第4話 じゅんさつ

 十三



 総司の稽古を受けてからまた二日後。

 勝太に巡察同行許可が下りた。

 奇襲事件があったその日に連れてこられた部屋……の隣に土方と正面を向き合って座る。勝太の監督責任がある総司も気が抜けた格好で胡坐をかいていた。

 土方の鬼の様な目と合い、自然と背筋が伸びる。

「いいか、組長の言うことはよ――――――く聞け。走れと言ったら走れ、逃げろと言ったら逃げろ」

「……でも逃げるなって言ったのは歳兄ちゃんじゃ――ぁ痛っ」

 土方の拳骨が勝太の頭に落ちた。

「誰がてめぇの兄ちゃんだ、俺のことは副長と呼べ」

「……とか言いつつ、末っ子の土方さんは内心嬉しかったりす痛い! ちょっと土方さん今の本気で殴りました⁈」

「……こいつのこれは総司の影響せいか。やっぱ山南サンナンさんあたりにでも任せるべきだったな」

「そんなこと言わないでくださいよ。私のおかげで勝太の腕はぐんぐん上がってるんですから」

 総司の言葉に少しだけ頬が緩む。

 実際、勝太の怪我は日を追うごとに増えていた。総司に打たれた場所が蒼く痣になり、癒えないままに今度は擦り傷が増えていく。

 けれどその分だけ、剣の腕が上がっているのが自分でもわかった。

 えへへと笑う勝太の頬には今朝方けさがた付いた切り傷が瘡蓋かさぶたになっている。

「……総司の稽古はな」

 土方はなぜか困ったように溜息を吐く。

「人に教える剣じゃねぇんだ。大体の隊士は総司に稽古をつけてもらったことがあるが、あまりの雑さにほとんど根を上げちまってる。振っては叩き、向かえば倒され、次第に誰もが総司の稽古を避けるんだ」

「いやぁ、そこまで褒められても」

「褒めてねぇよ! てめぇはもう少し教え方を考えろ! ………………小僧、今日まで何回総司とやり合った?」

「えっと……」

 勝太は両の手の指を折って数えた。

 稽古をつけてもらったのは二日間だけだ。けれど道場に向かうのは一日のうち朝餉前と夕方の二回。

「道場を使ったのは四つだ。けど、ひとつで何遍も総司兄ちゃんに打たれたから……分かんねぇ、とおは絶対超えてるよ」

「……十回じっかいか。それだけやれば十分だな」

 土方は横目で総司を睨みつけた。自慢げに笑う総司の顔に舌打ちを零してから再度勝太と向き合う。

「……気をつけて言ってこい。門限までに帰らねぇと切腹だからな」

「は、はい!」

 勝太は力強く頷いた。




 十四



「にしてもひどい痣だらけじゃねぇか。お前一体どんな稽古をつけてたんだ」

「別に、普通にしてましたけど。そうそう聞いてください、あの子ってば隊士と試合して勝ったんですよ」

「……っふ、上等じゃねぇか。んで、小僧に負けた隊士ってのは一体何処の何奴なんだ」

「うっわ土方さん容赦ないですね……。隊士も油断してたんじゃないんですか? 油断するべからずって法度に入れたほうが良いですよ。慢心する奴ほど足手纏いはいませんからね」

「――――――そうだな、考えておく」




 十五



 門を潜ると冬の風がぴゅう、と前髪を巻き上げた。

 灰色の空に浮かぶ厚い雲が風に流されていく。枯れ葉が自分の頭上を舞っているのに目を奪われていると、前方から「勝太!」と名前を呼ぶ声がした。

 左に差している小刀をきゅっと握り締めて目の前の浅葱色の集団に飛んでいく。

 遠征用に臨時に再編成された一番隊の人数は七人だと聞いている。全員が大阪に遠征しているわけではなく、まだ大部分が京都の本陣に残っているとのことだった。

 分隊した少数が細分化すれば、必然的に隊の人数も限られてくる。七人しかいないのはそういった理由からだ。

 晴れた空のような羽織の波の隙間を縫っていくと、先頭に自分の名前を呼んだ人が立っていた。

「ごめん総司兄ちゃん」

 この数日間で随分と見慣れた顔の青年が勝太の方を見ていた。

「別に怒ってるわけじゃないよ。私たち大阪の土地にあんまり詳しくないからさ、道案内を頼みたいんだ」

 総司なりの気遣いなんだろうか、それとも本当に頼みたいだけなのだろうか。

 どっちが本音なのかは判らなかったけれど、自分が必要とされていることに、勝太は少しだけ嬉しくなった。

「任せておくれよ!」

 そう言って、小さな新選組見習いは右手で拳骨を作って自分の胸を叩いたのだった。




 十六



「此処はおいらが一番いっちゃん大好きなぜんざい屋なんだ。餡子がすげぇ美味しいんだよ。それから、此処を真っ直ぐ行って右に曲がった所にあんのが薬屋だ。薬師くすしのあんちゃんがひとりでやってんだけど、其処の漢方、本当に良く効くんだ。それから……」

