地下へ私は行ってみる

~ ナオ・ジュノーク ~


「いいですよ」

「え?」


(おお、エグバートが目を丸くしています) 


「まさか即答で承諾して頂ける、とは、思いませんでしたよ」

「これでも元土の聖女ですよ。危難に苦しむ人を助けるのは当然の務めです」


(あれ? その仮面のようなツルリとした笑みはどういう意味でしょうか?)


「まあ私情もありますよ。エグバート様は私の夢をご存知でしたでしょうか?」

「偉大なる聖女様におかれましては、世界の平和と民草の安寧をお望みでしょうか?」

「ここで『ええそうです』と言えれば、実に私らしいのですが」


 エグバートは大げさに肩をすくめ、ナオは自分の唇を右の人差し指でトントンと叩いた。


「……私の夢はラルフとの結婚です。家族を持って、故郷で暮らすのが、私の戦う理由でした」

「よろしければ良い相手をご紹介しますよ。血筋、家柄に加えて所有する資産までが最高の者達です」


「結構です。しかしここで紐付きを進めてくるとは、やっと調子が戻ったようですね」


 ナオの脳裡に魔王率いる『魔王軍』と、西北大陸にある北方八か国が結成した『聖法盟約連合』、その英雄達の顔が浮かぶ。


 魔族の戦力で最も恐ろしいのは、群れの力よりも個の力。

 人を超越した魔族の力は、下位の一人でさえ、数十の兵士を軽々と薙ぎ払う。


「サークット様の封印、あとどれ位持ちますか?」

「あと二週間が限界であると王宮の魔法使い達は言っておりました。しかし封印の中でも殿下の変異は止まっておらず、この期間はより短くなるだろうとも言っております」


「わかりました」


 本当に時間がない。


「それでは幾つか用立てて頂きたいものがあります」


* * *


 ナオは冒険者ギルドの地下入口に案内された。

 重厚な金属扉が開くと、壁に付けられた魔法の明かりが灯っていく。

 案内役は再度の副ギルド長ヨッポスだった。


 岩壁には植物を模した飾りが彫られており、歩いても歩いても終わりの見えない石階段が延々と続いている。


「ここは余人が入る事を許される場所ではないのだが。ましてホルバン帝国出の田舎娘など前代未聞だ。侯爵閣下は何を考えておられるのか」


 ナオに十分聞こえる声量でヨッポスの独り言が続く。


「この遺跡がどれ程歴史的に、魔法的に価値のあるものか、侯爵閣下もご存知だろうに。紋章勇者の情婦に使わせて、万が一にも壊れたらどれだけの損害になる事か」


 ナオは階段を下りる度に、魔力の圧が高まるのを感じる。


「おい小娘」

「はい、何でしょうか?」


「お前の目的は何だ」

「世界平和です」


 ヨッポスの舌打ちが響く。


「本当です。私の夢は家庭を持って、故郷で静かに暮らすことですから」


 振り返ること無く淡々と、ヨッポスが応える。


「ふん、おためごかしを言う。英雄ならば地位も名誉も好きに手にできるだろうが。まるで普通の田舎娘のようなことを言って、俺をけむに巻く気だな?」

「まあ私は生まれも育ちも田舎ですので。人格の形成に環境が大きく影響を与える以上、言動があなたの言う田舎娘となるのは普通のことですよね?」


「ああそうだな。野心も重みも感じられない。お前の言葉は田舎の平民そのものだ」


 階段が終わる。


 ナオ達の目の前には、濃密な魔力を湛える、広大な地底湖の姿があった。


「地下水脈が霊脈と交わり、高濃度の魔力水となった水が湧き出る場所ですか」

「そうだ」


 ポンプを使ってみ上げられた魔力水は配管を通して町の各施設に分配されており、魔法道具の作成から病院での医療行為まで、その用途は多岐たきに渡る。

 

