復讐の機会

「……なんだぁ?」


 りょうの顔面へ拳を落とそうとしていた洋介は、その腕を一瞬引っ込めると叫び声の方へ顔を向けた。


 そこにはひとりの少年が立っていた。  


 洋介はその少年を何処かで見たような気がした。


「誰だおめーは?」


 りょうを押さえ込んでいた拓哉は、手を放して立ち上がろうとした。そのとき、突然少年の身体が拓哉に激しくぶつかって来た。


「うわぁっ!!」


 拓哉は少年の体当たりでバランスを崩すと、もつれるように一緒に後ろへひっくり返った。そしてゴンッと鈍い音をたてて後頭部をアスファルトで強打した。


「い、痛ってぇ……」


「はぁはぁはぁ………」


「相川くん!?」


 薄暗い外灯の下、りょうの目の前で激しく呼吸を乱している少年は他でもない二留だった。




 病院を先に出た二瑠は、すぐに青葉市内にあるグラウンドへと向かった。


 石狩拓哉が隣町の少年野球チームに所属していること、チームが毎週日曜日、二瑠たちの学区内にあるグラウンドで合同練習をしていることなどは、先日の図書館で川崎から聞いていて既に知っていた。


 二瑠はチームの練習が終わった後、気付かれないように注意して帰宅する拓哉の後をつけた。途中で拓哉が洋介と合流したとき、二瑠は一瞬躊躇した。しかし、仁栄があの日三人に向かっていったことを思い出すと、彼の動悸は激しくなり、そのまま尾行を続行することに決めた。


 合流した二人は、近くのアーケードセンターで入っていった。


 その時、空は既に暗くなっていた。アーケードセンターは日曜日ということもあって、多くの人で混雑していた。そこで、二瑠は人ごみの中へ紛れた二人を簡単に見失ってしまった。


 二人が既にセンターを後にしたと考えた二瑠は、セントラルパークへと向かった。拓哉が野球の練習のあとに寄り道するコースは、毎日のように彼らを調査をしていた二瑠には、大体の予測がついていたのだ。


 しかし、実際二瑠は二人よりも先にパークへ着いていて、ベンチの上で倒れているりょうを発見していた。 


 数時間前に病院で会ったりょうが、今何故セントラルパークのベンチで倒れているのか二瑠には理解できなかった。

 そして倒れているりょうに、何かとても酷いことが起きていると予感した彼は、恐ろしくなり、愚かにも誰かに助けを呼ぼうと一旦その場を離れてしまったのだった。


 公園の反対側を走り抜けようとしたとき、ベンチに座っている京一を偶然に見つけた二瑠は、助けを求めて声をかけた。


 ところが京一は、二瑠の目の前で「アキヒト」と呼ばれた少年に刺されてしまった。その光景は、再び二瑠をあの日へと戻した。永遠に続くかのような数秒が彼の心を射抜いたのだ。拓哉と洋介を見つけたときよりも、彼の動悸は更に激しくなり、気がついた時には駆けて出していた。




 外灯の下で立ち上がろうとする二瑠に、りょうは違和感を感じていた。彼女には彼の姿と仁栄がダブって見えていたのだ。


「大丈夫か、拓哉?」


 洋介は後頭部を抑えている拓哉に声をかけながらも、眼光だけはじっと二瑠の方を見据えて一瞬たりとも視線を外さなかった。そしてゆっくりと二瑠の方へ歩み寄っていく。


「思い出した。おまえ、ずっと前に聖也さんのマンションの前で京一と話してただろ? あ?」


 洋介の声は鋭く、明らかに二瑠に対して見下した声色をしていた。


「……おまえは、僕の親友深水仁栄に重症を負わせた、野々村洋介だろ?」 


 二瑠は真っ直ぐに洋介の瞳を見てはっきりと言った。興奮のためか、恐怖のためか、微かに声を震わせながら。


「あ?」


「洋ちゃん、誰こいつ? 知ってるやつ? ジンエイ? 誰それ? まあ誰でもいいけどよぉ。殺しちゃうよぉ~」


 体当たりから回復した拓哉は、ヘラヘラした笑いを浮かべながら、少年野球の金属バットを拾いあげると軽くスイングする。バットはブオンと重く鈍いで鳴いた。


「誰だか知らねえけど、おめー死んだな。拓哉キレたらオレと同じくれーやべーよ……ってかフカミジンエーって誰? マジで何それ?」


 洋介はとぼけた調子で言うと、傍らに転がっている手の大きさ程の石ころを拾った。


「仇は討つから……」


 二瑠の微かに震えたか細い声が、白い息に乗って静寂の夜へ吐き出されていった。


 彼にとって、これは現実に起きているのか、それとも夢をみているのか、心臓の音はあまりに大きく、視界に映っている現実は曖昧で疑わしいものに見えていた。


「……どちらにしてももう逃げることは選べない、これ以上自分を嫌いにはなって生きてはいけないから……」


 二瑠は無意識に呟いた。


「はぁ? 念仏唱えてんじゃねーぞ!!」


「死んだなぁ、おめぇー!!」


 少年たちの罵倒に恐怖と興奮を同時に感じながら、二瑠は心の何処かで笑っていた。


 そして、ベッドに眠る仁栄のことを思いながら、彼は凶器を手にして笑う少年たちの方へ、ゆっくりと歩を進めた。

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