3―2
燕の巣を見つけてから、数週間が経った。
あれだけ小さかった雛もある程度成長し、毛一つなかった体はふわふわした羽毛で包まれている。
鳥らしくなった雛たちを前に、瀧聲は虫かごを取り出した。
「これでいいのかな?」
割り箸で中から虫を挟んで取り出す。
途端に雛が大きな口を開けて、ピィピィと鳴き出した。首を伸ばして催促する雛もいる。
「分かったって!待ってよピーちゃん……えっと何号だ?まぁいいや」
どうどうと宥めると、順番に虫を取り出し、それぞれの雛の口へ放り込む。
が――
「待ってってば。順番順番」
放り込んでいるはずなのに、手を休める暇がない。
一羽に虫をあげていると、既に他の雛が食べ終わっているのだ。
ようやく落ち着いた頃には、虫かごの虫はすっかりいなくなっていた。
――食べ盛りだろうからと、あれだけ虫を捕まえてきたのに……。
「親燕は大変だ……」
空っぽになった虫かごを抱えてぐったりする瀧聲。
ボランティア精神で食べ物を調達してきたとはいえ、あの苦労の成果を目の前で瞬殺されると、ダメージが大きい。
「よく食べるのは、いいことだけど」
ある程度お腹が膨れて、大人しくなった雛の頭をそっと撫でる。
――自分みたいに、ひもじい思いをしてほしくないしね。
幸せそうな雛の顔を見た瀧聲は、ふっと息をつく。
ふと、雛の体に目がついた。
「羽が出てきている……」
起こさないように、慎重に羽に手を伸ばす。
ほんの少しだけ引っ張ると、まだ形の整っていない翼が広がった。
「そうか、君たちもいずれは空を飛ぶんだね」
今更ながら、当たり前のことに気づいて瀧聲はしみじみ頷く。
そう遠くないうちに、彼らはこの翼で新しい世界へと巣立っていくのだ。
――もし翼があったら、僕の生き方もまた違っただろうか。
瀧聲は生まれつき、翼に傷があった。
事故に遭い、翼を失い、飛べないまま梟としての生涯を終えた。
だから彼は、梟でありながら『飛ぶ』という感覚を知らない。
「空を飛ぶのってさ、楽しいかな?自由かな?何だって出来ちゃうかな?例えば……友達を救うことだって、出来たかな?」
瀧聲が何百年も彷徨うきっかけになった、生き別れた友人。
――あの時翼があったら、もしかしたら救えたかもしれない。
過去はどんなに後悔しても取り戻せない。
それでも人はいつだって、選べなかった選択肢の可能性を考えてしまう。
「……今さら考えても、仕方ないか」
頭の中にどんよりと垂れ込めた考えを、振り払うように頭を振る。
その時、視界に黒い影が入った。
「あれは……」
目を擦って黒い影を見る瀧聲。
影の正体を知るや否や、反射的に身構える。
黒い影――それは、巣を狙いに来たカラスだった。
「……カラス。天敵」
瀧聲の頬を汗が伝い、自然と体に力が入る。
忘れもしない、元々傷のあった翼を完全に失うことになった幼少期の事故。
親鳥の留守を見計らった、カラス数羽による巣の襲撃。
兄弟は皆、カラスに連れ去られて食われた。
――僕は、何とか逃げ出したけど。でも……。
慌てたせいで、木から落下した瀧聲は翼を折った。
翼はピクリとも動かなくなった。
それっきりだった。それっきり、二度と――
走馬灯のように、トラウマが瀧聲の頭の中を駆け抜ける。カラスは未だに苦手だ。
「……来るな」
キッと睨み付ける瀧聲。
カラスは動かない。感情の読み取れない漆黒の瞳で、じっとこちらを見つめる。
その場でしばらく続く睨み合い。
――カァ。
やがて諦めたのか、カラスは一声鳴くと、バサバサと飛んでいった。
「……行ったか」
緊張の糸が切れて、瀧聲は梯子にもたれかかる。
当事者であるはずの雛は、今の事態に気づいていないのか、スヤスヤ眠っていた。
「もう、危機感ないんだから」
ため息をついた瀧聲は、雛の頭を撫でる。
指を伝って微かに感じる温もり。
けれどそれは、あまりに小さくあまりに儚い。
小さな灯火の弱さを、瀧聲は再認識する。
――あんな悲劇を繰り返してはいけない。
思わず自分と重ねてしまい、拳を握り締める。
「……僕みたいになっちゃダメだよ」
無表情で、抑揚のない――でも、微かに震えたその言葉。
それは、瀧聲の心からの願いだった。
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