第3話 けんかや

 九



 「そろそろ稽古付けてあげようか」


 勝太が庭で隊服の洗濯をしていると、総司がおもむろにそんなことを口にした。

 これも立派な隊士の勤めだと任された勝太は慣れた手つきでじゃぶじゃぶと隊服の汚れを落としていく。

「ちょっと、話聞いてる?」

「聞いてるやい。おいら、一度に違うこと二つやんの苦手なんだよ」

 そう言って桶から真っ黒の着物を引っ張り出してギョッとした。

 誰かの稽古着なんだろうか。

 黒地の着物の背には白色で髑髏どくろの刺繍が施されていた。

 あっはっはと総司が腹を抱える。

「それ、近藤さんのだよ」

「えっ……えっ?」

「くっくく……ふっ……あの人、浅葱の羽織にも髑髏の刺繍入れてるんだよ……ふふっ…」

 局長の新たな一面に邂逅した勝太は「笑いたいのはこっちだ」と言わんばかりに総司を睨んで、その髑髏の稽古着をキツく絞った。

「……んで、稽古付けてくれるって、話」

「あー笑った。……そうそう、色々諸々決まりはあるとは言え勝太も隊士になったわけだし、私としては巡察に同行させなきゃなぁ〜〜って思っているわけなんだけど」

「巡察?! 同行!!」

「…………って思っているわけなんだけど、さすがに自分の身くらい自分で守ってほしいんだよねぇ。その刀は飾りじゃないんでしょ」

 勿論だ、と勝太は息巻いた。

 ここ二日、ずっと屯所の掃除だの洗濯だの炊事だのばかりだったのだ。生憎慣れていたから良いものの、いい加減直談判にでも行こうかと思っていたくらい勝太の鬱屈は溜まりに溜まっていた。

 おいらがこうしている間にも姉ちゃんはきっと寂しい思いをしているに違いない。

 総司の提案はまたとない好機会だった。


「勝太が通ってた道場ってどんな所?」

 不意にそんな質問を投げかけられた。

 「普通の道場だよ。先生はちょっと厳しいけど優しい人なんだ。おいらには変わった癖があるとか言ってそれを直そうってしてくれたけど、先生が教えてくれるのはおいらには向いてないんだ。喧嘩には勝てるんだぞ、でも道場の試合じゃ負けっぱなしなんだ」

「ふぅん。じゃあ勝太は試衛館しえいかんに向いてるよ」

「しえいかん……?」

「そ、試衛館。近藤さんの道場だ」

 勝太はまた目を丸くした。

「新選組になる前、私たちは江戸にある試衛館って道場に居たんだよ。道場主は近藤さんで、私は免許皆伝して塾頭になった。土方さんは行商しながらいろんな道場を回ってたからあんまり居座らなかったけど。そうそう、試衛館は天然理心流てんねんりしんりゅうっていう流派なんだけど、土方さんだけはずっと無名の門徒のままだったんだよ。あの人ね、あんまりにもいろいろ回りすぎていろんな流派がごちゃまぜになってるのさ。バラガキで喧嘩屋って呼ばれるくらい滅法強いのに試合になるととことん使えない」

 話しながら何かを思い出したのか、総司はまた腹を抱えて笑いだした。笑いながら勝太にこうも続ける。

「良いかい、何も大事なのは試合に勝つことじゃない。喧嘩に勝つことだ。実戦に強い剣を鍛える道場こそが試衛館で、その道場主と塾頭が此処にいる。本気で武士になりたい勝太にはうってつけだね」


 ──本気で武士になりたい。


 総司の言葉が勝太の胸を熱くさせた。




 十



 ドタバタと屯所を駆ける少年の足音がする。

 勝太は割り振られた自室に戻り急いで帯刀すると、すぐさま駆け戻っていった。

「おぉい勝太! あんまり走るとすっ転ぶぞ!」

「大丈夫だよ! 新八しんぱち兄ちゃん!」

 新八兄ちゃん、と呼ばれた大男はすれ違った少年の背中を見てなんとも言えない溜息を吐く。

「あーいう小童こわっぱが一番怪我するんだよなぁ。まあ、あいつも男だし大丈夫か」




 十一



 「──うわっぷ!」

 案の定、勝太は誰かにぶつかった。

 あんまり急いでたものだから受身も取らずに大きく尻もちをつく。

「あいててて……」

「走るのは良いが前を見て走れ。いつ何時なんどき敵が出てくるか分からんのだぞ」

 刀を右に差した男に首根っこを掴まれた勝太は「ご、御免ごめんよ……」と項垂れた。男は勝太を降ろして感情の無い声で尋ねる。

「判ったのなら良い。しかし何をそんなに急いでいたのだ」

「総司兄ちゃんがおいらに稽古付けてくれるって言ってんだ! だからおいら、急いで部屋に戻って──、そういえばはじめ兄ちゃんはなんで右に刀を差しているんだい?」

 往々にして右利きが良しとされているこのご時世、利き腕で抜くなら反対の左側に刀を差すのが通例だ。

 勝太の言葉に、一兄ちゃんと呼ばれた男がフッと笑う。

「俺は俺のやり易いようにやってるだけだ。……総司の稽古か、死ぬんじゃねぇぞ」

男の言っている意味はよく分からなかったが「おう!」と勝太は何故か勝ち誇ったように満面の笑顔を向けた。




 十二



 御免、一兄ちゃん、おいら死ぬかも知んない。


 悲鳴を上げる節々に鞭を打って、がばっと身を起こす。

 握り締めていたはずの木刀はいつの間にやら何処かに消えていた。

「ほらさっさと起きなよ、殺しちゃうよ」

 総司の言葉に恐れ慄いて、慌てて木刀を探す。後ろを振り返った時に道場の隅にまで飛んでいたのが見え、慌てて取りに行った。

「勝太はまだ刀を刀としか見ていない。だから簡単に吹っ飛ぶんだ」

 総司は勝太の目の前で構えてみせた。

 一瞬のブレもない、まっすぐな刀身。勝太が構えるとすぐに右へ左へあちこちするのに対し、総司の剣はまるで糸に吊るされたかのように微動だにしなかった。

「刀で斬るんじゃない、身体で斬るんだ。刀身の先まで神経を伸ばして集中して、…………此処まで自分の手だと思え」

 此処、と総司が切っ先を示す。

「全部が自分の身体の一部になればそう簡単にすっ飛ぶはずがない。仮に手首を落とされても握っていられるくらい刀を呑み込むんだ」

 ひぃっ、と勝太の肩が竦み上がる。

 今の総司なら簡単に手首なんて落としてしまいそうな勢いだ。

「そう、それでそのまま真っ直ぐ振り上げて……落とす」

 ぶんっ、と木刀が空気を斬る音がした。

「違う勝太、また落としすぎ。下ろした時に力が抜き切ってるじゃないか、それじゃ振り上げるのに時間がかかってその間に首落とされるよ。使うのは腕じゃなくて肩。振り下ろす時までは力を抜いて、止める時に一気に強く入れるんだ」

 総司兄ちゃんに何遍も言われてるから分かってるよぅ、とつい愚痴を零しそうになる。

 道場に通っていたなんて馬鹿らしくなるほど、どうやら勝太にはまだ基礎が足りないようだった。


 刀を上げては落とし、振っては振りを繰り返すだけで今日の稽古は終わった。

 両の腕がズキズキと痛み、手にはマメが出来ている。

「──あ、結局勝太の癖が何なのかわかんないままだった」

 総司がふとそんなことを口にした。

 勝太は居た堪れない気持ちでぽろぽろと零す。

「……総司兄ちゃんが言ってた通りだよ、おいら、刀を下げすぎるんだ」

「へぇ、そういうことかぁ。……それで喧嘩に勝って試合には負けるんだ。じゃあ私とちょっと喧嘩してみてよ」

「…………へ?」

 総司はそういうと、稽古で使ってた木刀とは別に何処かからか竹刀を持ってきた。

 真剣よりも重いもので稽古していたからか、随分と軽く感じる。

 勝太があたふたしている間に、既に総司が間を作って構えていた。


 ──逃げられない。


 稽古でズキズキと痛む節々を鼓舞して、勝太も構えた。

 深く息を吸って、吐く。


 ──これは喧嘩だ。


 そう思うと幾らか緊張が解れて目が冴えた。

 じりじりと間合いを詰める。

 それから先に動いたのは勝太だった。

「てやああああ!」

 ぱしん、と竹刀が弾かれる。

 総司は涼しい顔をしていた。

 弾かれた衝撃で倒れそうになる身体を右足を引いて何とか支え、上に浮いた腕をもう一度振り下ろす。

 今度は身をかわされた。

 視界の端で総司が竹刀を振り上げるのが見えた。

 ぐんっ、と背中を低くして、振り下ろされた竹刀をギリギリの所で身を引き、そのまま勢いよく──振り上げる。

 狙うは顎だ。

 何も振り下ろした直後に隙が出来るのは勝太だけではない。


──取った!


 そう確信したのに、気づけばまた竹刀に弾かれていた。

 そのまま打たれた手首に激痛が走り、思わず竹刀を落とす。

「………………っ」

 総司の剣は勝太と比べ物にならないくらい、重くて速かった。


「……なるほど、そりゃ強いわけだ」


 総司が座り込んで溜息を吐いた。

 もう痛くて痛くて動きたくない勝太も総司に習って道場にゴロリと転がる。


「振り方を正すのは止めよう。勝太の剣は喧嘩屋の剣だ。こりゃ手強いぞ」

「喧嘩屋の剣……?」

「土方さんと同じだってことだよ。きっと強い武士になれる」

 そうやって笑う総司の声が、勝太の胸に深く響いた。

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