事変

「園内を見学したら噴水の前でお弁当にしまーす!! 班長さんは、全員きちんと揃っているか確認してくださーい!!」


 若林のよく通る声が公園内に響き渡った。


 子供たちは次々に噴水の前に風呂敷を広げ始める。


「石川、オレちょっとトイレ行ってくるから」


 ビニールシートを広げていた咲子にそう告げると、仁栄はトイレへと急いだ。


「うん。いってらっしゃーい!」


 咲子は笑顔で小さく手を振り、仁栄を見送った。




 仁栄は濡れた手をハンカチで拭きながらトイレから出ると、溜息をついた。そして、皆でお弁当を食べる前に腹が痛くなる自分のお腹を呪った。


 その時、遠くから小さな喧騒が聴こえた気がした。


 腹痛も無事に治まった仁栄は、少しひとりで園内を散策したい気分になっていた。密集して生えている木々の間を潜り抜ける。慎重に声のする方へ近づいていくと、少し開けたところへ出てきた。


 そこから数メートル先では、三人の少年たちが何かを取り囲んで騒いでいた。


 その内のひとりは、踞んだ状態で黒っぽい何かを木の枝か何かで突いている。


 仁栄は初め、潰れたバスケットボールか何かかと思った。しかし、目をよく凝らして見ると、そのバスケットボールは、血と土で汚れた子犬の姿に変わっていった。


 子犬の身体は小刻に震えている。


 それを見た瞬間、彼の胸の中に熱い何かが流れ込んできて、突然爆発した。


 仁栄は叫びながら子犬の方に飛び込んでいった。


「おい! やめろよ! 死んじゃうだろ!」


「何だおまえ?」


 三人の中で一番背が高く頭を坊主に刈った少年が、素早く仁栄を通せんぼするように立ちはだかる。


「青葉小のやつだろ? さっき、バス入ってくるの見えた」


 赤い野球帽を被った少年は、棒で子犬を突くのを止め踞んだまま視線だけ仁栄に向ける。


「正義の味方気取りってか? あ? オレたち理科の実験やってるんですけどぉー。邪魔しないでくれるぅ?」


 もう一人の頭を角刈りにした少年が続ける。


 少年たちには明らかに仁栄に対して嫌悪感しか抱いておらず、仁栄はそれらを混乱しながらも、強く感じていた。


「青葉のやつらは、みんな真面目ぶってて臭いからなー。あんま調子乗ってっと、やっちゃうよー」


 仁栄は三対一では勝てるわけがないと、瞬時に悟った。


 しかし、このままでは子犬はなぶり殺しにされてしまう、何か良い手はないだろうかと考えているとき、彼の腹部に今まで味わったことのない激しい衝撃が走った。


 坊主頭の放った蹴りが仁栄の鳩尾を直撃したのだ。


 仁栄は膝からガクンと崩れ落ち、地面に両手を付く形となった。


「ゲホッゲホッ……」


 咳き込む仁栄の横腹へ、容赦のない追い討ちの蹴りが放たれる。


「グハッ!!」


 仁栄は地面に転がり、お腹を抑えたまま横向きになった。


 すぐ近くで震えている子犬の姿が、かすれて仁栄の視界に映る。


「こいつ弱えーな。たったの二発ぅ?」


 角刈りが眉毛を八の字に歪めて大げさに首を振る。


「ばーか。洋ちゃんの一撃が強すぎるんだよ。こんなの放っといて続きしようぜ」


 一旦立ち上がってそう言うと、野球帽を被った少年は再び踞んで棒きれで子犬を突き始めた。


「……やめろ……やめろ……」


 仁栄は何とか必死に這い起きようとする。


 二人の少年は仁栄に興味を失ったらしく、踵を返して子犬の方へ戻って行く。


「なあなあ? このでかい隕石が落下したらどうなるかな? やっぱやり過ぎマックスって感じぃ?」


 角刈りが何処からか拾ってきたハンドボールくらいの岩の塊を、高く持ち上げて見せる。


「おーいいねーいいねー。ちょー燃えてきたぁー。はやくぅっ!! はやくぅっ!!」


 野球帽がその場で駆け足をする。他の二人はそれを見て笑っている。仁栄のことなどすっかり忘れてしまっているかのようだ。


「ミサイル発射ゃーーさん、にー、いち……」


 坊主頭が号令をかけ、角刈りはそれに合わせて隕石ミサイルを高く振り上げた。


「ゼローーーーーーーーー!!!!!!!!!」




「サキのタコさんウインナーかわいいねー」


「へへ。周兄ちゃんが作ってくれたんだ」


「へー、すごーい。いいなー。私もそんなお兄さん欲しいなー。うちは弟だからなー」


「え? 石川さんのお兄さんて料理できるの?」


「うん。ウインナーのタコさんと、リンゴのうさぎさんだけだけど」


「ははっ。でもすごいな。お兄さんっていくつ?」


「二つ上の六年生だよ」


 仁栄たちの班は、噴水から少し離れた芝生の上に風呂敷を敷いてお弁当を食べていた。


「そういえば夏休みの間に、サキのお兄さんのクラスの誰かが交通事故に遭ったらしいよね?」


「えっ? そうなんだぁ」


「あっ僕も聞いた。大型トラックに撥ねられたって」


「うわー痛そー。怖いよねー」


「うん、そうだねー」


「あ、僕トイレに行って来る」


 二瑠は立ち上がった。


「いってらっしゃーい。そう言えば、深水くん遅いね?」


「あいつはトイレで下痢死にげりじしてんじゃない? 帰ってこなくて良いよ」


「まあまあ、そんなこと言わずに……りょうちゃんって、いつも深水くんのこと悪く言ってるけど、喧嘩するほど何とかっていうよね……」


 咲子は意地悪な含み笑いを浮かべた。


「……本当は、ひょっとして……」


「なっーー!! 何言ってんのよサキー!! なんで私があんな……」


 二人の会話をBGMのように聞き流しながら、二瑠はトイレへと向かった。


 暫く歩いてから、彼は自分がトイレの場所を正確に分かっていなかったことに気が付いた。


 知らない間にトイレを通り過ぎると、少し開けた場所へ出て来てしまった。


 そこには仁栄と、三人の知らない少年たちがいた。


 何となくただならぬ空気を感じ取った二瑠は、怖くなって木の陰に咄嗟に身を隠した。そして、目撃した。


 少年の持ち上げた手から、子犬に向かって垂直に投下される大きな石。そこへ割って入るように飛び込む影。


 生々しく響く鈍い音。


 ゆっくりと大地に拡がっていく赤黒い液体。


 驚き、慌てふためきながら走り去る少年たち。


 そしてその場に残された、動かないふたつの塊。


 それらはすべて、二瑠の脳裏に激しく、重く、焼きつけられて、永遠に消えることはなかった。


 そして、その日から、恐怖で竦み木陰に隠れて何も出来なかった彼自身を責めて生きる日々が始まった……。

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