第10話 拾いもの
時間は有意も無為も変わらずに、気付いたら過ぎ去っているもののようです。
鈍った勘を取り戻す為にロバート達に依頼して一週間が経ちました。
体の調子は良好。
負担を減らす為に始めた
魔王戦争の前線に戻っても、禁軍とさえ戦わなければ、切り抜けられるでしょう。
ただ、このホリフューン王国で【
暗躍を繰り返す魔王軍の幹部、八氷王剣の一人と名乗る
大国と呼ばれる国々の首脳達は今、戦後を考えて動いているようです。
ラルフ達と別れ、血の臭いの濃い前線から遠ざかる程に、その様子がはっきりと見えるようになりました。
波が引き、不気味に静まり返った海を眺める感覚があります。
かつてあった力、責任、義務。
しかし、今の私はもう……。
* * *
岩の間を流れる河の中でナオは足を止めた。
肌を浸す水は冷たく、澄み、鏡のようにナオの姿が映っている。
だがナオの黒い瞳に映ったのは、
―― あなたには、もう、無理なのよ。
「……うるさい」
―― 友人だと思っていたのは私だけだった。
―― 私の居場所を奪って、私の生きる意味を奪って、私の死に場所を奪った。
「……ラルフのバカ。どうして私を捨てたのよ。私にはまだ戦う力があるのに」
賞金首を討った。
魔王軍の幹部を名乗る男と戦って生き残った。
「私には……」
河の中を魚影が走る。
ナオは右手に握る小石の一つを親指で弾いた。
小石は河底を跳ね、魚影を打った。
大きな
ナオが掲げた
「まずは一匹。冒険者って健啖家だから十三匹は欲しいかな」
無心に石を弾き、宙を舞う魚を
ボチャンという音に目を向けると、
「……まあいい。終わったことだ。ラルフのバカをぶん殴って、泣く程の慰謝料をふんだくって、それで」
終わりだ。
「帰ろう」
取り敢えずは仲間達の待つ場所へ。
全てを終えたら、故郷のあった場所へ。
それから。
それから?
「…………わからない」
ナオは河から上がり
スカートを下ろし、改めて
一つ一つの動作を、無為に神経を使うように、ゆっくりと終えていった。
足取りは重く、獣道に歩を刻んでいく。
独りになった途端に、考えないようにしていたものに襲われて、参ってしまった。
「キャアアアア!!」
「人の悲鳴?」
魔獣が放つ釣餌の擬音ではなかった。
魔力と気配を伴う、本物であった。
「何でこんな山奥に人がいる。道迷いか?」
ホリフューン王国は魔王戦争で一度荒れた。
その時に魔王軍の放った魔獣が僅かに生き残り、人の領域外へと逃げて行った。
総じて軍用に魔法的調整を施された
ナオは木の幹を蹴りながら、悲鳴が響いて来た方へと跳んで行く。
近付いて来る弱り切った気配と、獰猛な気配。
「見えた」
木々の間の先で、走っていた少女が倒れ込んだ。
巨大な影が彼女へと覆い被さろうとしていた。
ナオは背負っていた
『グオオオオオ』
炸裂音と同時に着地、少女を抱えて距離を取る。
立ち込める腐臭。その向こうで牙を剥く、無毛の肌に氷の甲殻を纏った大熊の魔獣。
そして調整魔獣に特有の、額に埋め込まれた水晶の制御装置。
「ごめん、これ持って隠れてて」
「は、はい。いえ、でも」
ナオは助けた少女に
「『氷鎧式』ですか。まったく面倒な」
大熊の目の奥には
爪はまるで小剣のように鋭く伸び、牙は鋼鉄のような輝きを帯びている。
『グオオッ』
大熊の右手の一薙ぎを跳躍して躱す。
代わりに受けた杉の巨木が輪切りとなり、地面に落ちて盛大な土煙を上げた。
トンッと着地したナオに追撃は無かった。
土埃の中から歩み出て来た魔獣の、濁った赤黒い瞳が語り掛けて来る。
―― さあ逃げろ、さあ逃げろ。
―― 恐怖に怯え、泣き喚け。
―― それを自分が殺してやろう。
まるで人が浮かべる笑みのように、大熊の口角が釣り上がる。
「随分な趣味をお持ちで。魔獣化した個体は酷くなる傾向が強いけど、あなたはとびっきりね」
穏やかな気性の魔獣もいる。
知的で理性的であり、会話の中に流行の
「眠りの力よ 掴み取れ」
背後の幹から伸びた六本の黒手が大熊に触れた瞬間、拳を握り込んだ。
「ああ、やっぱり効きませんか」
額の制御水晶が精神への干渉を寄せ付けない。
大熊の牙がナオを貫き、顎門を閉じた。
『グル?』
口内で水飛沫が爆ぜて困惑する大熊の首を、樹上より舞い降りたナオが振るう、氷の刃が両断した。
腐臭で鼻を麻痺させ、土煙に紛れて囮である水人形を設置。
水人形の頭上の枝で待機し、そこから落ちる影から魔法を使った。
「でもこの程度の罠で狩れるのですから、面倒は言い過ぎでしたね」
あっけなく、大熊の首は地面を転がった。
ナオは
五分程歩いた大木の根元に、ナオが預けた
整った顔には濃い疲れの色が張り付き、草木に斬られた傷の他に、殴打と刃で付けられた傷の跡があった。
「綺麗な子。けど」
破れボロボロとなった服の生地は上質な木綿で作られており、体は相応に鍛えられたものだった。
「道迷いじゃなさそう。面倒なのはこっちだったようね」
ナオは少女に両手を掲げる。
「眠りの力よ 安らぎの加護よ 傷付き倒れた身に 癒しの時を与えたまえ」
少女の体を
ゆっくりと傷が消えていき、血が止まる。
苦痛の刻まれた寝顔は安らかなものに、呼吸は穏やかなものに変わった。
「さてと」
ナオは右手に少女を担ぎ、左手に
見上げれば、枝葉の先の空を旋回する、貪欲な猛禽類達の姿があった。
「長居は無用。目を付けられない内に、戻るとしますか」
運動したお陰か。
ナオの内を
* * *
「あいつは【ジャクリン・フィアッセ】だ」
「知ってるのモルダン?」
「ああ」
焚火を囲むナオとロバート達。
少女を天幕に寝かせ、一息吐いた後の話合で、モルダンが少女の正体を語り出した。
「この国の近衛騎士団に最年少で入った
モルダンが焚火に
「急進派の第一王女【スティナ・ポルカル】の右腕だ。母親がスティナの乳母だった関係で、な」
* * *
* * *
【ジャクリン・フィアッセ】:魔力量2050
近衛騎士団の序列三位。盗賊団『忘れられた墓標』の討伐に失敗。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます