病院と殺人ガム(タイトルトラック)

 日曜日の午後、白色のシビックが大学病院の正面入り口前に停まった。ドアが開き、子供たちが次々と下車し始める。


「皆はここで待っててくれ。先生は車を駐車場に駐めてくるから」


「はい!」


 学級委員長の岡本は、気をつけのまま大きな声で返事を返した。


「ってか、あんた別に来なくて良かったんじゃない? そんなに深水と仲よくなかったでしょ」


 りょうは紙袋を提げている岡本を睨みつける。


「なっ、何言ってるんですか? 佐々木さん! 僕は学級委員長ですよ! みんなの寄せ書きや千羽鶴を深水くんにきちんと渡す義務があります! それに……」


 岡本は唾を飛ばしながら、熱弁する。


「……そっ、それに佐々木さんにもしもの……がふっ!!」


 りょうの右の下段回し蹴りが、岡本の柔らかい太ももに垂直に突き刺さった。岡本は短く悲鳴をあげて片ひざをついた。


「りょうちゃん!!」


 慌てふためく咲子に、反応の薄い二瑠。四人はクラスを代表して若林の車で仁栄のお見舞いに来きていた。


「汚いわねー!! 顔に唾飛ばさないでよねー!! それに軽く当てただけでしょ!! 大げさなのよね、男子のくせに!」


「どうした? 何があった?」


 若林が駐車場から戻ってきた。


「何でもありませーん。岡本くんがそこの段差でつまずいて転んだだけでーす」


 りょうはすまし顔でそう答えると、太ももをさすってふーふー言っている岡本を一瞥した。


「りょうちゃん……」


「だってサキー、あいつ唾飛ばしまくって汚いんだもん。それに声低いし、趣味が植物観察だしー」


「りょうちゃん! そんな大きな声で言ったら聞こえるよ。それに声低いのと、趣味の植物観察は蹴る理由にならないよー」


「しっかり聞かせてもらってますよ! 何ですか? 植物観察のどこがいけないのですか!」


 岡本が唾を再噴出し始める。


「ちょっとー!!」


 りょうも再発火する。


「こら!! 病院では静かにしてると約束しただろ! だから一緒にくることを許可したんだぞ!」


「……はい。すいません」


 火は小火の段階で一気に消火され、なぜか岡本ひとりが謝った。


「……ったく。特に深水は深刻な状態で、全員が面会できるかは、正直先生にも分からない。だから、絶対に騒ぐんじゃないぞ」


「……はい」


 今度は全員が返事をした。


「じゃあ、行こうか」


 一行は若林を先頭に二列縦隊で進む。受付で入院棟への道を聞き、床に張られてある入院棟を示すオレンジ色の矢印に沿って歩き出した。


「へー、床に道しるべ書いてあるんだ。おもしろいね」


 咲子は病院に到着してから、ずっと黙っている二瑠の方を見た。


「ねえ、相川くんどうしたの? 大丈夫?」


「え? あっ、うん。ちょっとね……」


 二瑠は気分が優れなかった。心の中にもやもやした何かがずっと二瑠を憂鬱にさせていた。それが何かは二瑠自身にもよく分かっていたが、どうすればいいのかは、まだ分からなかった。


「ガムでも噛みますか? どうぞ」


 岡本はポケットからガムを取り出すと、わざわざ包み紙を全部毟り取って、裸のまま二瑠に手渡した。


「えっ? あっ、ありがとう」


 二瑠は反射的にガムを受け取ると、観察する。包み紙を毟り取られた裸のガムはすぐにクニャリと折れ曲って指先に絡みついてきた。


 その動きがグロテスクに感じた二瑠は、慌てて口の中に放り込んだ。ひと噛みすると、強烈な甘みが一気に口内と鼻の中に拡散していく。


 一瞬で嘔吐したい衝動に駆られた。


 口を開き、水泳の息継ぎのように必死になって新鮮な空気を吸い込む。


 包み紙は既に毟り取られていたため、何の味のガムなのか岡本に聞くしか知る術はなかったが、二瑠の頭の中にぼんやりと「殺人ガム」という名前が浮かんできた。


 くだらないことを考えるなと、彼は苦笑した。そして、黙ってしつこい甘みが早く終わることを祈りながら噛み続けた。


「大丈夫?」


 横で咲子が心配そうな目で見ていた。


「……う、がはっ! げほっ! げほっ! おえー! おえー!」


 返事をしようとした時、ガムが喉の奥に引っかかってむせ返った。


 二瑠は思わずその場に四つん這いになって、必死に吐き出そうとした。しかし、ガムが喉の奥に貼りついて落ちてくれなかった。


 周りの人は何事かと足を止め、二瑠の方に視線を投げかける。


「おい! 大丈夫か? 一体どうしたんだ?」


 後ろの喧騒に気がついた若林が駆け寄ってくる。


「岡本くんがやりましたー」


 りょうはおすまし顔でそう言った。


「ち、ちょっとりょうちゃん!」


「なっ!! わっ!! ぼっ、僕は何もしていません! ガ、ガムをあげただけです! それに……」


 岡本は今度は若林の方へ噴射し始める。


「……分かった、分かった。分かったから静かに」


 両手で唾をガード? しながら若林は岡本を宥めている。その様子が、二瑠には滑稽に見えて、可笑しくなって余計に咽た。


 吐き出すか、飲み込むかしたいのだが、不思議なくらい強い粘着力を持ったガムは、依然として二瑠の喉の奥に貼りついたまま全く動こうとしない。


 二瑠は一瞬、死を予感した。


 ここで、こんな形で、はあるのかと、くだらない考えがまた浮かんでは消えていった。


「うげー!! おえー!! だー!! がはっ!!」


「うわぁ……えげつない……ガムだね」


 りょうの言った偶然のシンクロナイゼイションに驚いた瞬間、二瑠はついに殺人ガムを飲み込むことに成功した。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 馬鹿馬鹿しい騒動がようやく終わりを告げた時、二留の背中をさすっていた咲子が声を上げた。


「あっ! 京兄ちゃん!」


 咲子の視線の先には、松葉杖をつきながらこちらへ歩いてくる背の高い少年が見えた。

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