川崎太朗
秋の遠足で、仁栄を襲った少年たちは、恐らく青葉小学校の生徒ではないだだろうと、予測を立てた二瑠はひとりずっと考えていた。
あの日、セントラルパークには、二瑠たち青葉小学校の他に、もうひとつ別の小学校の生徒たちが来ていた。
それが、水無し川を隔てて西に位置する筑紫小学校の生徒たちだったという事実を、彼がクラスメイトたちの会話から偶然に聞き知ったのは、つい先日のことだった。
そして数時間前、二瑠は部屋で、仁栄との短い思い出を振り返っているうちに、夏休みに水無し川の向こう側から突然現れた、真っ黒に日に焼けた少年のことを思い出したのだった。
二瑠は、スクールの受付で運よくその川崎と再会を果たした後、その場で仁栄の事故のことを彼に出来るだけ簡潔に話した。
すると川崎は、これから頼まれたお使いを済まして家に戻らなければならないため、その後自分の家で話さないかと提案した。
二瑠は即座にその提案に同意した。そして、ボロボロの自転車に競泳用のビキニパンツ一枚で跨り、ぐんぐんとスピードを上げていく川崎の後ろを必死で追いかけた。
「スーパーヨシムラはすぐそこなんだ」
「ちなみにオレの名前、
「相川くんだったよな?」
「たぶん十分くらいで済むと思うから」
「今日、玉子が安いんだ!」
「オレんち犬飼ってるんだ! 名前はタオル! かわいいだろ?」
スーパーへの道中、川崎は何度も何度も後ろを振り向いて二瑠に話しかけた。しかし、自転車のスピードの速さと風の音でその殆どは聞き取れず、楽しそうに話す川崎に、二瑠はただ笑顔を返すだけだった。
すぐそこと言われたスーパーヨシムラにふたりが着いたのは、スクールを出てからしっかり三十分経った後のことだった。
スーパーヨシムラは、二瑠の以前住んでいた街にもあったチェーン店で、洋服や、ゲーム、音楽CD、DVD、子供の玩具なども扱っている比較的大きなデパートだった。
「川崎くん?」
二瑠にはどうしても気になっていたことがあった。
「何?」
「服はどうしたの?」
駐輪場で自転車に鍵をかけていた川崎は、きょとんとした顔を浮かべていた。
「服なんて着て来てないよ。だって暑いもん」
「え!?」
「なーんちゃって!」
川崎は舌を出しておどけてみせると、そのままスーパーの中へ駆けて行った。
「……」
二瑠には彼の言った「なーんちゃって」の意味がよく分からないまま、競泳用水着一枚で駆けて行った川崎の後を追った。
一階の食料品コーナーは、夕食の買出しに来ている主婦たちで一杯だった。
「今日は千円以上買ったら玉子がお一人様一パック一円なんだ。だから、今日は相川くん、オレの弟な!」
川崎は二瑠に玉子のパックをひとつ渡すと、冷凍コーナーへと向かった。
主婦たちの視線が、自然とビキニパンツ一枚の少年に集中する。無意識のうちに、二瑠は少し川崎との距離を取って歩いた。
「弟ぉー!! 早く来いよ!!」
川崎は人目を憚らず大声で叫んだ。ビキニパンツ一枚の少年に注がれていた主婦たちの視線は、一瞬で弟と呼ばれた二瑠の方へ向けられる。
「ちょ、ちょっと、かわさ……」
「……なんだ! 弟よ?」
川崎は、わざと大きな声を二瑠の声に被せると、耳元で囁いた。
「駄目じゃないか。ちゃんと『兄貴ぃー待ってくれよー!』って叫ばないと」
「え? 叫ぶの?」
「ああ。だってもし、弟が『川崎くん』って苗字で呼んだらおかしいだろ?」
「あ、うん……」
いまいち納得のいかない二瑠だったが、その後は出来るだけ川崎の傍にピッタリと付いていた。
傍にいれば嫌でも川崎のビキニパンツのせいで、周りの視線を集めてしまうのだが、離れたら離れたで、彼にすぐに大声で呼ばれてしまうため、どうすることも出来なかった。
二瑠は、早く買い物が終わることだけを祈った。そして、その祈りは見事叶えられるのだった。
川崎は、左手首にテープで貼りつけた手書きのリストをチェックしながら、主婦顔負けの勢いで素早く商品の賞味期限を確認すると、次々と買い物カゴに入れていった。
十五分程で買い物は無事終了し、ふたりは川崎くんの家へと向かった。
「オレんちは、ここからチャリンコぶっ飛ばして、十分くらいだから」
買い物袋を自転車のカゴに縛り付けながら、川崎くんは笑った。
「ぶっ飛ばして十分くらい」は、やはりしっかりぶっ飛ばして、三十分以上かかった。
自転車から降りた二瑠は、疲労でその場にペタリと座り込んだ。太陽は既に沈みかけていて、見知らぬ闇が辺りを飲み込み始めていた。
「はぁはぁ……」
「大丈夫? とにかく我が家へようこそ!」
築何十年も経っているだろう昔ながらの平屋が何件も密集して建っていた。そのうちのひとつの前に川崎が立っていた。
家全体を隠すように干されている洗濯物を避けながら進むと、緑色に塗られた小さな犬小屋が姿を現した。
小屋の中では、立ち耳の白い仔犬が気持ちよさそうに眠っている。
「さっき話したタオルだよ。タオル、チンチン!」
主人の声に、眠っている仔犬は反応を示さない。
「タオル、お座り! タオル、伏せ!」
やはり、仔犬は何の反応を示さない。
そんな動かない仔犬をぼんやり見ていると、二瑠はあの日見た仔犬を思い出してしまった。
あの後、あの仔犬がどうなったのか、二瑠は知らなかった。仁栄が自らを呈して助けようとした仔犬。どうか無事でいてくれますようにと、彼は心の中で祈った。
「タオル、おやすみ!」
川崎は、何を言っても反応を示さないタオルにそう告げると、履いていたボロボロのスニーカーを脱いだ。そして靴の中から鍵を取り出すと、玄関の鍵穴に差し込んだ。
ガラガラと大きな音を立てて、扉は何度かつんのめりながらようやく開く。
「あがりなよ」
「お邪魔します」
板張りの床を軋ませながら、二瑠は川崎の後ろを歩く。
彼は、一番奥にある六畳一間の部屋へと通された。部屋の隅には座布団の山が積み上げられていた。
「座布団を敷いて、適当に座って待っててよ。麦茶か何か持ってくるから」
二瑠は座布団を一枚敷くと座り込んだ。
ひとりで遠くまで来てしまった疲労感と、孤独感が、一気に二瑠に襲い掛かってきた。
時間を確認しようと、二瑠は部屋の中を見回したが何処にも時計らしきものはなかった。腕時計をして来なかったことが、悔やまれた。
「お待たせ」
川崎は、麦茶の入ったコップと最中アイスを二つずつ手に持って戻ってきた。彼は灰色のハーフパンツに青のテニスシャツ、白い靴下まで履いていた。
二瑠は、コップの麦茶を一息に飲み干すと、リバーサイドパークでの事件をもう一度詳しく話し始めた。
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