勇者ハル

「お任せください、閣下。必ず、閣下の娘さんは私、勇者ハルが責任を持って無事、救出して参ります。それでは、失礼!」


 一礼して勇者ハルは応接間を後にした。


 扉から右へ五歩進み、壁にある凸凹にそっと触れると、隠し扉が低い音をたてて現れた。この秘密の通路は城門へと続いている。


 勇者ハルは腰にぶら下げた巨大な伝説のマキムラソード(絶対に勇者以外は重たくて持つことが出来ない! 他の者が触れると忽ち下痢になる)をガラガラと引きずりながら、隠し扉を潜って行った。


 城門の外では、馬車が勇者ハルを待っている手筈だった。


「一亥の猶予も許されない!」


 勇者ハルは急いだ。前方に通路の出口が見えて来た……。


「……村! 牧村!」


 それ程遠くない場所で雷鳴が轟いた。


 勇者ハルは狼狽えた。そして、秘密の通路内で雷鳴が鳴る意味を考えてみた。妖魔か何かの幻術、敵の罠の可能性を考えた。


 勇者ハルはまだ完全にこの世界、「ザ・ゲーム」を把握しているわけではなかった。


「あでっ!!」


 突然の落雷に牧村晴彦まきむらはるひこは目を覚ました。見上げると、白髪鬼が……いや、担任の遠山が分厚い国語辞典が振りかざしていた。


「はい! なんでしょうか? 閣下? あっ、いや……遠山先生?」


「閣下だと? また寝ぼけたことを言いおって! バケツを持って廊下に立たされたいのか? 教科書三十八ぺージだ、馬鹿者が!」


 教室内で笑いが起こる。


 実際には、バケツを持って廊下に立たされたりはしないのだが、この遠山という名の年配の先生が小さい頃は、それが普通だったという、いつもの彼の冗談なのだ。


「あ、はい! 」


 夢から覚めたばかりで、まだ意識がはっきりしなかった春彦は、机の上に出ていた教科書を開くと、慌てて読み始めた。


「えっと、三十八ページは……杉田玄白、本居宣長らの……えーと……」


「こりゃ、牧村! わしは社会科を教えとらんぞ! 今は国語の時間だろうが!」


 白髪鬼の棍棒が、再び勇者ハルの頭上に降ってきた。


「あでっ!!」


 今や教室内は完全に爆笑の渦に包まれていた。


 その時、終業のベルがタイミングよく鳴った。


「ったく! また牧村のおかげで予定通り進まなんだわ」


 遠山はそう言って苦笑いを浮かべる。春彦は頭を掻きながら、面目なさそうに下を向く。


 担任の遠山には、「生徒たちは自分の孫と同等の愛情と、厳しさとを持って接する」という信条があるらしく、普段から何かとすぐに怒鳴り散らしていた。


 クラスの中には、彼のことを陰で悪く言う生徒も何人かいたが、春彦は正直、それほど嫌いではなかった。


「それでは、このままホームルームを始めるぞい」


 教科書類を殆ど机の中に残したまま、空のランドセルを机に乗せ、その上に春彦は顎を乗せた。そして、遠山の眠たくなる話を上の空で聞いていた。


 そのとき、彼は大事な何かを忘れていることに気がついた。


「起立! 気をつけ! 礼!」


 遠くで聞こえてくる号令に無意識に反応しながら、春彦はずっと、忘れてしまった何かを思い出そうとしていた。


 彼は半覚醒的なまま教室を出ると、いつも通りの帰途へと着いた。




「うぎゃぁぁああ~!! あでぇぇええ!! あ、頭がぁぁぁぁああ!!」


 突然後頭部に激しい衝撃と痛みを感じた春彦は、頭を押さえたままその場にしゃがみ込んで呻き始めた。何だ!? 何が起こったんだ? それにしても、なんて一撃だ。この勇者ハルを跪かせるとは……。


「やべっ!大丈夫ですか? すいません! 今の空き缶蹴ったの僕なんです……あっ!」


「馬鹿野郎!! ぜってー空き缶じゃねーだろ、この痛みぃー!! ……ん? あっ!!」


「あ、春彦?」


「ハンナぁぁぁあああ!」

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