「それではエグバート様によろしくお伝えください」


 ナオがこれから行う儀式には大量の魔力を消費する。それはこの地底湖の魔力を使い尽す程であり、発生する損害は莫大なものとなるはずであった。


 しかしその損害の補償はナオではなく、エグバートが請け負うことになっていた。


「覚悟しろ。失敗すれば貴様の命程度であがなえるものではないのだということを。この世のありとあらゆる責め苦を、永遠に近しい時間与え続けてやる」

「心配は無用ですよ」


「ほう、流石さすがの自信だな。腐っても勇者と戦場を共にしてきただけはある」


「どうしました? 地上にお戻り下さい。余波だけでも死ぬ危険がありますよ?」

「構わん。俺には見届ける義務がある」


「コラスコン家の血を引く者としてですか?」

「そうだ」


 本当にひたむきな人だとナオは思った。

 

(これ以上の言葉は無粋か)


「冥王の心臓よ、真の姿をここに」


 ナオの両手の中に、滅紫けしむらさき色の宝玉へ姿を変えた冥水晶の戦鎌ハデスあらわれた。


神理ことわりの流れを止め、幽世かくりよとの境界を開け」


 宝玉から放たれた魔力洸まりょくこうが地底湖の水を一瞬で滅紫けしむらさきへと染め上げた。


 同時、水面から陽炎のような何かが立ち昇り始める。

 それは現世うつしよ幽世かくりよの境目の姿であり、湖は今、死者を現世うつしよに立たせる祭壇さいだんとなっていた。


――   、   、


 彼方より響く声が、次第にナオへと近付いて来る。


彼岸ひがんふち彷徨さまよう者よ、私の声に応えなさい」


―― ……、……、


 霧の上にゆっくりと、幽世かくりよより呼び出された霊の姿が現れていく。

 それは若い細面の青年の姿をしており、虚ろな眼窩がんかは、底の見えない暗黒となっていた。


『ァ、アアアアアッ!!』


 強い無念、後悔、絶望の念が死霊の慟哭どうこくと共に地下の空間に響き渡る。


 咆哮ほうこうと共に死霊の人の姿が崩れ、体中から剣を生やした、異形の巨人の姿に変わった。


『オマエガアアアアアアアアアアアアアア!!』


 死霊から発せられた魔力の圧に、地底湖全体がきしむように揺れ動く。


「お、おい小娘! 大丈夫なんだろうな!?」

「心配要りません」 


 この儀式では冥水晶の戦鎌ハデスが使えない。


 だからナオは背中にくくり付けていた銀色の棒を掴み、抜いた。

 風切り音と共にたけが伸び、刃が広がり、戦鎌いくさがまの姿が現れる。


―― 戦鎌いくさがま銀旋ぎんせん】。


 魔力を散らす効果を持ち、霊的存在への干渉も可能な最高位の金属である『聖銀』を用い、伝説的名匠【歌舞喜かぶき】の手によって造り出された一振り。


冥水晶の戦鎌ハデスが最強の神器なら、これは最強の武器です」


 注文したナオには『古城が七つ買える』程の金額が請求された。

 前金として五分の一は支払い済みだったが、それでも残金は莫大なものであり、また歌舞喜の住む国は遠く、今まで取りに行くことができなかった。


「だから負けはしませんよ」


 ナオは報酬として銀旋ぎんせんの前受を要求した。

 応諾したエグバートは飛行魔法の使い手たる専門の運送業者を雇い、残金の支払いを終えた。


 異常な数字の記載された領収書を手渡された時、ナオが見たエグバートの視線には、凄まじい力が込められていた。


『アア、アア』


 死霊の右手が大剣を握る。

 ナオは銀旋ぎんせんの刃の峰を斜め下に向け、構えを取る。


『シネエエエエエエ!!』


 豪風を纏い振り下ろされた刃。

 ナオは大剣の左腹を銀旋ぎんせんの石突で打ち、円舞のように体を回転させる。 

 

 死霊が態勢を立て直すより早く、死霊の首へ銀旋ぎんせんの刃を走らせた。


 死霊の首が宙を舞う。


「おお!!」


 感嘆の声はヨッポスのもの。


 しかし死霊の体は消えず、首の無いままに動き、大剣の諸手突きを放って来た。


「この程度でっ」

 

 ナオは体を倒れるよう沈ませた。

 頭皮の上を大剣の切先が空振りする。


 体の回転と共に振り上げた聖銀の刃は逆袈裟の軌跡を描き、死霊の体を走り抜けた。

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