パンクな彼女

駅近くのこじんまりとしたカフェ。僕はこのカフェでバイトを始めて2年経つ。そんな僕にバイト中の楽しみが出来た。

木曜日の午後5時45分。いつも通りカランコロンと店の鈴を鳴らしながら彼女がやってきた。そう、彼女が僕の唯一の楽しみである。


「いらっしゃいませ」

「コーヒー下さい、ホットで」

「かしこまりました」


そうして僕はコーヒーを用意して彼女に手渡す。小さくお礼を言いながら受け取る際もずっと彼女は伏し目で何処か遠くを見ている。そしてコーヒーを受け取るや否や目の前の砂糖やミルクを無視して喫煙席へと向かっていった。彼女はいつもブラックで飲むのだ。

彼女が店に来て席に着くまでの間、彼女が一切こちらを見ていないのを良いことに僕は彼女の長い睫毛や艶やかな唇、そして大量のピアスに見とれてしまう。言わば僕は彼女に恋をしているのである。

今喫煙席で煙草を吹かしている彼女を一言で説明するとしたら、「パンク」だ。

真っ黒いワンピースの上に黒いパーカーを羽織り、僕が履いたらすぐにでも転びそうな程高さのある厚底ブーツを履いている。腰にまで届きそうな黒髪は頭の高い位置にひとつに纏められ、そこに更に黒の髪飾りを付けている。いつもこんな感じの黒一色の格好だ。いつもの違いを強いて言うなら、首元には珍しく鎖のようなネックレスがあり、今日の髪飾りは骸骨モチーフのものだということ。それとピアスが今日も見たことない物だった。

彼女の両耳には大量のピアスがある。正確には左耳に3つ、右耳に2つ付いている。その大量のピアスこそ僕が彼女をパンクだと思わせている最大の要因である。

そんなパンクな彼女のことが好きな僕だが、別に僕はパンク系の子が好きというわけではない。寧ろああいう見た目の子は怖いと思ってしまう。きっと、あの姿の彼女しか見たことがなかったとしたら僕は彼女に恋心を抱くことはなかっただろう。

僕は彼女の他の姿を知っている。いや、普段の彼女と言った方が正しいのだろうか──

つい数ヶ月前、昼寝をしてしまったせいで僕はバイトに遅れてしまった。それも大遅刻だ。店長に怒られる、いっそのことバイトを辞めてしまおうか。そんなことを考えながらカフェに向かう途中、通り雨に降られてずぶ濡れになり、店の前に着く頃には僕は更に最悪な気分へとなっていた。

完全にバイトを辞める気になってしまった僕は重い足取りでドアの前へ進んだ。すると先にドアは開かれ店を出ようとした彼女に出会した。この時僕が始めて彼女を認識した時である。

お互いがお互いに反応するのが遅くなり、ぶつかる寸前だった。


「あっ、すみません! 私ってばぼうっとしてて……」

「あ、あの、こちらこそすみません」


まだぶつかってもいないのに頭を下げて謝る彼女に僕はおろおろと返事をすることしか出来なかった。女の子と話すことがあまりなかったせいでもあるのだが。


「えっと、北高の方ですよね。制服、同じですし」


いつも来ているパンクな彼女とは違って、この時の彼女は僕の目をしっかりと見て話している。しかも格好はいつもの黒と違って僕と同じ制服姿だ。一つに纏められていた髪は下ろされていて、例のピアスを隠している。この時の彼女はいかにも清楚という感じだ。


「は、はい。そうです、北高です」

「ってことは先輩ですよね。私、1年なんでタメ口で良いですよ」


はにかむ彼女はとても可愛かった。その可愛さ故に更に僕はしどろもどろになりながらも、何とかタメ口になることができた。


「さっきまで雨降ってましたよね。良かったらこれ、使ってください」


そう言って彼女はポケットからハンカチを取り出し、僕に差し出してきた。花の刺繍が施された、いかにも女の子の物だというデザインのハンカチ。


「えっ、いや悪いよ。会ったばかりの、しかも後輩に借りるなんて」

「同じ高校のよしみじゃないですか。どうぞ使ってください。返すのはまた今度会えた時で良いんで」


一応断りをいれたつもりであったが僕の頬を伝う雨水が彼女に気を使わせてしまったのだろう。これ以上平行線なやり取りをしても逆に失礼だと思い、僕はどぎまぎしながらも彼女からハンカチを受け取った。


「ありがとう。返すの、此処のカフェで良いかな」

「あ、いや、このカフェには私いないと思うので……学校でお願いします」

「そ、そっか。ま、まあ兎に角これ借りるね。ありがとう」

「はい、では失礼します」


そう言うと先程から気まずそうな表情をしていた彼女は小走りで去っていった。その後ろ姿もとても可愛らしかった。

この時既に彼女に恋した僕はすっかり有頂天になっていて、案の定店長に怒られた後でもバイトを続けていた。

──そして再び彼女に出会ったのである。そう、今のパンクな彼女に。

今の彼女を初めて見た時は大変驚いたものだ。よく周りで聞くような「夏休みが開けたら好きな女の子が元の面影もない程に変貌していた」という現象かとも思ったが、どうやら違うらしい。学校で時折目にする彼女はハンカチを渡してくれた時と至って変わりないのだ。つまり今の姿は彼女の秘密の姿なのだろう。

そうだと理解した瞬間、彼女への恋心は冷めるどころか一気に増大した。これが「落ちた」というやつなのだろうか。

パンクな彼女は清楚な彼女と違っていつも伏し目がちで周りのことをあまり見ていない。何か考え事をしているような、何も考えていないような、そんな目をしている。

その為彼女は僕のことに何も気付いていない。ハンカチを渡した本人が目の前にいたことも、未成年なのに煙草を吸っているのを黙っていることも、秘密の姿も普段の姿も両方知っていることも、僕が彼女を好きだということも。

彼女がコーヒーを飲み終え、一服し、店を出るまでの間。いつも僕はこのハンカチをいつ返そうか悩んでいることも彼女は気付かないだろう。学校じゃなかなかタイミングが合わなくて返せずにいること、僕がこのカフェで働いていると知ったら彼女は来なくなるんじゃと不安になっていること。嗚呼、僕に気付いた彼女は一体どんな表情をするのだろうか。

そんなことを考えている間に彼女は店を出ていった。今日も結局渡せず終いだ。情けないことこの上ない。

次こそはちゃんと渡そう、次こそはと思うと同時に次の彼女はどんなピアスを付けてくるだろうかと楽しみにしてしまう僕はきっと次も渡せずにいるのだろう。

僕は大きく溜め息を吐いた。いっそのことまた通り雨でも降れば良いのになんて思いながら。

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