろに乗っている方が、鉄パイプを水平に振りまわして殴りかかってくる。姿勢をかがめてよけるアンジェラだが、ガシャンとトゥクトゥクの幌が壊され、後方に転がっていった。

 視線を再び前にやると、すぐ先には港が見える。

 アンジェラはハンドルを切って車体をいったん道の左に寄せるが、それはフェイント。すぐさま右に大きく曲がり、トゥクトゥクごとバイクにぶっつける。もちろんアンジェラはその前に飛び降りていた。

 バイクはトゥクトゥクと絡まりながら派手に転がると、その勢いのまま滑っていき、岸壁から海に落ちていった。水しぶきが上がる。


 アンジェラはすぐに体勢を立て直し、岸壁まで全力で走っていく。

 しかし走りにくいことこの上ない。なにしろアンジェラの今の格好はつば広帽子にサングラス、ワンピース姿でハンドバックも持っている。

 どう考えても大立ち回りする格好ではなかった。


 キキーッ、と後ろからブレーキ音が聞こえたと思うと、黒塗りのSUVが後方に停車し、そこからばらばらとゴロツキどもが飛び出してきた。


 Wow!やばいやばい。アンジェラは彼らから逃げるように走りながら岸壁を見回す。いくつかの船がいつでも出発できるように停泊している。


 アンジェラはその中で一番好みの顔をしていた青年の船乗りを選んだ。

 駆け抜ける勢いのまま、彼のボートに飛び乗る。「運び屋」という割には朴訥な雰囲気の彼は突然現れたアンジェラに驚いているようだった。


「ええと、ミズ.コニー?」


 アンジェラのコードネームで彼は呼んできた。


「ええそうよ。じゃ、さっそく出発して頂戴」


 言ってアンジェラは彼をせかす。Hurry up!Hurry!

 戸惑いながらも青年は船を発進させる。ようやく一息つくことが出来た。

 ハンドバックからハンカチを取り出し、額の汗を拭う。彼女はイヤリングの別のスイッチをONにしてから、今いる場所を見回してみる。


 ノリと勢いで乗り込んだ船は、思ったよりも高性能そうではあった。船体はボロいが、エンジンだけは良いものを積んでいる。

 青年はなかなかの目利きのようだった。加えて顔も彼女の好み。

 機嫌が戻りかけたアンジェラであったが、ふと嫌な予感がして後ろを振り向くと、こちらに向かって大型ボートが疾走しているのが見えた。

 サングラスに仕込んだズーム機能で大型ボートの操舵席を見やると、そこには彼女の幻の愛人、つまりマフィアのボスが乗り込んでいた。

 青年も大型ボートに気づいたようだった。なにか言いたげにこちらを見てくる。


「お察しの通りよ、あれから逃げ切って頂戴。逃げ切ったら追加の報酬をあげるわ」


 青年は戸惑っているようだった。無理もないだろう、アンジェラが見る限り、どうやらこういう荒事には慣れていなさそうだ。

 仕方なくアンジェラは青年の死角からこっそりと仕込み銃で船体を撃つ。

 パァンと軽い音がして、船の縁に火花が散った。


「ほら、逃げないと。撃ってきたわよ」


 青年が慌ててボートを加速させる。やはり思った通りエンジンは高性能だった。これならしばらくは逃げ回れるだろう。

 加速を始めたボートの縁に片手でつかまり、帽子が飛ばされないように空いた手で押さえる。この帽子を無くすわけにはいかない。


 そこからはなかなかの逃避行だった。


 青年の操舵技術は素晴らしく、狭い港の中を縦横無尽に逃げ回る。

 それでも振り切れないとみると、彼は小さなボートの利点を生かして、木造漁船がみっしりと停泊している波止場をすり抜ける。

 良いアイデアだった。が、相手の方がなりふり構っていなかった。大型ボートは木造漁船を蹴散らしながらこちらに向かってきた。


「無茶苦茶だ…」


 冷や汗を一筋垂らしながら青年はつぶやいていた。うんうん、必死な顔も結構かわいいぞ。アンジェラは暢気なものだった。

 その後もしばらくはなんとか逃げ回ってくれていたが、徐々に港の隅まで追い詰められつつあった。

 青年は恐る恐るアンジェラに問いかけてきた。


「…諦めた方がいいんじゃないですか?さすがにこのボートじゃ逃げ切れませんよ」


 さすがに怖気づいたかしら。でももう少しだけ頑張ってほしいのよね。

 アンジェラは少し考えると、青年が後ろを向いている隙に仕込み銃を再び取り出して、青年の後頭部に押し当てて言う。


「いま死ぬのと、あとで死ぬの、どっちがいいかしら?」


 あくまでもにこやかな表情を意識してアンジェラは言う。こういう脅しの時は、ギャップがある方が効果的だ。笑顔と銃と、どちらが功を奏したのかは分からないが、青年は諦めたように話す。