 自慢げに話す勝太に腕を引かれ、「はいはい」となされるままに総司も流される。

 まるで兄弟のようだと後ろの隊士の声が聞こえたが今日くらいは無視した。

 たまにはこんな日があっても良いだろう。

 それに、昨日は心なしか辛辣だった町人の目が幾分か優しく見えるのだ。これも勝太が居るおかげなのかもしれない。

 現に気前が良い八百屋のおかみさんや魚屋の親仁さんからは差し入れまで戴いてしまっていた。

 勝太に促されるまま「石蔵屋」と看板を提げたぜんざい屋を通り過ぎ、ごちゃごちゃと並ぶ市場を右に曲がる。

「よう坊主! 偉いお友達連れてるじゃねぇか」

 先程と比べて人気が減った道に出た時、また勝太に声を掛ける者が現れた。

 一体何度目だ。

 この子の人脈の広さに驚いた総司が「へぇ」と感嘆を零す。

「やぁ薬師のあんちゃん」

 どうやら先程言っていた薬屋の店主らしい。蓬色よもぎいろの着物を膝が見えるくらいまでたくし上げ、袖も肩紐で括っている。乱雑に括った黒髪に隠れきれていない耳飾りがちらちらと光を反射していた。異国の装飾品だろうか。

 薬師はチラと総司を見やり、隠すでもなく勝太に尋ねる。

「お前さん、一体何してんだい。あおいちゃんを連れてったのはこいつらだろう?」

「ばっっか! 違うよ! そいつはおいらと父ちゃんの勘違いだ。新選組にいちゃんたちはおいらの手伝いをしてくれてるんだよ」

 眉を潜めた薬師が、今度は声を潜めて言う。

「手伝いだぁ? お前さんまだ葵ちゃんを探してんのかい」

「あ、当たり前でぇい!」

 勝太の大声が直接薬師の耳に響く。驚いた薬師は耳を押さえて、今度は総司たちに向いた。

「……あんたら、本当に坊主の姉ちゃんを探してんのかい?」

「まぁ……探してますよ」

 正確には全て勝太に任せきりなのだが勝太が「手伝って」と言っている分、それは割愛することにした。

 薬師がうんと首を捻って、それからさらに小声で総司に耳打ちをする。


「俺の妹も消えたんだ。


妹だけじゃねぇ。ここいらの娘のほとんどが攫われてる」




 十七



 「なんだそりゃあ」

 鬼の副長の第一声がそんなものだった。

「なんだもこうも無い。俺たちの存在意義に関わるぞ」

 深刻そうな顔で呟いた近藤は顎に手を置いて「ううん」と唸る。

「治安維持どころか改善まで持っていかなきゃ駄目みたいですよ、これ」

 頭を捻る近藤が可笑しいのか、それとも眉間に皺を寄せたまま一点を見つめる土方が可笑しいのか、総司が愉しそうに続ける。


 昼の巡察から戻った後、総司と勝太はまた薬師の元を訪ねた。詳しい話を聞かせてくれと勝太が強請ねだったからである。

 突然の再来にも関わらず薬師はこころよく店に案内してくれた。

 漢方独特の匂いがする部屋の中央にある座敷に腰を掛けて、茶菓子まで頬張りながら薬師の話を聞いたのだ。

「妹の名前はさつきって言うんだ。皐は捨て子だったから本当の兄妹きょうだいじゃねぇんだけどな。歳はそんなに離れちゃいねぇけど俺は皐を自分の子どもみてぇに可愛がってるんだ。――いや、今はそんな話してる場合じゃないな。

 皐がいなくなっちまったのは十日くらい前になるかな。……ちょっと使いにやったっきり、それから帰って来なくてよ、ふらふらと探してるうちにちょいと噂話を耳にしたんだ。


『薄い蒼色の着物の男が町の娘を浚って、異国に売り飛ばしてる』って」


 団子を食っていた勝太が思い切りせた。

 慌てて手元の湯飲みの渋茶を喉に流し込み、しばらくして涙目の顔を上げる。

にげぇ………………、売り飛ばしてる、って、異国に……そしたら、姉ちゃんはっ」


 もう手が届かない場所に。


 ぐわんぐわんと頭の中で大きな鐘が鳴った。

 じわりと目頭が熱くなる。


 ぽん、と頭の上に何かが乗った。

 「泣くんじゃねぇよ小僧、むしろ話はこれからだ」

 それは薬師の手だった。

「ここで大事なのが、異国って言葉だ。ちょいと前に幕府が結んだ条約の中に確か『港を開け』ってのがあるらしくてよ。俺が小耳に挟んだモンが正しければ大阪ここから近くて兵庫津、んで江戸に近いのが横浜、北に行けば新潟で南に下れば長崎、港を開いてんのはこの四つのはずだ。それから船が来るのは決まって月半ば、さらに運が良いことに今日はまだ七日だ」

「……つまり、兵庫津を狙えば」

「そうだ、まだ道はある」

 薬師の耳元の装飾品がチャリリと音を鳴らした。

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