相川二瑠
玄関先でジャケットに積もった雪をしっかりと振り落としてから、二瑠は自分の部屋へ入った。
机の引き出しから大学ノートを取り出して開く。開かれたページには三人の少年の名前と住所と趣味、特技、行動日程が詳しく書き込まれていた。それは二ヶ月のリサーチの結果だった。
二瑠はノートを開いたまま目を閉じて、計画を頭の中に思い描く。
「りゅうちゃん? 帰ってきたの?」
二瑠の精神集中は突然の母親の声で乱された。
「なぁに? 母さん?」
ドア越しに返事を返す。
「晩御飯の時間よ。いらっしゃい」
「はーい、今行くよ!」
ノートを机の引き出しにしまうと、二瑠は部屋を出た。帰ってきた時には何故か気が付かなかったカレーの香ばしい匂いがした。口元が思わず緩む。カレーライスは二瑠の大好物だった。
「頂きまーす!」
彼は手を洗って椅子に席に着くと、カレーライスを口いっぱいに頬張った。
「おいしい?」
母親はカウンターでフルーツサラダを盛り付けている。時折息子の方へその優しい笑顔を向ける。
「うん! きっと世界中何処を探したって、母さんのカレーを嫌いな小学生は存在しない思うよ」
そんなどうでもいいことを口にしながら、二瑠は無邪気に微笑んだ。
「まあ……りゅうちゃんったらそんなこと言ってくれちゃって」
母親は嬉しそうに笑いながら、盛り付けたフルーツサラダの皿をテーブルの真ん中にのせる。
二瑠の母親は若くてとても綺麗だった。彼女が家族に加わったのは、彼が今よりまだ幼いときだった。
二瑠は本当の母親がどんな人だったのか全く覚えていない。父親からは、母親は北海道の人で、二瑠を産んですぐに病死したと聞かされていた。彼が本当の母親について知っていることはそれだけだった。しかし、そんな過去を彼は少しも気にしていなかった。
継母ということもあってか、母親は二瑠の我侭をたいていは許してくれた。調子が悪いといって最近学校を度々休んでいたことに関しても、彼女は何も疑わずに理解を示してくれていた。二瑠はそんな母親が大好きだった。
「りゅうちゃん。おかわりたくさんあるからね」
「うん」
母親は二瑠のことを「りゅうちゃん」、もしくは「りゅうじ」と呼ぶ。 二瑠の「瑠」が「りゅう」と読めて、ひっくり返すと「りゅうじ」とも読めるからだ。
父親がつけてくれた「二瑠」という名前。本当は「二瑠」ではなく、「瑠二」とつけるつもりだったのではないか、そして世界の何処かに「瑠一」という兄がいるのではないかと、二瑠はごく最近までよくそんな想像をして遊んでいた。
カレーライスを済ませると、二瑠はご馳走様と言って立ち上がった。
「あら? フルーツサラダはいらないの?」
「宿題終わった後で食べるから、冷蔵庫に入れておいて」
「了解しました。宿題頑張ってね!」
母親は手を額に当てると、敬礼の格好をする。二瑠も敬礼の格好をして微笑んだ。
彼は部屋に戻るとドアに鍵をかけ、再びノートを開き机に向かう。宿題をするつもりなどなかった。机の隅に立てかけてある分厚い本をじっと見つめる。それから目を閉じて深呼吸して精神を集中させる。ゆっくりと目を開き、本に手を伸ばす。
「復讐」の二文字を二瑠に教え、きっかけをくれたこの「岩窟王」は、今や計画を成功させるためには、絶対に必要不可欠なものとなっていた。
しかしなぜか、野々村洋介の溜まり場を突き止めたあの日から、二瑠には洋介以上にあの少年のことが気になって仕方がなかった、京一という名の眼鏡をかけたあの少年のことが。
彼は首を振って余計な思いを脇へやると、もう一度計画に集中しよう目を閉じた。しかし、何度やっても同じだった。本を手に取ると、あの少年のことを思い出して全く集中出来なかった。
二瑠は気分転換にフルーツサラダを食べようと、部屋を出た。
台所へ来てみて二瑠は驚いた。いつの間にか父親が帰って来ていたのだ。出張ばかりで滅多に帰って来ない父親。今回は何ヶ月振りに見たのかも覚えていなかった。
いつも朝早くに仕事へ行き、夜遅くに帰って来る。交わす言葉はいつも少ないが、父親は二瑠によく玩具を買って来てくれた。それに継母がよく二瑠の相手をしてくれるため、彼自身父親に対して特に不満はなかった。
二瑠は熊のように大きな父親の背中をすり抜けると、冷蔵庫からフルーツサラダの皿を掴むと部屋へと戻った。
途中、父親から元気にやっているか、というような挨拶が聞こえので、元気にやっている、と息子が短く答えて親子の会話は終了した。
フルーツサラダを食べ終えても、集中力が沸いて来ない二瑠は、今日は早めに寝ることにした。
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