第19話 助走

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 モニターには、プロジェクターで燃えさかるホテルの映像が流されていた。

 ホテルの部屋の窓から脱出しようとしているおれと箱女を捉えたものだ。

 テロップが付いており、「放火後、仲間の箱男を助ける様子――」と書かれていた。

「これはさすがにまずいんじゃないですか、水無月さん?」

 津田響は詰め寄る。水無月そっくりの歪んだ笑み。

「家に、これと同じ箱があるでしょ? 処分しても駄目ですよ、明らかに怪しい買い物の履歴とか、コンビニやスーパーで調べればわかります」

「……」

「放火までやったら、いくら先生達でも庇えないんじゃないですか? どこに転校しようが、この動画がある限り一生放火魔だってことがついて回ると思いますよ?」

――お待たせ、箱女。

「おい、おれだ、箱男だ!」

 おれは、粘着質に水無月のことを責めたてる津田響の声を切り裂く。

 誰も傷つかない打開の方法なんて、悠長なことは言っていられなかった。

「……」

 水無月は振り向き、声を失っていた。構わず水無月に近づいて腕を取った。

「行くぞ」

「え、ちょっと」

「行くぞ!」

 クラスメイトの群れが割れ、おれは水無月の手を引いて廊下を走る。

「は、離して」

 周囲の目を気にしてか、水無月が震える声で拒む。それでも、強く抗うことはできないようだった。

「……」

 どういう風に水無月を説得すればいいのかは分からない。ゆっくり話している場合ではないのは確かだ。

 校舎を出る頃、津田響が後を追ってきた。

「似鳥君!」

 津田響が叫ぶ。水無月に聞こえるように、わざと大きな声で名前を呼んだのだろう。

 おれは内心で舌打ちをする。

 正体をばらされることなど想定内だが、それでも早すぎる。

「似鳥くん……?」

 水無月は目を見開き、おれを見つめた。どこまでも、純粋な眼差しだった。

「……く」

 そうだ、と応えることはできなかった。彼女の失望は計り知れない。

 失望はおれへと返ってくる。

 おれには、彼女の心情を推し量って助けることなどできなかった。物理的に教室から連れ出すことしか出来なかったのだ。

「現実から逃げちゃ駄目ですよ、水無月さん。箱男の正体は似鳥君です。もうわかったでしょ」

「……違う! そんなはず……」

「もう、箱男だの女だの、ごっこ遊びはやめておいた方がいいですよ。素直に現実で生きて下さい。私たちのオモチャになれば、放火のことはうまくごまかしてあげましょう。ね?」

「頼む! おれについてきてくれ!」

「……」

 おれの声がわかるか?

 たった一晩の冒険だけど、二人で命がけで走ったこと、覚えてるか?

「今度こそ、橋で待っている。絶対、絶対だ!」

「……!」

 おれは水無月の手を離す。彼女は怯えた色を浮かべたまま、離れて行った。

「どういうつもりですか?」

 津田響は、おれが水無月を解放したのが意外だったんだろう。

 おれは水無月をあの状況から助けたかった。でも、それだけじゃない。

 津田響と交渉をすることが目的でもあった。

「頼みがある」

 箱の穴から、津田響をじっと見つめた。

「……」

「姫子に、会って欲しい」

「似鳥君が、居場所を知っていると?」

「おれの兄貴なんだ」

「!」

「頼む」

 おれは膝を地につけ、頭を下げた。視界が真っ暗になり、彼女の表情はわからない。

「兄貴を救ってやってくれ。兄貴のことを解決しない限り、おれは箱男になれないんだ」

 おれは津田響が憎い。でも、兄貴を救えるのはこいつしかいない、とも思い始めている。

 おれじゃ救えない。

 津田響の異常なまでの兄貴への執着こそが、彼を救うかもしれなかった。

 おれは箱男になり、全てを捨てる。

 だけど、兄貴のことだけはこのまま放っていくこと出来なかった。

 ……それが、おれの甘さでもあった。

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