昔日の追想曲

~ 二年前 ~


―― 丘の森の入口の古木には、時々、勇者様がやって来る。


 黒髪黒目の少女ナオが笛の口から唇を放すと、本から顔を上げた友人がそう教えてくれた。


「半年前に私も見たけど凄い美形。オーバリーさんや何人かが狙っているけど、牽制し合って誰も動けていない」

「ミラはどうなの?」

「興味無い。私はこっちで忙しい」


 ミラは眼鏡のブリッジを軽く押して、分厚い魔法の本へと視線を戻した。


「勇者様か~」


 金糸銀糸で編まれた服を着て、白い馬に跨って、ハッハッハと笑い声を上げる青年の、頭に揺れるのは金の冠。

 年に一度村に来る、旅芸人の一座の青年の顔が違うと思って。

 次々と知っている顔に変えていって、最後はミラの顔になってしまって、ナオは首を振った。


「あ、そうだ、兄さんから絶対にナオには教えるなって言われてたんだった。ごめんけど、私が教えた事はナイショにしておいてね」

「わかったよ。でも何で?」


 ミラに見られて、ナオは首を傾げた。

 じ――――――っと向けられた視線は、また本へと戻った。


「……ナオには早いか」

「?」


 ページが捲られる。

 窓から吹き込んだ風が、一枚の落ち葉を床に落としていった。


「春は遠いわね」


 ……。


 そして。


 ……。


 草木に新緑が芽吹き、山の雪が溶け切ってからしばらく経った日の事だった。


 ナオは木の実を採りに、近くの森へと歩いて行った。


「くぅ~、陽気が肌に染みますな~」


 元気よく左手の籠と右手の杖を振り回す。

 丘を登り、口笛を吹きながら。

 森の入口に聳える、巨大なナラの古木の前に辿り着いた。


「狐?」


 木漏れ日の差す木の根元に、金色の毛が揺れるのが見えた。

 その体はナオの視線を邪魔するような、大きな根の陰に隠れている。


 気になって、ゆっくりと近付いて行く。

 そしてすぐに狐ではなく、古木に背中を預けて眠る青年の姿が見えた。


 傍らには脱がれた傷だらけの鎧と、茜色の宝玉が埋め込まれた一振りの剣が置いてある。


 ただ一房の髪が邪魔で、肝心の顔が見えない。


(えっと、失礼しま~す)


 ナオはそ~っと右手を伸ばして、そしてその手が力強く掴まれた。


「えっ!?」

 

 驚いて態勢を崩し、しかし地面に倒れる前に抱き寄せられた。


「きゃっ!?」


 青年の服の奥にある硬い胸板にナオの顔が埋まり、「ぷはっ」と顔を上げると、炎のような紅の瞳があった。


「人形?」


 首を傾げた青年の、その顔がナオの目に映った。


 顔が熱くて言葉が出なくて、右手に自分のものではない鼓動を感じた。

 頬が熱くて体が動かなかった。


―― 木漏れ日の光が揺れる。

―― 熟した麦穂のような金の髪が輝いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る