文芸部一年 八坂京子
「なぁんかインパクトに欠けるのよねぇ」
と、智子は編集者振った物言いで言った。
先週、私達が所属する文芸部からとある宿題が出た。それは『二人以上の人物が会話をするシーンを書く』という至ってシンプルな宿題だった。しかし、比較的向上心のある私達にとってその宿題はシンプル故に困難を極めており、今日もこうして放課後に二人で重い筆を動かしていたのであった。
「インパクトねぇ……」
少しばかり乱れていた彼女の髪を結い直しながら私は眉を下げた。自信満々に話す智子は頭を無防備に私へ預けたままだ。
「インパクトっていうのはねぇ京子ちゃん。ただ『ドカーン!!』と爆発でもさせとけば良いってもんじゃないよ」
「それはわかってるって」
髪が結い終わり、後頭部から肩へ落ちていく束に触れた。それはさらさらと指の間を流れて逃げた。満足気な智子の「ありがと」の笑顔に私はどうも、と小さく返した。
向かいの席へ戻り、目の前の原稿用紙を見つめる。そこにはインパクトに欠ける物語がある。私はやや乱暴に手に持ったシャープペンシルをくるくると回した。
「それじゃあ一体どうすれば良いのよ」
「京子ちゃんの書く小説はねぇ、リアリティがあって親近感を湧かされるんだけどインパクトが足りないのよ」
「だから何よ、そのインパクトって」
「一人前の小説家というのはねぇ、どんなシーンを書いても印象に残る、つまりインパクトがあるのよ。……どうしてかわかる?」
スイッチの入った智子は微妙にひとの話を聞かなくなる。こうなった時は彼女が話したいことを全部言わせる以外にないということを私は幼少期から知っている。
軽くため息を吐きながら、私はさあ?、と問いた。すると待ってましたと言わんばかりに意気揚々と智子は答えた。
「見えない文字で読者に語りかけてるのよ」
「……まーた頓珍漢なこと言ってる」
「今回は違うよ!」
呆れた表情の私を見て智子はむうっと頬を膨らませた。私は手を伸ばし、そっとその頬をつついた。真っ白で柔らかい弾力があり、好物の苺大福を彷彿とさせた。
「今回はねぇ! 確かなの!」
むにむにと頬を触られていることに対して一切関心を向けることなく、智子は続けた。
「私の尊敬する大先生だってそうよ。先生は中高一貫して男子校だったのにも関わらず女性目線の恋愛小説を書いては女性読者に多くの共感をさせているんだもの!」
「彼女なり妹お姉ちゃんなりいたんじゃないの?」
「それはないわ! 先生は男兄弟しかいないし、彼女も小説を書いて五年後に初めて出来たんだもの。恋愛自体、先生は大学を出るまで全くしなかったそうよ」
「……よく知ってるね」
「だって先生の大ファンだもの! このくらい知ってて当然よ」
私は少し苛立ちを覚え、ゆっくりと智子の頬から手を離した。智子の原稿、じゃらじゃらとキーホールダーが付けられた筆箱、シンプルな無地の筆箱、そして自分の原稿の上へと自分の手が戻ってきた時、今度は智子が私の手をガっと掴んだ。
「インパクトっていうのはねぇ、読者の心に残るもの。つまり謎の取っ掛りに生まれるのよ」
私はパチクリと大きく瞬きした。
「……ごめん、ちょっと意味わかんない」
「えぇーっ!? なんでよ!」
私の手から智子の手に熱が伝わるんじゃないかという不安で余計に彼女の言ったことが理解出来ずにいた。
「つまりね」 智子は私の手を強く握ったまま。「一見そのシーンの描写だけを書いてるように思わせて、実際はそのシーン全体で読者に別のことも伝えるのよ」
「はあ……」
未だに理解出来ていないと伝わったのか、智子は更に噛み砕いた説明を始めた。どうやら今回は相当な影響を受けてきた様だ。
「例えばね、モブがヒロインから相談を受けるシーンを書くとするでしょ。一見モブがヒロインの恋を応援するシーンにしか見えないけど、所々の描写や台詞によって読者に『あれ、もしかしてモブはヒロインのことが好きなんじゃ?』と思わせるのよ。だけど実際の文には一切そのことは書かないの」
「思わせ振りって感じ?」
「そう! これって書いてないけど絶対こういうことだよねって悶々とさせるの! そうしたら何でもないシーンでも読者に印象を与えられるでしょ。それがインパクトよ、インパクト!」
「ふーん」
やっぱり智子のこういった話は何処かチグハグというか、よくわからない。けれどあまりに力説をするから毎度少しは為になるかもと思ってしまう。そういった所が智子の凄いところだ。
「京子ちゃんの書く小説はリアリティがあって親近感があるけどインパクトが足りないのよ」
「それさっきも聞いた」
「インパクトさえあれば大先生を越える恋愛作家になるわよ」
「え?」
無意識に自分の瞳が大きく開かれた感覚がした。きっと智子からしたら今の自分の目はまさに点といった感じだろう。
「あ、盛ったわ。大先生を越えるのはまだまだね」
先程まで強く握られていた手をパッと離された。視線をそちらに移してムッと口元を尖らせる。
「でしょーね」
「いやでも大先生と張るくらいの大物にはなるわよ、ホントに!」
「ホントに?」
チラリと智子の瞳を見上げた。
「ホントホント。だって京子ちゃんの小説、私好きだもん!」
屈託のない笑顔に私は何だかひとり気まずくなって壁に掛けられた時計へ顔を逸らす。
「あ、もう帰る時間だ」なんて話まで逸らそうとして。
「ホントだー。もう帰らなきゃね」
「うん」
二人机に置かれたままの原稿用紙や筆記用具を鞄に仕舞い、帰る支度を始める。
「今日も全然進まなかったなー」
「そうだね」
でも、と私は付け加え。
「智子が言ってたインパクトってやつ、私やってみるよ」
そう言って微笑んでみせた。
今回ばかりは私も智子の言う大先生とやらの影響を受けてやろうと思ったのだ。
「え、ホント!?」
「ホントホント」
「じゃあ書き終わったら一番に読ませて!」
「えー、やだ」
意地悪く笑うと大袈裟なくらい嬉しそうにしていた智子は反動で今度は大袈裟なくらいしょぼくれた。
「なんでよー! いつも一番に読ませてくれるのにー!」
「練習でやってみるだけだから。上手く出来たらちゃんとした小説として書いたのを見せるよ」
「んー。読ませてくれても良いじゃーん」
「だーめ」
あくまで練習。私の小説はリアリティで親近感が湧くのだ。その為にはいつも練習が必要だった。
「ちぇー、けちー」
「はいはい、帰るよ」
このタイミングで下校時間を告げるチャイムが鳴り響いた。何処かに寄り道しようと提案する智子の姿を見守りながら私達は教室を出ていく。
「ねぇやっぱりちょっとくらい読ませて」
「だーめ」
この宿題ばっかりは智子に見せれそうにない。それを悟られぬ様、夕日が照らす廊下で私は再び意地の悪い笑顔を彼女に見せるのだった。
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