「わかった。わかりましたよ。じゃあとりあえず銃を下ろして、頭を下げていてください」


 お。どうやらまだ何かアイデアがあるらしい。もはや事態をエンターテイメントと受け取っているアンジェラは、大人しく青年に従うことにして、船内に身を屈めた。ふと思いついて、青年の死角になる位置でメモリーカードを取りだし、船体の隙間に押し込んだ。


(保険はあるだけあった方がいいしね)


 青年は船を操作し、どうやら水上スラム街の方へ向かっているようだった。おそらくあそこを抜けるつもりなのだろう。

 それはアンジェラにとっても好都合だった。


 船体はさらに加速し、スラム街の下を抜けていく。

 アンジェラは頃合いをみて、メモリーカードとセットになる装置を仕込んである帽子を、スラム街の床材の一部に狙いすまして引っ掛けた。

 後々のために、カードと装置は別々のところにあったほうがいい。

 発信機も仕込んでいるから後でバックアップのメンバーが回収してくれるだろう。


 そのタイミングでイヤリングからピーッと小さく音がした。

 これでアンジェラの目的は達成された。あとはどう立ち回るか…。


 考えている間にスラム街を抜けそうになっていたが、あと少しのところで運悪く住人の筏にボートが衝突した。

 青年もアンジェラも放り出されることはなかったが、エンジンがダメになってしまった。もう頃合いだろう。

 青年もお手上げのようだった。


「ここまでです」


 両手を降参のポーズで掲げて、彼はアンジェラに宣言した。アンジェラはボートの上に立ち上がると答えた。


「そのようね。いいわ。目的は果たしたから」


 アンジェラは岸辺に乗り移り、ハンドバックから札束を取り出して、青年に放り投げる。まあ初めてにしては頑張ってくれたかな。労いの意味も込めて、ちょっとだけ多めに報酬を渡した。


 そのまま町の方へと向かう。角を曲がると予想通り、死角となる位置に黒いバンが止まっており、アンジェラはバンのドアから伸びた手に引っ張られて中に連れ込まれた。


 中ではゴロツキどもが殺気立った目でアンジェラを睨みつけていた。


「舐めたことしてくれるじゃねえか、女」

「あら怖い。でももうゲームオーバーよ。そっちがね」


 ちょうどタイミングよくハンドバックの中の電話が鳴る。はいこれ、と言ってそれを男の一人に渡すとそれはボスからの電話だった。

 電話に出た男は驚きで目を白黒させていた。

 それはそうだろう、必死になって追いかけていた裏帳簿のデータがすでに彼らのさらに上、三合会トライアドマフィアの上層部に渡っているのだから。


 残念でした。アンジェラは心の中でこっそりと舌を出す。

 データはイヤリングの通信機能を介して、すでに所定のクラウドにアップされていたのだ。アンジェラが逃げ回っていたのはあくまでその時間を稼ぐためだけだった。イヤリングが小さく鳴ったのはアップロード完了の合図。その時点で彼らの負けは確定していた。


 アンジェラは悠々とバンを降り、今日のホテルへと向かっていった。



 数日後、今回の件の最後の後始末のために、アンジェラは青年の船に再び飛び乗った。唖然とする青年をそのままに、隠しておいたメモリーカードを取りだす。すでに用済みではあるが、中身のデータが出回ってしまうと問題だ。アンジェラは帽子から取りだしたデータ消去装置にメモリーカードを通し、完全にデータを消去させる。これでお仕事終了。


 お気に入りの青年に軽くウインクしてから、アンジェラは再び町の雑踏へと紛れ込んでいく。


 これが彼女のいつものお仕事だった。

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