今の私は聖女ではない

~ ナオ・ジュノーク ~


 私がラルフと旅立って三か月が経った頃でした。

 私達は偶然、一人の少年と出会いました。


 だまされて連れて来られ、奴隷として売られそうになったと主張する少年の言葉に、私は強く同情してしまいました。


 ラルフに頭を下げて、彼を助ける為に破落戸ごろつき達を倒していき、その背後にいたのが【エグバート・コラスコン】でした。


 大国ホリフューン王国の侯爵であり、南方監察武官だったエグバートは、これまでの荒くれ者どもとは違い、ラルフを政治的に抑え込もうとしてきました。


 その闘争の中でのちの義姉の一人となる小姉様ちいねえさまと出会ったり、実は少年が他国の工作員であったと判明したり、気付いたらエグバートと共闘して工作機関と戦っていたりと、本当に色々な事がありました。


 あの事件で私は学び、大いに反省をしました。

 人の姿とは、一つの方向からだけで見るものではない、と。


 やがて魔王戦争が始まり、数度、またエグバートと共闘する事がありました。


 善も行い悪も行う。

 そしてその両輪をもって国を動かす。


 私に貴族という存在を強く印象付けた男でした。

 

* * *


 ナオは香りから如何にも最高級品とわかるお茶を飲み干して、やたらと値の張りそうな茶杯をテーブルに置いた。


「ごちそうさまです」

「……ふむ」


 エグバートの、刃のように細められていた焦げ茶色の眼が開く。


「そういえば風の噂で、ナオ様が土の聖女を辞められたと聞きました。いや、流言飛語のたぐいと思ったのですが」

「事実です。本当に良い耳をお持ちですね。神殿内部でも知る者は限られていますのに」


 ナオが土の聖女となったこと、『大姉様おおあねさま』から『ジュノーク』の姓を与えられたことは、土の大神殿の特別な秘密であった。 しかしナオが再びエグバートとまみえた時、彼はそのことを知っていた。

 

 秘密を取引材料に使おうとしたエグバートにナオは切れた。

 ラルフと共に暴れ、結界、裏組織の地底都市の一つが廃墟と化した。


「内通者でしょうか? だとしたら血の雨が降りますね。土の大神殿の法王猊下げいか容赦ようしゃがありませんから」

「ははは、いえ、ただのかまかけですよ。何、以前お会いした時とナオ様の雰囲気が違いましたらなぁ」


 エグバートの引き攣った笑みを見て、ナオも微笑みを浮かべた。


「まあ内通者などと言うより、あなたが独自に情報を集めて分析した結果なのでしょうね。このご時世でも『夜蓋やがいの都』に出入りしているのですか?」

「はは、ご慧眼けいがんです。まあ今だからこそ、裏の世界の動静を知る事が重要になる訳ですよ」

「そうですね」


 社会が戦争状態となると、表裏の動きが接近する。

 表の条件が動かせない時に裏から働き掛けることで動かせたり、あるいは無視できるようになることを、ナオは旅の中で学んだ。


「競り合うような盤面では一手二手の差が勝敗を決する鍵なりますからね。本当に心強い限りです。あなたがいればホリフューン王国の戦線は大丈夫ですね」


「……はは、いや、さて。それは、どうでしょうか……」

「何でしょうか? らしくない言葉ですね」


 ナオが思わず気遣いを口に出す程に、弱々しい言葉と口調だった。


(十中八九、はかりごとたぐいでしょう。けど、もしエグバートが倒れるようなことがあれば、ホリフューン王国の戦線は危うくなりますね)


「ナオ様。どうか私の願いを聞いては頂けないでしょうか……」

「まあ、聞くだけなら」


 エグバートがナオに向けて、深く頭を下げた。


「白炎獣の遺産を、取って来ては頂けないでしょうか」

「……」


 大魔法使い【白炎獣のバーナット】が遺した神秘。


 ナオが耳にしたのは「第一王子が魔族に負わされた目の傷を治療する為」、という話だった。


「A級冒険者の私部隊パーティーを二つ、既に向かわせたと聞きましたが?」

「彼らは、『黒狼党』と『光剣同盟』は失敗しました。そして、帰還できた者はおりません」


「そうですか……」


 ナオはリグットに遺跡の仕掛けの内容を教えてもらっていた。なぜならば、ナオ自身も遺跡の中に眠る秘宝の一つを欲していたからだ。


 合わせて眷属に調査もさせ、結論として今のナオには無理だという考えに至った。


(神器の解放に制約がある今の私では死にに行くようなものですね。まあ、昔注文していたがあれば、話も違ってくるでしょうが……)

 

 それには莫大な資金が必要であり、何よりもかなり遠い場所にまで行かなければならない。

 現実的ではないと、ナオは頭を振った。

 

「黒狼党と光剣同盟に迷宮の情報を教えなかったのですか? ここの冒険者ギルドには詳細が伝わっているとお聞きましたが」

「……どこでお知りになったのやら。あの幼かった少女が、本当に」


 ぽつりとエグバートがこぼし、言葉を続ける。


「仰る通り、ギルドの秘伝は余すことなく、彼らに伝えるよう指示を出しました。そして彼らは準備を整えて迷宮へと向かったのです」

「その上で共にA級の彼らが失敗、ですか。迷宮に異変が起きたのでしょうか?」


 冥宮ダンジョンと違い、迷宮ラビリンスは人の手によって作られるものだ。

 環境の変化によって構造が変わった、或いは機能にトラブルが生じる事はあるが、十分な情報を持ったA級冒険者の私部隊パーティー二つが全滅するというのは考え難いものだった。


「……ならば神殿、いえ聖地の力を借りるのは如何でしょうか。私も元土の聖女です。秘されていたといえども、土の大神殿を通せば、聖地も動いてくれるかもしれません」


 私事ではためらわれるが、このような理由ならば土の大神殿を頼るのも仕方ないとナオは思った。


「いえ、それは……」


(まさか、そもそも神殿に話をしていない?)

 

「何がありました」


 うつむき、観念したように顔を上げて、エグバートが口を開いた。


「第一王子【サークット・ポルカル】殿下は、魔族となってしまわれたのです」

「…………なるほど」


 とんでもない事態スキャンダルだ。


「今は王城の地下に封印しています。聖地が知れば許しはしないでしょう。殿下を元に戻すには、もう白炎獣の遺産に頼るしかないのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る